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愛犬たちの葬儀と供養・人間との共葬



愛犬の供養について

神様の「GOD」を逆に読むとどうなるか、そう、DOG・犬になる。もちろんさまざまな説があるが、犬は神様から人間への贈り物。愛をあるがままに受け入れ、まっすぐな愛でこたえてくれる純粋で無垢なワンコたち。太古の昔から人間の良きパートナーとして一緒に暮らしてきた。その魂は天界で手厚く迎えられるに違いない。一方、犬の埋葬跡は古くは縄文時代のものがある。人間は犬に愛情を注ぎ、心を込めて葬り、祈りを捧げてきた。では現代ではどのように供養すればいいのか、いろいろと調べてみた。

■供養の本質は、愛する存在を忘れないこと、共に生きること。そして供養とは心を捧げること。心が伴っていなければどんな供養も意味をもたない。形式にとらわれず、「あの子にしてあげたい」と思うことをすること。それが最高の供養となる。また人によって感情表現が異なるように、悲しみもまた、個人差がある。生きている飼い主の気持ちが少しでも安らぐ方法をとることも必要だろう。愛犬の遺骨は手元に置いておいても良い。納骨しないと成仏しない、ということはない。ただし、生きるものは土から生まれて土に還るので、いつかは土に還したほうがよい。
■人間の供養は宗教・宗派によってさまざま。しかし動物用のお経はなく、「馬頭観音の真言」が相応しいともいわれている。また愛犬の供養は決まった供養方法もなく、「形式的にこれを行えばいい」というものではない。写真を前に、手を合わせ心を込めて冥福を祈ることができれば、読経やお線香がなくてもいい。死を受け入れ、「今まで楽しい時間をありがとう。天国でゆっくり休んでね、幸せになってね」と祈ることで成仏できる。また魂の平安に加えて、良い転生・良い来世を願うことも大切。生前好きだったドッグフードやおやつは、何年たっても封を切ってお供えするのがいい。愛犬はその風味を感じ、自分が貰っていることを喜び楽しむ。

参照/犬の精神世界と死後の行方

那覇の葬儀施設/フラン(左)とナッツ(右)の四十九日法要


亡き愛犬フランの場合


参照/私と愛犬たちの記録 (フランの供養などを記述)

