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vol.31

関富士子の詩 vol.31-1

5月のハリネズミ3月が耳をぬらすので熱々ノ2月モチ甦る9月



5月のハリネズミ


腕いっぱいのカンパニュラを抱えたおばさんはこの広い畑の主だ
鋏を響かせて丈高い茎を切ると白やピンクの吊り鐘がその胸に倒れこむ
溜まったしずくが音楽のようにあたりに飛び散る
おばさんは手ぬぐいをとって輝く頬を拭いている
  
  
鍵がないと思いこんだのはなぜだろう鍵はちゃんとかばんの中にあったのに
わたしが叱られた子供のように家の周りをうろついているあいだ
  
  
きみの番号から無言電話がかかってきた二分おきにしつこく三回だ昨日も一昨日もだ
かけてないのに?
わたしのケータイはわたしの知らないうちに勝手にだれかに電話するらしい
恨みがましくひどく恋着して相手を傷つけようと無言で
きみのケータイは壊れているようだ
わたしが壊れたとでも?
きみかきみのケータイかだ
  
  
北の空はすっかり晴れたのに太陽のある辺りはまだ雲が厚いので
全体は明るい日陰におおわれている
笑い声の中に強い風の音が混じる
大人たちのコートは黒く傘はまだ濡れているのに
自転車で行く少女たちはもう半袖だ
なぜあんなに透明なのか生きているとも思えない
  
  
夜遅く半分壊れ落ちた巣に胸の赤いツバメがうずくまっていた
花柄の傘に驚いてわたしと目が合った
ツバメは巣を作り直すだろうそしてまたカラスに襲われる
三度まで卵やヒナを落とされて去年はあの巣を捨てたのだ
なのに今年もやって来るなんて
どうしてあげたらいいかわからない
  
  
ハルゼミが螺子を巻くジージージージ
すると錆びついたゼンマイがほんの少し巻き上がる
逆戻った数秒のあいだに雨は雲に歌は沈黙に
数秒は一気にほどける雲は雨に沈黙は歌に

初出「歴程」no.532 2006年6号(連作のうち)
「5月のハリネズミ」
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tubu<詩>3月が耳をぬらすので


3月が耳をぬらすので


人が頭を揺すって不満や怒りや焦燥に歯噛みするとき
ミス・フリージアは同情深げに肯いて重たげなつぼみを揺するのである
  
  
会社に時計は三つある
それぞれ時刻が違っている
大時計はやかましい時報が鳴る
喫煙コーナーの時計は五分進んでいる
タイムカードのスタンプは二分遅れている
三つの時間に操られてわたしの体内時計は腹痛を起こす
  
  
不慮の死を遂げたと聞かされたとき不慮だったのはだれか
おもんぱからず まさしくわたくしは彼を不慮だった
  
  
わたしたちは毎朝旅に出る
手甲脚半にスニーカー
笈に小文か震災帰宅マニュアル
自転車と電車とバスのトライアスロン
交通手形カードをひらひらあやつり
ホームを駆け上ると富士山が見える
芭蕉が見たのと同じヤツだ
  
  
ヒマラヤスギの杉ぼっくりは薔薇の花の形をしている
柔らかく重なり先端でめくれたたくさんの花びらが
魔法の杖の一振りで瞬時に固い木質の薔薇に変えられた
それは幸とも不幸ともいえない
ひどい嵐の夜には
魔女の帽子のようなヒマラヤスギの枝が揺れる
薔薇は散らずにぼとりぼとりと転がるのだ

(連作のうち)
「3月が耳をぬらすので」
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tubu<詩>熱々ノ2月モチ


熱々ノ2月モチ


底冷えの公園で語り合っている男たち
真剣な表情で何を?
わたしはそっと近づく
声ははっきり聞こえるのに
わからない
舌をたたき唇をこする複雑な発音
それはただならぬ説得力でわたしに響く
男たちは熱心に静かに
わたしの知らない言葉で
語り合っている
  
