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vol.31

関富士子の詩 vol.31-2

堆積の森 桜を見にいく 立っていたあの人は


堆積の森


 
あなたの全身がなんだか霞んで見える。たくさんの微粒子が体じゅ
うに漂って、それぞれが光に反応しているのだ。髪にも睫にも汚れ
た頬やてのひらにも。動くたびに舞い上がり、あなたをますます霞
ませるこの細かい塵。
また森へ行ったね。
あの枯葉のベッドでだれと寝てきたのか。
  
葉脈と葉柄を残してちりぢりに砕けた葉、毬果の弾けた羽根片、た
えまなく飛び交ってゆっくりと地に落ちた花粉、しおれて乾いた茎
や花びら、木の実やそれが落ちたあとの硬い萼、枝や幹から剥がれ
たがさがさの皮膚。森に育って死んだものたちが厚く積み重なった
窪地で、わたしたち十人は鎌を一本ずつ持った。昼の白い三日月の
ような、鈍いはがねの刃。短い木の柄が付いて、手で扱うのにちょ
うどよい、小ぶりの農具だ。厚い枯葉の中から緑の鮮やかな笹が突
き出ているのを刈っていく。分厚い死の中にはびころうとする生を
断ち切る作業を、わたしたちはおこなった。
  
カマだって? 
鎌という言葉はマガマガしい。しかし、鎌の刃は内側に反っている
から、扱いに気をつければ刃物のなかでもそう危険なものではない。
草をしっかりつかみ、向こうから手前に動かして根元を刈る。うっ
かりしていると、鋭利な刃先が、屈んだ自分自身の臑を傷つけるん
だ。長靴を脱いでごらん。どこかにけがをしていないか。
  
その鎌を腰に挿して、はじめは熊手で枯葉を掻いていく。 それは、
巨人の、骨だけになった手首のように軽い道具だ。注意深く掻き分
けると、小さな緑のものたちが隠れている。スミレの丸葉や肉厚の
単子葉たち、黒土から盛り上がろうとする、大きな緑のクリトリス
を、光と冷たい空気にさらす。十人は無言のまま鎌を使った。刈っ
たあとは大急ぎでてのひらで芽に葉をかけてやった。すると、そこ
に置いたはずの鎌が見当たりません。あわてて地面を探り、枯葉の
中から鎌を掘り出す。もう手から離さないと決心してさらに刈って
いく。集めた枯葉を大きな背負い籠に入れて、近くの堆肥槽に運ん
でいきました。ダブルベッドを横長に三倍したほどの囲い場です。
木の枝を蔓で粗く組んで、囲われただけの簡素なベッド。底は深い
のだが、今は新しい枯葉が大量に投げ入れられ、目の前いっぱいに
盛り上がっている。
  
死んだ葉の欠片が、ばらばらと落ちて浴室のタイルを汚す。襟元に
も袖口にも、靴下の中やズボンの腰周りまでたくさん詰まっている。
この乾いた香りは死そのものがたてるのか。森の墓場からだれかを
連れてきたのか。せっかく理想的な死を得た奴を、再び目覚めさせ
るなんて。あなたはずいぶん汗をかいたね。そのまま乾いて、首筋
に塩辛い黒い線ができているじゃないか。
草刈り作業が終わったとき、鎌は箕の中に九本しかなかった。何度
も数えた。十人はたしかに十人、しかし鎌は九本だった。わたした
ちは顔を見合わせて互いを確かめ合った。わたしではありません。
わたしは返しました。そこの箕の中に入れました。みんなが口々に
言った。鎌が一本足りない。でもわたしではありません。わたしは
失くしていません。すると一人の老人が言った。その人は作業の合
間に、頭がくらくらすると言って、切り株でたびたび休んでいたの
です。もし失くしたのがわたしなら、申し訳ないことをしました。
すると十人は口々に言った。いいえ、失くしたのはわたしかもしれ
ません。そうです。わたしです。
わたしが失くしたんです。
  
鎌はどこへ行ったんだ。
その刃を振り上げて、向こうを向いた人の体に突き刺せば、背中は
三日月形にえぐられて、もうかんたんに抜き取ることはできない。
それがあなたの背中に突き刺さっている姿を思うとぞっとする。誰
かと別れ話のあげく、その堆肥槽の中で見つかったって不思議はな
い。そいつがやらなければおれが殺したかもしれない。もう命はな
いんだね。
だからあなたの姿はそんなに霞がかかっているんだ。
  
十人はまた窪地に降りていって、かぶせなおした葉をもう一度熊手
で掻いてみた。溝の中もさらった。窪地の先の沼まで行ってみた。
しかし、鎌は見つかりませんでした。十人はとうとう堆肥槽の周り
に集まった。わたしたちの最後の仕事は、この堆肥槽の中に入って、
体の重みを利用して盛り上がった葉を踏みしめる作業なのだ。もう
ここしかない。鎌は葉といっしょに背負い籠に入り、運ばれて槽の
中に入ってしまったのだろう。槽の中は深く、底の方は腐って黒い
柔らかな腐葉土になっている。しかしその上は、今年の新しい枯葉
でいっぱいだ。この堆積の中から、鎌を探し出すことなどできるの
だろうか。
  
すると、枯葉のベッドには三日月型の刃が隠されているというわけ
だ。それが鎌を失くした者の報いなのか。そいつは誰を裏切ったの
だろう。マットレスの中で背中をえぐられるほど罪深いのはあなた
しかいない。
ほんとうは、あなたが鎌をなくしたのではないか。
  
