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                     鳥の歌(第2部)

 第2部

 捕虜の身で語りかける
 夕陽が沈みかけた頃、わずかなパンと、水の入った水筒が窓越しに投げ込まれた。むさぼるようにそれを食べると、今度はその窓から、美しい月の光が差し込まれてきた。
 格子をつかみ、窓から外をのぞいてみると、広大な砂漠を背景に、たき火にむかいながら、ライフル銃を肩にかけた男の姿が見えた。パチパチと揺れる炎をじっと見つめながら、何やら物思いに浸っているようであった。無口な男で、ほとんど何も話しかけてこない。
 まもなくして、たき火の炎が消える頃にもう一度のぞいて見ると、男は毛布にくるまって横になっていた。
 私は、なんとかして救われる方法を考えた。敵にしろ味方にしろ、援軍が来たら私は殺されてしまうのだ。今なら、この男と私しかいない。うまく男を説得すれば、解放してもらえるかもしれない。手もとに金がないので、金と引き換えに交渉することはできないが、相手の憐れみに訴えることならできそうだ。 あくる朝、格子窓から顔を出して、男に話しかけた。
「ねえ、君。聞いてくれないか。僕の故郷には、年老いた父母と、まだ小さな子供がいる。妻は戦争で死んでしまったんだ。子供は病弱で、みんな僕の帰りを待っている。もし僕が戻らなければ、みんな路頭に迷って死んでしまうだろう。だから、お願いだ。僕を逃がして欲しい。同じ人間じゃないか。わかってくれるだろう?」
 もちろん、これはすべて嘘であった。私の両親はいまだ健在であり、私は独身で、妻子はおろか、恋人さえいないのだ。
 男は、やつれた顔で、しかし眼光だけは鋭く、私の方を振り向いてにらみつけた。私はまるで、大きな蛇を前にしたネズミのように緊張した。
 しかし、男は再び、援軍がやってくるであろう方角の砂丘に視線を戻し、じっと見つめ続けた。
 試みは失敗したらしい。私は深く失望し、その場に座り込んだ。
 炎天下の砂漠の太陽が姿を消し、涼しい風が格子窓から吹いてきた。
 そして、美しく輝く月が窓から見える頃、昨夜と同じように、男は火を焚いて、その前に座り込んだ。まもなく、男が静かにつぶやくのを耳にした。
「おまえの奥さん……、死んだのか……」
 私は、男が反応してきたことに喜び、飛び上がるように格子窓をのぞき込んで、すぐに返事をした。
「そうなんだ。流れ弾が当たってしまったんだよ。本当に辛い経験だった。君はどうなんだい。結婚してるんだろう。奥さんとはどうやって知り合ったんだい?」
 男と対話を続け、何とか交渉に持ち込もうとして、とにかく何でもいいから質問をぶつけてみた。
男はポツリ、ポツリと、木訥とした調子で語り始めた。

 敵の想い話
「妻とは、私が兵士として軍隊に入ってまもなくのこと、故郷の森で知り合ったんだ」
 それは、夏休みに故郷へ帰り、森を散歩していたときのことだった。ひとりの美しい少女が、木の下で手を合わせていたという。どうかしたのかと尋ねると、飼っていた鳥が病気で死んだので、木の下に埋め、天国に行けるよう祈っていたのだという。
「あのときが、私の幸せの始まりだった……」と男はいった。
 二人は、まさに相思相愛の一目ぼれで、それから夏休みの間じゅう、毎日、森の中で一緒に過ごした。それは戦争で混乱していた状況の中において、まさに平和で幸せな毎日だった。
 けれども、夏休みが終わり、男が軍隊に戻るために故郷を離れなければならない日がやってきた。前日、少女は森の中で悲しそうにつぶやいた。
「いつまでも、ここに残れないの?……」
 少女は、遠回しに、軍隊を辞めて欲しいと頼んだのだった。男は返答に困り、うつむいて黙り込んだ。それを見て少女は明るさを装い、木の枝に止まっている一羽の鳥を指さした。
「ねえ、知ってる? あの鳥は、ピース、ピースって鳴くのよ」
 その鳥は、少女が木の下に埋めた鳥と同じ姿をしていた。男は一瞬、死んだあの鳥がよみがえったのではないかと錯覚した。

 兵士としての任務
 そんな彼の話を聞いて私は思った。こうした話をするこの男は、私が思っていたよりも人間的で、戦争よりも平和を望んでいるのではないかと。「もしかしたら」という望みが再び燃え上がり、私は興奮した。
「君の奥さんのいう通りだよ。大切なのはピース、平和だよ。だから頼む、今すぐここから逃がしてくれないか!」
 こう私が叫ぶと、しかし男は決然として立ち上がり、格子窓に顔を近づけて怒鳴った。
「それはダメだ。私は兵士なのだ。兵士がその任務を遂行しなければ、私は兵士ではなくなってしまう!」
 その口調の激しさに圧倒されたが、私はなおも食い下がった。
「いいじゃないか。僕は人間としての君に頼んでいるんだ。兵士としての君ではない」
「ええい! うるさい! 黙れ!」
 男は狂ったように、もっていたライフル銃で格子をガンガンと叩いた。私は、それ以上、何もいえなくなった。
 捕虜となって三日目の朝がやってきた。援軍はまだ来そうもない。男は外で見張りを続けた。
 私は男を説得して解放されたいという願いを捨てきれなかった。しかし、昼間はあまりにも暑いため、私も、おそらくあの男も、何も話をする気にはなれなかった。昼間はほとんどお互い、無言のまま過ごし、月が天空に輝く夜になってから、私たちはポツリ、ポツリと話を始めた。月夜というのは、誰かに心を打ち明けたくなるような、不思議な力を放っているようのかもしれない。

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