通夜
私の腕の中で逝ったフランを布団に寝かせ、タオルをたたんで枕にし体をきれいに拭いた。そして鼻の穴などに脱脂綿を詰めた。最も体液が出てきたのは鼻の穴。何度も何度も取り替えた。あとはひたすら「ありがとう」と感謝の言葉をかけ続けた。フランの身体は5時間ほど経つと冷たくなりはじめ、死後硬直も始まってきた。目が少し開いていていたので、硬直が始まる前にテープで目が閉じるようした。死後24時間ほどは腐敗がはじまらないようなのでドライアイスなどは用意しなかった。
施設手配
フランの場合は余命宣告を受けていたので、もしもの場合に備えて24時間対応の施設を調べておいた。沖縄の場合は火葬も行える葬儀施設が一般的。電話すると翌朝の時間帯のみが空いていたので予約。もっとフランの傍にいたかったが、翌朝が空いていてくれてよかったのかもしれない。何故なら、空いていなければ冷凍保存してくれるが、それはどうしても避けたかったからだ。また予約した葬儀施設の決め手は、骨をパウダー化することができること。高温多湿の沖縄、とくに私の場合は海の真ん前に住んでいるため、パウダー化しないと骨にカビが付着してしまう。これはできる施設とできない施設があり、分骨用のかわいい容器を揃えていない施設もある。尚、火葬には個別葬と合同葬がある。合同葬は火葬の日程などすべて施設まかせ。遺体を冷凍保存して合同で火葬するため、その分、費用は安い。フランはもちろん個別葬でお願いした。
火葬
フランの体を大きなタオルで包み、車に乗せて葬儀場へ。途中、フランが遊んだ公園など思い出の場所を立ち寄りながら行った。また念のために、24時間営業のスーパーで献花用の花を用意した。葬儀施設ではフランをかごに横たえて献花。お経が流れる中、セレモニーを行った。ひたすら「フラン、ありがとう。天国でゆっくり休んでね」と、感謝の言葉をかけ続けた。
お骨
約3時間後、フランは身体の形をした骨となって戻ってきた。すべての骨を箸で拾い、容器に入れて、パウダー化をお願いした。約30分後にパウダー化された骨は、待ち時間に選んでおいた骨壺と分骨容器(カプセルや専用装飾容器)に分けて入れてもらった。パウダー化する意味は、分骨しやすいことと室内管理時のかび対策にある。沖縄は高温多湿のために、骨に「かび」がついてしまう。また将来、散骨のことも考えてパウダー化した。
納骨
容器に入れた分骨は家に持ち帰り、骨壺は施設内の供養棚(年間契約)にて供養することにした。供養棚は「霊廟」のようなもの。棚の区切られたスペースが「ひとつのお墓」という考えとなっている。どのスペースも写真や名札、水とフードにおやつ、おもちゃ、ぬいぐるみ、花などで飾られ、飼い主さんの個性と愛情があふれる供養棚ばかり。フランも同様に、後日、寂しくないような飾りを施した。ちなみに私は供養棚としたが、家に骨壺を持ち帰ったり、ペット墓地にお墓を設けたり、施設内の合同墓に納骨したり、と人それぞれ。私はいずれ沖縄を離れるつもりなので、骨壺を移せる必要があったため供養棚を契約したが、他の理由もある。月一回の慰霊祭時、棚の前で個別に読経してもらえる。また多くのペットたちが葬儀施設らしい雰囲気の中で眠っているので、安らぎが得られ、寂しくもない。尚、供養棚をいつまで利用するかの決まりはなく、人それぞれ。1年を超えて3回忌まで、という説もある。
届け出
愛犬亡き後の手続きは、市役所に出向いて死亡届を提出するのみ。提出時に「鑑札」を返還することなっているが、申し出れば遺品として持っておくこともできる。ちなみに火葬か土葬かを聞かれた。自分の敷地内であっても、衛生面から土葬は問題があるようだった。尚、鑑札と分骨カプセルはナッツの散歩バッグに取りつけ、写真も入れている。
家の祭壇
沖縄でもペットの供養用具店があるほど需要はあるが、ペットに仏壇はいらないという人もいて、考え方は人それぞれ。私の場合は、常にフランを感じていたいので、適した棚を買ってきて、写真とかわいい容器に入った分骨を置くための祭壇を設けた。他にお花・おもちゃ・フード・おやつ・お水・鈴。棚の下には遺品箱なども置いている。毎朝毎夕にお供え物をして、写真のフランと話すことが私の日課となっているので、私にとって祭壇は必要不可欠なもの。
<祭壇とは>
神や霊に祈りを捧げる場。仏像などを用いた仏式、他に十字架を用いたキリスト教式、神式、その他宗教・宗派による形態がある。もちろん形式にとらわれず、写真とお花、お供え物といった形でも問題ない。要は気持ちの問題なので、とくにペットの場合は「ペットが喜ぶだろう」と考えることが一番。お花は「切り花」でも「鉢植えのお花」でも大丈夫。ただし「切り花は面倒…鉢植えのほうが楽」と思ってはダメ。愛犬の場合だと「大好きだった土の香りをかがせてあげたい」、「散歩気分でお花をクンクンしてもらいたい」、といったことで鉢植を選択することが大事。
儀式
儀式には人間同様に初七日、四十九日、100か日、一周忌、3回忌、7回忌などがある。人間と同じ儀式が必要かどうかは、飼い主の想い次第。人間同様、最も重要とされるのが四十九日。私の場合、初七日は、葬儀施設にお線香をあげに行ったが、四十九日だけはきちっとしようと考えた。フランが天に還る日とされ、無事に成仏してもらうのが私の使命でもあるから。なので施設専属の住職を個別で招いて、フランのための四十九日法要をお願いすることにした。尚、通常は火葬した後、骨壺を家で保管。その後、骨壺を四十九日以降の慰霊祭に持参して四十九日の供養を合同で行う。ちなみに住職の亡き愛猫もこの施設に納骨しているとか。
貢献
フランを亡くしたことで、犬たちのために私ができることは何か、を考えてみた。人間のためには年3回の献血を欠かさずに行っている。ワンコたちのために私にできることといえば、保護犬の里親さんが決まるまでの間、一時預かりをして愛情を注ぐことぐらい。ナッツを看取った後に実行したい。フランもナッツもきっと喜んでくれるだろう。また殺処分前の保護犬を引き取り里親さんを探すなどする動物保護団体に、僅かながらでも寄付していくことにした。
永遠に
私が死んだ場合、愛犬たちのお骨はどうすべきか。もし私が沖縄で逝ってしまった場合、私の骨とともに沖縄の海に散骨してもらおうと考えている。昨今、沖縄散骨が注目されているため、散骨業者も増えてきている。また関西に戻ってから死んだ場合、沖縄にはペットと共に入れるお墓はないが、関西圏にはいくつかの永代供養霊園があるため、愛犬たちと一緒のお墓に入ろうかな、とも考えている。もちろん、関西に戻ったとしても愛犬たちが暮らした沖縄に散骨するのもいいだろう。いずれにしても、私が死んだ後も愛犬たちと永遠に一緒にいたい…。


