サンキスト社に向かう


7月2日昼食の後、サンキスト社に向かう


アメリカの西海岸はオレンジの生果生産地である。
これに対して、アメリカは東海岸はオレンジのジュースの生産地である。
特に、東海岸はフロリダが中心である。
どちらの産地も、世界的なオレンジの輸出産地である。
今回の調査にあたって、アメリカの西海岸にするかあるいは東海岸にするかで、検討したが、結論は、東海岸のフロリダにすることになった。
その理由として、カリフォルニアを中心とする地域は、世界的に有名な水の不足地域である。
これに対して、フロリダは水の心配はなく、寒波の心配をする必要があった。
サンキスト社のラッセル・L・ハンリン社長とはすでにアポイントが取れており、常務はハンリン社長とは大変懇意の様子であった。
とにもかくにも、社長に引き合わせるということなので、楽しみに同行することとした

サンキスト社本社


ハリウッド

ビバリヒルズ

7月2日途中ハリウッド,ビバリヒルズの見学


ロサンゼルスのダウンタウンから、ちょうど行く途中に当たっていたので、
ハリウッドビバリヒルズを見学することにした。
映画のハリウッド
1,920年から1,940年代ごろが映画の全盛期で、あこがれのスターの名前の入ったウオーク オブ フェームや人間の足形で有名なマンズChineseシアターがある

ビバリー ヒルズ
ハリウッドのスターの家 ホームズ オブ スターズ が並ぶところで有名な ビバリー ヒルズ はアメリカでも有数の高級住宅街である。
世界一流のブランドがショッピングできるロディオ ドライブ地区がある。
有名なスターの家の前をに見ながら次々と現れてくる豪邸を観察した。
どの家も大きな壁で囲っており見えるのは門と庭木だけで建物まではなかなか見えにくいほど広かった。
ここでは、スターの家の地図を売っているそうである。
The City of Los Angeles
Disneyland
Knott's Berry Farm
Queen Mary

ユニバーサルスタジオの一日観光ツア−

1月15日ユニバーサルスタジオヘ
ハリウッドの北側に位置するテーマパーク、映画を題材にした大人の遊園地である。
ユニバーサルスタジオの一日観光ツア−を楽しんだ様子はここに・・・・・・・・・・・
十分一日はかかる施設で、大変楽しかった!

Disneylandの一日観光ツア−

1月16日ディズニ−ランド
ディズニ−ランド発祥の地−アナハイム−

7月2日サンキスト会社到着

カリフォルニア州オンタリオ市にあるサンキスト会社到着
常務が先頭に立って、ハンリン社長室にたずねていくことになった。
昔からの古い知り合いらしく、歓待してくれた。
常務も、日本からの土産を社長に渡していた。
この会社は日本でいうと農業協同組合にあたる。
日本と違うところは、オーナーと経営者が分離していることである。
したがって、社長とは日本でいう雇われマダムよろしくオーナーから
経営を任されているものである。
このため、年間の成績が悪かったらすぐに解雇されるとハンリン社長は説明してくれた。
ハンリン社長が会社の最高意思決定機関である会議室を見せようとわざわざ案内してくれた。
日本の農業は、まだまだ遅れているなということをここで実感した。
やはり、農業協同組合の経営はアメリカに見られるようにオーナーと経営者の分離すべき時期にきているようである。
そうしないと、とてもこれからの国際競争の中では生き残っていけない。
常務が訪問したことが、よほどうれしかったらしく、
これから夕食を一緒にしたいから自分に付き合えという。
社長曰く、日本から訪問するというのであなた方が泊まるホテルで夕食をと考えていたがホテルが分からない。
仕方ないので、ロサンゼルスのヒルトンホテルのレストランで予約して食事することになった。
常務は、今回は自腹で愛媛県の職員に宿泊の予約を頼んでいたのであまり知られていない安いホテルになっていると盛んに説明をしていた。

ハンリン社長と食事する玉井常務


ハンリン社長

ウイリアム・アンダ−ソン副社長と談笑 −ヒルトンホテル前−

7月2日ロサンゼルス ヒルトンホテルで夕食


夕食会場は中華料理の店であった。
社長は、片腕と思われる加工部門の副社長ウイリアム・G・アンダ−ソンを連れてきていた。
常務と社長は、昔話に旧交のきずなを温めていた。
大変大きな立派なホテルで室内装飾も見事で、料理も大変おいしかった。
常務の人脈の広さにつくづくを驚かされた。

7月2日ホテルに帰宅


借りていたレンタカーで一路ホテルの帰路についた。
ホテルについたら、同行していた商社の若者が帰りの足がないといっている。
少し車の運転にも慣れ、ロサンゼルス市内の道が分かりかけていたので、
それならこの車であなたのお家までお送りしましょうといってしまった。
話を聞くと、自宅は少し距離があるという。
もう、夕やみが迫り暗くなってきたが、フリーウエイに乗って家まで送り届けることにした。
かえり道に迷ったらいかんので、念のためにNavigatorとして芳之内専技に横に乗ってもらうことにした。
わかりやすい家と聞いていたのだが、フリーウエイを降りてからかなり複雑な道のりとなった。前面に芝生を敷いた閑静な住宅街にやがて到着、
ここは治安がいいんだ!彼が話す。
奥さんが玄関から迎えに出てきた。
無事彼を送り届けて、一路ホテルに向かって帰路についた。
外はすっかり、暗くなり、一瞬ほんとにホテルまでつくのかなと不安にかられた。
なんとか、フリーウエイの高速道路を見つけ出して、それに乗ることに成功!
道路標識を見ながら一路ロサンゼルスのダウンタウンに向けてクルマをを走らせた。
本当にやっと、なんとか迷いながらホテルまで到着できた。
初めてわかったことであるが、アメリカの都市はダウンタウンを中心にして中心街が比較的小さな1角にい固まっており分かりやすい都市構造となっているが、ことロサンゼルスに対しては全く例外で、
日本の東京と同じように、とにかくいたずらにただ広い都市となっている。
とにかく切れ目なく都市が続いており、アメリカでも例外中の例外と言っていい都市構造である。
しかるに、初めてこの街を車で走るにあたっては大変難しい。

ウイリアム・アンダ−ソン副社長、日商岩井社員食事

暗くなり、ホテルに帰宅


The USA CityLink

7月2日ホテルの寝室


やっとホテルの部屋に到着して、ベッドで寝ることができる。
部屋はなかなか広く、しかもきれいに整頓されていた。
料金の割には、なかなか良い部屋であると感じた。
アメリカで最初の第1日目の夜を迎える。
常務は別の部屋で寝ることにしている。
シングルである。
どうも、常務にとってこのホテルは貧弱のように映っているようである。
常務の口から、このようなホテルによく宿泊するなぁ!
私どもは、松山の全日空ホテル並みの部屋だと感じていたので、
このホテルに非常に満足しておりますがと返事した。
1泊1人当たり5,000円分の部屋代である。
私どもは自腹の経費を払わなければならないのでこれで満足していると返事をした。
しかし、常務が海外で会談する人のことを考えると、やはり、もっとクラスの上のホテルに泊まるべきだったようである。
宿泊するホテルによって、仕事がうまくいくかいかないかが決まる大きな要素になっているということを勉強した。

私らはツインの部屋をとった。
ホテルでは、何をおいてもミネラルウオーターを手に入れた。
このミネラルウオーターのビンをもってこれから行動することになる。