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vol.24

<雨の木の下で>


死滅する脳細胞 2002.8.7  関富士子


 気ぜわしい朝のひと仕事。寝ぼけまなこで掃除機をかけてから、風呂の湯を汲んで洗濯機を回す。顔を洗ってコンタクトレンズを入れてようやく朝食の支度。ご飯に味噌汁お漬物に卵焼き。食事を済ませて、食器を洗いテーブルをふく。家族がどたばたと出かけて一人になる。さてと、今日は燃えるごみの日。生ごみやあちこちの屑籠のごみを袋にまとめて玄関のたたきに置いてから、洗い上がった洗濯物の籠をかかえてベランダに出る。タオル類をぱんぱん広げて干し始める。

   あ、その前に、ごみ袋を収集場所に運ばなくちゃ。玄関に行くとそこに置いたはずの袋がない。あれ、おかしいな。ここに置いたんじゃなかったっけ? 玄関のドアの外にも見当たらない。家じゅうを探してまわる。ベランダ、寝室、洗面所、風呂場、トイレ、押し入れ。このころには頭はパニック。ごみの袋はどこにもない。

 途方に暮れてちょっと落ち着けとコーヒーをもう一杯、記憶をたどりなおす。もし玄関の外に置いたとしても、家はマンションの西の端にあり、玄関前を通る人はいない。ごみを運んでくれるような付き合いのご近所はいないし、通いの管理人はまだ来ていない。

 ふと見ると、きれいに片付けたはずのテーブルに、家の鍵が置いてある。はて、あの鍵はふだん玄関の棚のぬいぐるみのポケットに入れてある。それをいつだれがテーブルに置いたのか。家にはわたししかいない。マンションはオートロックシステムで、収集場所に行くには鍵を持って出なければならない。

 とそこまで考えてぞっとした。まさか、もしや。わたしはその鍵をつかんで玄関を走り出た。収集場所に半透明の袋が山積みになっている。うちの袋は透明で中のごみがよく見える。まちがいない。たくさんの袋の中にうちのごみ袋は確かに置いてあった。わたしはすごすごと家に戻った。

 どうやらわたし自身が、いつものようにごみ袋を収集場所まで運んだらしい。でもどういうわけだろう。自分がついさっきしたはずのことをまったく思い出せない。ごみ袋と家の鍵を持って玄関を出て、マンションの建物の裏口を出て西の通路を表に回り、収集場所のごみの山の上に自分の袋を載せて、再び裏口から家に戻ってくる。近所の人にあいさつぐらいしたかもしれない。このありふれた一連の動作が、わたしの記憶からすっぽりと抜け落ちている。どうしても思い出せないことがさらに恐ろしい。ごみ袋を玄関のたたきにおいてから、ベランダに洗濯籠を運ぶ前までの、真っ白な欠落の時間。そのときわたしの記憶をつかさどる脳細胞が、また一万個ぐらい死滅したのだ。
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