亡き愛犬ナッツの場合

帰宅

病院で亡くなったナッツ。朝の7:30に病院から電話があった…9時にナッツを迎えに行くと、既に準備されていた。白いダンボールの棺桶ボックスに入れられたナッツ。その表情はびっくりするぐらいにおだやかで、首にはリボン、箱の中にはお花やフードがかわいく添えられていた。ただひとつ気になることがあった。体はきれいにお湯で拭かれていたものの、ナッツの内股の皮膚がめくれて痛々しかった。動けなかったことから、ずっと伏せ状態。肛門や尿道が開きっぱなしのため、おしっこやウンチが垂れ流し状態。そのために皮膚が蒸れたり擦れたりしてしまったのだろう。内股を見るたびにナッツの頑張りが感じられた。また鼻やお尻などから血の混ざった体液が流れ、白い吸収シートを汚していた。
お通夜
家に帰ると、フランの祭壇の前に「お通夜用の祭壇」を急遽作り、白い箱に入ったまま横たえた。ナッツが大好きだった焼き芋やイチゴ、献花などを用意。また供養棚や家の祭壇に飾る写真なども用意した。そうした準備を終えてからは、ときどき体液で染まったシートを取り替えつつ、ひたすらナッツの体をなでたり、楽しかった思い出話をしたり、感謝の言葉をかけたり、フランにナッツのことを頼んだり…、翌朝までずっと一緒にいた。本当にナッツの表情はおだやかで、話しかけるたびに耳が反応したり、目尻が笑ったり、今にも起き上がりそうになったり…と妄想してしまうほどに、亡くなっているとは到底思えないような穏やかさだった。
葬儀
フランと同じ葬儀施設に既に予約を入れておいた。日の出を迎えるころにお通夜を終え、ナッツを車に乗せ、ナッツの思い出の地を巡りながら、朝9時に葬儀施設に到着。フランがお世話になっているので、スタッフさんとは既に顔見知り。セレモニーなどが粛々と執り行われた。またフランと同じように、収骨したお骨はパウダー化し骨壺と分骨容器に分け、骨壺はフランと同じ供養棚に収めた。もちろん、フランと同じく、四十九日の個別法要をお願いしてきた。結果的にフランもナッツも葬儀は土曜日、ということとなった。希望通りの日時に葬儀ができて良かった…ナッツの身体を冷凍することなど考えられないから。
儀式
フランと同様に、ナッツも個別に四十九日の法要を行った。読経の中、天界での幸せと感謝をひたすら祈った。

参照/私と愛犬たちの記録<5> (ナッツの供養などを記述)


今まではフランの祭壇であったのが、今日からはフランとナッツの祭壇になった。写真も二つ、分骨も二つ。お供え物はナッツのおやつとなっていたが、これからはそのようなことはない。ナッツと一緒に座って、フランの祭壇を拝むこともない。そんな当然のことも心に重くのしかかってくる。
今までナッツとフランと共に生きてきた。2人がいることが生きる目的となり、生きる力となっていた。フランが抜け、その1年半後にはナッツが抜け、今後私はどうすればいいのか…。
そんな基本的なことから考え直さなければならない…。昔からの友人からのメールには、「死んだらダメよ」という一文が書かれていた。もちろん、ナッツやフランに笑われないように、二人に恥じない生き方をしないと…。

