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                     鳥の歌(第3部)

 第3部

 息子に託した父の復讐
 その日の夜、いつものように、ゆらゆらと揺れる焚き火の炎を瞳に映しながら、男はまるでひとりごとのように、自分の生い立ちを話し始めた。私は、ときには格子窓から男の顔を見つめながら、ときには座って壁によりかかり、月を見つめながら、男のひとことひとことに耳を傾けた。
 男の父親も、兵士だった。
 男の祖父、つまり父親の父親は民間人だったが、戦争で敵の民族に殺されたのだった。まだ若かった父親は復讐を誓い、軍隊に入って兵士となった。
 だが、すぐに戦闘でひどい傷を受け、一命は取り留めたものの、二度と兵士にはなれない体になってしまった。そのため、父親は息子に兵士になることを望んだという。
 いや、望んだというより、それはむしろ命令であった。口答えを許さない暗黙の命令。父親は自分が果たせなかった復讐を、息子を通して果たそうとしたのだ。ゆらゆらと揺れる焚き火の炎を瞳に映しながら、男はいった。
「父が私に教えれたのは、敵に対する憎しみ、憎悪だった。私は大きくなったら敵をやっつける兵士になるんだと決意した。その言葉を耳にするたびに、父は喜び、私を抱き上げてくれた。私は父が大好きだった。私が今日あるのは、父のおかげである。父が愛していたのは、兵士としての私だったのだ」
 男の話はそこで途切れ、しばらく沈黙が続いた。
 今度は私の方から、そっと話しかけた。
「君は、本当はやさしい男なんだ。僕はそう思う。君は僕を殺すといったけど、君には殺せないよ。きっと、僕を助けてくれると思う。僕は君の人間性を信じているよ」
 すると男は、突然、別人のようにケラケラと笑いながら、焚き火の炎が映って真っ赤に燃えている瞳を向けながらいった。
「おまえは、この間まで戦場なんて経験したこともない民兵だから、わからないのも無理はない。軍隊というところは、人間を殺人の機械にしてしまうところなんだ。軍隊というところは、別の人格を作る場所なんだ。なるほど、いまの私は、ひとりの人間としておまえに語りかけているから、おまえを殺せないかもしれない。だが、私の中には別の人格が住んでいるのだ。それは、軍隊生活で作られた兵士としての人格だ。兵士の人格が出てきたら、私は平気で人を殺せる、いや、殺さずにはいられなくなるのだ。信じられないかもしれないが、体が勝手に動いてしまうのだ。自分ではおさえきれない。兵士の人格は、敵を人間だとは思っていない。敵は単なるモノだと思い込まされている。だから、平気で殺せるのだ。殺すというより、駆除なのだ。悪い虫を殺すのと同じ感覚、そう、単なる駆除なのだ。だから、何の感情もなく平気で人を殺せるのだ。それが兵士の人格なんだ。そんな人格を植え付けられてしまったのだ。それが軍隊というところなんだ」
 男は、たまっていたものを吐き出すかのようにしゃべり続けた。 私はその気迫に圧倒されながらも、必死になって反論をぶちまけた。
「いや、しかし人間には、自由意志というものがある。どんなものも、人の自由な意志を奪うことなんてできない。君は自分自身に対する支配者であって、奴隷なんかではない。君が許しさえしなければ、君は誰にも操られることなんてないのだ。君の自由な意志を奪い去るものなんて、存在しないのだ」
 それでも男は、私をはるかに越えるけんまくでまくしたてた。
「おまえは最前線の戦いがどんなに恐ろしいものか、まるでわかっていない。耳が破れるほどの爆音が響き、本当に血の雨が降ってくるんだぞ。次の瞬間には自分が死ぬかもしれない状況の中で、いったいどうして正気を保つことができるというのだ。恐怖がなければ、人間は理性や人間性を保っていられるかもしれない。だが、戦場というところは、恐怖そのものだ。あまりの恐ろしさに、どうしたらいいのかわからなくなってしまうのだ。そのとき、軍隊で作られた人格が出てくるんだ。まるで悪い霊にでも憑依されたかのように、人間が変わってしまうんだ」

 人間としての愛
 捕虜となって、三日目の夜がやってきた。
 昨夜の興奮した様子とは違い、今夜の彼はしおれた草のように物静かだった。
 私は座ったまま、小さな窓からのぞく月を見つめながら、静かに語りかけた。
「君のお父様は、兵士である君を愛したかもしれないけど、君の奥さんは、ありのままの君自身を愛してくれたのではないのか? 兵士としてではなく、人間としての君を」
 しばらくして、物憂げな男の声が聞こえてきた。
「そう、妻はまさに、人間としての私を愛してくれた……」
「君の奥さんの話をもっとしてくれないか。いつ結婚したんだい?」
 あれから、少女は男の兵舎がある街にやってきて一人暮らしを始めた。当時、その街はしばしば戦闘の舞台になっていたので、男は少女が来ることには反対だった。少女の両親も、親戚知人もすべて反対したが、少女のひたむきな愛を妨げるものは何もなく、結局のところ、親や親戚すべてと離縁して男のもとにやってきたのだった。まもなく二人は街の教会で結婚式をあげ、小さな部屋を借りて生活を共にするようになった。妻は夫の職業について口出しすることは決してなかったが、愛に満たされた平和な生活をするうちに、夫は兵士という仕事が自分には向いていないように感じるようになっていった。
 だが、父親から受けた呪縛は強く、兵士を辞めることはできなかった。幸いにして、戦況もやや落ち着いてきた時期で、何度か戦地に駆り出されたものの、戦いらしい戦いもなく、いつも無事に愛する妻の待つ家庭に帰ってくることができた。
 とはいえ、留守の間、戦場の夫を案じる妻の気苦労は、並大抵のものではなかった。それでも、そのことで愚痴をいうことは決してなかった。男は、そんな思慮深く心優しい妻を、深く愛し、大切にした。二人はいつもお互いに対して自分の気持ちよりも相手の気持ちを優先した。二人を結び付けてくれた神に感謝の祈りを捧げないで眠りについた日は、夫婦となってから一日としてなかった。
 まもなく、男の父親が突然の病気に襲われ、昏睡状態のまま死んでしまった。男は少なからずショックを受けはしたが、奇妙なすがすがしさも同時に感じる自分に気がついた。自分に兵士となるよう強制してきた父親から自由になったという感覚だった。男は、まるで鳥にでもなったかのような解放感を覚えた。男は何のためらいも感じることなく軍隊をやめ、小学校の音楽の先生になったという。
「君が音楽の先生だって? それは意外だなあ」
 いかにもがさつに感じられるこの男が、子供たちに音楽を教えている姿など想像がつかなかった。何となく愉快だった。信じられないといった顔をしていると、
 すると、男は懐から何かを取り出した。
「これは、妻が愛用していたオカリナだ」
 男は静かにそれを吹き始めた。

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