  
微笑んでボトルを差し出す人の
両手は紫色に染まっている
ボトルを受け取ってわたしたちは握手する
黒ずんだ350ミリリットルの重い液体
ムラサキの根を砕いて絞って取りました
これで白いハンカチが一枚染まります
わたしはうなずく
握手してもわたしの手はまだ白い
これで手のひらも二枚
紫色に染めるのだ
  
  
あなたの右前腕の長さ23・6センチメートル
そんなことは知らなかった
バストやウェストやヒップサイズなら知っている
測ってみずにはいられない
胸が育ち始めたころから
巻尺で何度からだをぐるぐる巻いたか
おなかをへこませきつくきつく
でもわたしの右前腕の長さなど
検診カーの中で腕まくり
0・624g/2CM
あなたの骨密度は同年齢の人と比べて同等といえます
同等といえます
同等といえます
  
  
いくらカレンダーを見直してもない
二十九日と三十日と三十一日は何処へ
執行猶予のない死刑みたいな
寸足らずの股引みたいにすうすうする
いつもわたしは二十九日から本気を出すのだ
二十八日まではうわの空で生きている
いつまでもうわの空でいたい
短すぎる二月
  
  
きみの冷蔵庫の奥にも
二月モチがきっとあるだろう
それは正月にさんざん食べて飽きられた
角がひびわれカビの生えかけた餅のことだ
ある二月の寒く寂しく空腹な夜
冷蔵庫は空っぽで二月モチが二個ほどぽつねんとあったら
覚悟を決めて取りだしなさい
カビを削って少し濡らしてから
火にあぶってしっかり焦げ目をつける
全体が膨らんだら醤油にジュッと浸す
海苔があったらすばやく巻いてかぶりつく
干からびて硬くアルファ化した表面が
口の中にごつごつと当たるが
ぐいと噛みしめると熱々の粘りが歯茎にくっつく
絶妙の触感をさらにあごを使ってしっかりと咀嚼する
思いきってやってみて
きみの空腹と寂しさはしばし和らぐでしょう
  
  
おとといの夕方来たのだと思う
あのときドアを開けると
空気が湿っていてなんだか肌触ざわりがいい
梅もまだなのにいい香りがする
そっと外に出てみると
大きな腕がわたしの全体を抱いた
ふっくらと柔らかい透明マントに包まれた
ああ必ず来るのだ
このごろは信じられる
明日あたりまたきっと来ると思う

(連作のうち)
「熱々ノ2月モチ」
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tubu<詩>甦る9月
tubu<詩>3月が耳をぬらすので


甦る9月


跳ねていく跳ねたあとから礫が転がる
ぴょんぴょんぴょん羽根級ボクサーのフットワーク
噴火口から湧きあがる硫化ガスにまかれて
赤い礫の急斜面を鍔長キャップの野兎が跳ねていく
雨上がりの舗道にはいつくばるといっぴきの蝦蟇に出会う
いぼいぼに触れると古い毒が甦る
わたしたちはかつて祈られていた
再びめぐり会いますようにどんな姿をしていても
お互いがわかりますように
踏まれた
踏まれた足に巻きついて言切れた
首の黄色いリングと胴のわきに沿って続く赤い斑点がひしゃげて
けっして踏むことのできないわたしは踏まれて
小さな紐になった
ツキがすっかり落ちてしまった
「一頭の病犬」はそう嘆くあいだにも
惜しげもなく落とすのだった毛のはげた背中をふるって
蚤のようにこぼれるツキを慈愛深く臭い息とともに
混雑する墓場で待ち合わせる
晴天の〈空〉印と「愛」印の窪みを過ぎて五基先の
あの人の御影を探すもうとっくに着いているはず
石の林立に面影を薄くして隠れている

(連作のうち)
「歴程」創刊70周年記念号526号2005.12掲載。
「甦る9月」
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tubu<詩>立っていたあの人は(関富士子)
<詩>2月になれば(関富士子)
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