フランとナッツと暮らすことができて、本当に幸せでした。
そして、ウチの子は、天使そのものでした。

※いつもの生花店で偶然見つけたクマのぬいぐるみ。ナッツとフランはアニマルコミュニケーターさんによると過去世で子熊の兄弟の時期もあったとか。そんなことからクマさんたちを迎えることにした。


心ない社会に心が折れないように

愛犬が亡くなった際、葬儀や悲しみのために仕事を休む人は多くいる。ところが「愛犬が亡くなった…」と休む理由を会社に告げると、冷たい視線を浴びることがある。「たかが動物…」「また飼えば…」といった心ない言葉を使う人もいて、正直に話したことを後悔することもある。そうした体験をした人が私の周りに何人かいるぐらいだから、きっと大勢の人が落ち込んでいると思う。そんな心ない社会を目の前にしても、けっして心を折らないでほしい。あなたの悔しさを分かる人はたくさんいる。そしてあなたは正しく、心優しい人なのだから…。


人間と愛犬の共葬

かけがえのない亡き愛犬とともに眠りたいという人は年々増加の一途。共葬というのは、人間と愛犬が同じ場所に納骨されるのが基本。同じ敷地内にペット霊園があるケースは含まない。一方で愛犬たちは遺骨への執着もなく、人間が行う儀式にも関心がない。つまり、愛犬たちは「お骨のことなんてどうでもいいよ」と思っているのかもしれない。しかし愛犬たちへの私の思いなので、執着といわれようが、自分が納得できるようにいろいろと考えていきたい。

樹木葬と海洋散骨
愛犬との共葬墓地には最近流行りの樹木葬もある。理想は土に還ること。なので一見好ましく思えるが、現実は異なる。遺骨を骨壺または骨袋に入れて、土の中に作られた「納骨室」に入れる。つまり土に還るわけではなく、普通のお墓とあまり変わらない。定められた期間が過ぎると取り出されて合祀される場合が多い。数は少ないが、溶ける骨壺や自然素材の袋を、直接土の中に埋める本来の樹木葬もあるようなので、事前に確認することが必要だ。
そんなことを考えていると、土に還る最も直接的な方法は、海洋散骨かもしれない。ただ、完全に消滅してしまうので、少し寂しいと思う人もいるだろう。一方で、愛犬たちの位牌を作り、お寺に納めて永代供養する形があることを知った。永代供養をした上で、私の骨と一緒に海洋散骨する方法はどうか…など、あれこれ思案している。

愛犬との共葬墓地
犬と人との共葬墓地について、法律的には制約がない。その理由はあまりにも悲しいのであえて書かない。また仏教墓地では、宗教上の考え方の違いによって真っ二つに分かれる。全体から見れば少ないが、共葬墓地を認める住職の考えは「仏教の教えでは人も動物も転生を繰り返す同じ命。動物もいずれは進化して人となる。命としての区別がなければ拒む理由はない」というもの。共葬に理解があるものの「既存の墓地なので、檀家の了承を得るのが難しい」という住職も多い。一方、認めない住職は「仏教の六道の中には畜生道もある。一緒に葬ると故人が成仏できない」という考え。同じ仏教でこの違いはなんだろうか…。
<沖縄の場合>
私の住む沖縄では、ペットと入れるお墓がひとつもない。しかし多くの要望があることから、やっと一歩を踏み出そうとしている。沖縄初の共葬墓地が検討されていて、今から数年後の2023年頃には結論がでるらしい。この公益団体では沖縄各地に大規模霊園を展開しているが、既にお墓を設けている人の承諾が必要となることが最大の壁だという。
◆2023年1月、上記公益団体に確認してみると、ペットとの共葬墓地の検討は「断念」との結論。残念…。
◆2023年4月、いずれ関西に戻ってもいいと考えていたが、愛犬たちと暮らした沖縄で最期を迎えつもりでいる。ただし先のことはまだ見通すことができない。尚、今のマンションの管理規約では保護犬の一時預かりは難しいらしいので諦めることにした。