みんなが手をつかねて立ち尽くしていると、さっきの老人が囲いの
横棒に乗って立ち上がり、手足を伸ばして泳ぐように堆肥槽の中に
飛び込んだ。みんなはあっと叫んだが、老人の体は頭から葉の中に
突っ込んでいて、すっかり埋もれていた。わたしたちはみんな、顔
を三日月の刃でえぐられ、血を流す老人の姿を思って息をのんだ。
すると、老人は、ゆっくりと顔だけ起こしました。彼は無傷で、雑
木林の間の空を見上げ、幸せそうに、ははあ、と笑ったのです。わ
たしたちは歓声をあげて、次々に重なるように堆肥槽の中に飛び込
んでいきました。鎌を求めて両手を差し伸べ、葉に埋もれながら笑
った。わたしたちの口や鼻や目や耳に、砕けた枯葉が微粒子になっ
て流れ込み、いっぱいに詰まっていきました。

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tubu<詩>桜を見にいく(関富士子)
<詩>甦る9月(関富士子)


桜を見にいく


 
何年も前に降りたことのある駅だ
そこを通る電車に乗る用事があって
窓外の桜はどこも満開だ
桜を見たい
帰りにその駅に降りてみた
狭い広場は工事中で
どこにでもあるコンビニとバス乗り場と交番
ここでわたしたちは手を振ってまたねと言って別れた
その人は手を振りながらぎこちなく後ろを向き
あとは振り向きもせずに行ってしまった
駅までわたしを送ってくれて
じゃあと言って早足ですぐ見えなくなった
その刈り上げた首筋のあたり
いっしょに歩きながら駅前に来てようやく
うつむいて歩く人の横顔がくっきり見えたので
少しやせた? と尋ねたのだった
その人はうつむいたまま そう見えるかもしれない と答えた
それでようやく髪が短くなっているのに気づいた
床屋に行ったのねと言ったのだったか
そのあとわたしたちはすぐ駅に着き
じゃあとお互いにうなずきながら手を振った
またねと言って もう会わないのに
この道だった駅に近いのに今も薄暗い
その人にばったり会うのではないかと思って
会ったらなんと言おうか ちょっとついでがあったもので
通り過ぎる人を意識して歩く お久しぶりですこんばんは
もう少し行くと公園があって
あのときいっしょに桜を見たのだ
満開より少し遅かった
大きな木が覆いかぶさるように夜空に浮き上がり
花が惜しげもなく散っていた
雪でも降るみたいにあとからあとから
花びらが地面に積もりかけて濃さを増していた
あまりにためらいもなく桜がみずから望むかのように
無造作に散るので
はらはらして積もった花びらを踏むのもためらわれた
このあたりだと思うのに公園は見つからない
古い住宅とアパートやマンション
もう一つ向こうの通りだったか
あんなにりっぱな桜だ 来たらきっとすぐわかると思っていた
もう満開のはずだ
その人は桜を見ずに少し離れて立っていた
おみやげの肉まんを差し出しても首を横に振るので
わたしは桜を見ながら一人で食べた
いつでも来ていいって言ったから
今はもうだめだ
あたりは暗くて表情が見えなかった
それ以上どうしたら近づけるのかわからなかった
桜をいっしょに見る約束をしたのにどうしても無理だとわかり
あきらめるつもりだったが決心がつかないうちに
つぼみがふくらみ一気に満開になった
いてもたってもいられずにその人を訪ねたら
わたしを見るなり外へ出て公園に連れてきてくれた
桜を見たいと言っていたね
わたしたちはふたりで桜を見たのだった
その公園はこの通りではなかった もう一つ向こうの道だ
まっすぐ歩いていけばその人の家に着く
もうとっくに住んでいない
あの公園のほうへ
道を曲がる

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tubu<詩>立っていたあの人は(関富士子)
<詩>堆積の森(関富士子)


立っていたあの人は


 
あの人はだれ?
踊り場の光を背にして怒りに肩をふるわせていた影
暗い階段の下でぼくの右足は折れていた
晩夏の喪中に導かれて棺の前に座っていると
五十年前に溶暗した光景が甦る
だれかの手がぼくをアパートの階段から突き転ばした
兄貴は白紙を広げて親族たちの名をしたためようとしている
供えた桃が今年の青虫を養う
南のトウヒやケヤキが伸び続けて半世紀後のぼくらを庇護している
今こそ後ろを振り仰いでもう一度その恐怖を浴びよう
首をかしげた蒼白の顔と泣き叫ぶ幼い兄弟が見える
少し曲っているが足のことなど気にもせずに生きてきた
兄貴じゃあなかったんだねほんとうは
校異のある記憶を改めたいだけだ
    
父を弔う庭で母は親族の顔も忘れかけている
桃の青虫は種に穴をあけて胚芽をむさぼる
血塊がもうすぐ彼女の脳を詰まらせるだろう
家でほんとうは何が起きていたかって?
記憶というものに幾つの校異があるか知らない わたしにとって
   父とは生きても死んでもわれわれに無力な人のことだ
   母とは憤怒に支配されるまま自分を失った人のことだ
そしておまえは記憶を消して生き延び
わたしはどんなときも忘れることができない
悲しむだろう おまえの中の足の折れた子供
それがどんなに理不尽でも
曲った足で歩いて行け これまでのように
逆光の黒い影は今もあの踊り場にさびしくふるえて
立っている

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tubu<詩>メイドの土産(坂東里美)
<詩>桜を見にいく(関富士子)
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