マーテル

 信心を 続ける心は救われど
 求むる心は救われず 自身を救うは自身のみ
 祈念の道も また然り


<神話に見られるマーテル>

 マーテルは最後の使徒として知られている。また、その姿も、 使徒として神話に現れるマーテルと、人として語られるマーテルの二つがあり、 そのどちらもが、マーテル本人である。神話に見られる“使徒”マーテルは、 全ての使徒の内でも最も自愛に満ち溢れ、それゆえアーに一番愛され、 マーテルもまた、アーを愛した。故に、全ての使徒が神の娘であるにも関わらず、 マーテルだけが“神の娘”と呼ばれるのである。

 人として、すなわち救世母としてのマーテルは、使徒マーテルの祝福を受けた者であり、 それど同時に、使徒マーテルの魂の片鱗である。人として降臨し、人として、人々を束ねた。 これは、魔神などを信奉し、それゆえ異なる魔神を信奉する者達の争いを終わらせ、 全ての人を一時的とはいえ一纏めにした。人が人を、上下の差無く纏めたのである。 神ではなく、使徒でもない人が、である。

 これは、時代の移り変わりを示している。神、使徒、祝福、そして人。この移り変わりのなかで、 使徒の時代と祝福の時代の境目を示しているのである。現在は、祝福の時代であり、 この祝福は聖痕、或いは魔印と言う形であらわれる。ある種の祝福を受けた者、 すなわち英雄が中心となり、人々を纏める時代なのである。

<職業としてのマーテル>

 真教と呼ばれる宗教において、司祭、或いは祭司と呼ばれる神の代行者として知られている。 信仰心により発現する“祈念”と呼ばれる魔法を用い、人々を助ける仕事である。 呼び名が二つある理由は宗派の違いであり、発展した民族の違いがそのまま宗派の違いになっている。 人間の間に伝わる真教は、新派、旧派に分かれており、それぞれ異なった特徴をもつ。 また、異種族に伝わる真教は、それぞれ種族ごとに特徴のある発展を遂げており、 人に伝わるものとしての真教は、ほぼ無数にあると考えてよい。

 なお、真教とは、アーを唯一の神としてあがめ、同時に救世母マーテルを信奉する物を意味する。 アーのみを信仰の対象にするものは、根本的には真教ではない。 が、アーを愛すると言う点においては、 真教であっても、アーのみが信仰の対象であっても、全く同じ“マーテル”である。

<逆位置>

 二つの道がある。

 神を信じなくなり、排除されつつある神、魔神を信じ、その教えを広める事が一つ。 二つは、自身の存在をアーの試練と捕らえ、あえて人々に殺戮と言う名の苦難を与える事。 これらは程度問題であるが、神を憎むか愛するかによって、大きく進む道は異なる。

 いずれにせよ、高いレベルでの認識と知識、そして経験により導き出される結論である。 それすらも理解せず、王などという下らない人を信奉するなど言語道断である。

 神の試練として、或いは魔神の祝福として、私はあえて諸君らを死に導こう。 私に殺されるような弱い存在は、次の時代には必要ないのだ。淘汰されよ。 汝ら弱き物の存在は、この世界の癌以外の何物でもない。