川俣林道を歩く

川俣林道を歩く


1994/3/5
また見たくないものを見てしまった。できるだけ見たくないものに 近づかないように散歩しているのだが、突然予期せぬ風景にぶつか ってしまうことがある。

その道は、清里駅前からミルクさんの横を小海線に沿うように大泉 に通じている。舗装されぬ道が急に歩道も広く確保された舗装道路 になる。南側に醜く癌細胞の増殖のように拡張されつつある県立ゴ ルフ場のグリーンが見え、舗装道路は小海線とゴルフ場に挟まれた かたちで走るのだが、すぐまた砂利道になってしまう。この説明つ かぬ部分的舗装が、多分推測するに小海線と平行になる部分だけを 実施しているところから、ゴルフ場との釣合をとるべく小海線から の乗客に良く見せようという馬鹿げた発想からなされたのだ。

さて、本当に見たくないものがその先に待っている。道は川俣渓谷 の沢に至る。そこは雄大な八ヶ岳から川俣渓谷に展開される見事な 風景を展望できるのだが、そこで何が起きていたか。

川俣渓谷の深い沢のすぐそこまで、醜悪なゴルフ場は拡張され、そ のゴルフ場に沿うかのように、清里高原有料道路という名の工事 が進行していたのだ。現地で確認すれば、その道路は確実に川俣渓 谷を破壊することが解るだろう。学者もジャーナリストもすぐそこ に行って見るべきだ。

   国道141号線の渋滞緩和を名目に(多分関係ない)、もう数少な い手を付けてならぬ場所である川俣渓谷を破壊しつつある。


1995/12/7
バブルが弾けたはずなのに、清里はあっちを掘り返し、こっちを掘り 返し、大規模開発が進んでいるのだ。好きな散歩もしなくなった。歩 いているうちに見たくない光景や、清里の粗捜しをしている自分に嫌 気がさしたから。それでも、11月という季節は、散歩の季節で、落 葉の感触を求め歩きたくなるのだ。

川俣川の沢はどうなっているだろうか。救いようのない工事で、死滅 しつつある沢は、小海線上から一部見えるけれど、その沢に架けられ る橋は何処なのだろう。国道141号線の渋滞緩和を目的にされてい るというその有料道路が、なんら渋滞緩和に関係しないことが、既存 の道路体系を調べてみれば素人でも解る。最も工事費がかかるだろう ルートがよりによって選ばれ、自然破壊も最大値になりうる場所が選 択されている根拠はなんなのか。

それは現地に行って見ると一挙に解答が得られる。そこは、県が開発 した施設群があり、非常に景色がいい場所だからなのだ。極論すると、 県は自らが開発した施設群へ、より車を誘導しやすくするために、最 大の工事費と自然破壊になりうる場所を有料道路にしているのだ。そ れが清里の観光にプラスになるかといえば、そうとも言えず、駅前を 中心とした観光施設群は、たぶん頭越しに県が開発した観光施設群に 観光客を奪われていくだろう。

下念場にあるペンションのアースアートさん辺りから、川俣川の沢の 森に入ってみる。百メートルも入ると、森の視界が開け、向いの沢が 見える。目を北側に向けると雄大な八ヶ岳の山塊が沢を跨いでいる。 実に見事な形をしている。近すぎても遠すぎても見ることの出来ない 最適な距離の八ヶ岳がそこにあった。そして、その美しい八ヶ岳を背 景に持つ沢に架かるであろうの基礎工事が始まっていた。そんな 所に橋を架けてはいけない場所に、どう見ても金のかかりすぎるとこ ろに、その橋は架かろうとしている。

そして、誰も何も言わない。環境教育を実践しているという組織も何 も言わない。足元まで破壊が進行しているのに。そんな権力に飼い慣 らされた環境教育などないほうがいい。

良い子新聞(朝日新聞甲府支局)も何も書かない。アメリカで生まれ た環境教育の原点が地域の水質監視であったとその新聞は書きながら、 それさえも政治的に回避している清里での環境教育を支持してしまう のは、結果的に権力に飼い慣らされた報道機関と言うことになるのだ。 少なくとも、まともなジャーナリズムは、環境教育の原点さえ満たさ ない環境教育でさえないものを厳しくチェックするはずで、チェック すべきものをチェックせず、チェックしてもしなくてもいい、どっち でもいい、公害などではない光害を、本来なら大気汚染という大いな る環境問題を、星のロマンなどという安っぽいメロドラマに仕立てて 紙面を埋める程度の新聞なのだ。