五行推命学研究所
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■五行学歴史年表・日本篇(3)  明治時代(1868年)〜昭和時代@−戦前(1945年)
2009/11/20更新

西暦
年号
干支
出来事










 
1868 明治1 戊辰 明治維新。明治政府が成立する。 

○9月20日、明治天皇御一行、東京遷都で京都から東京へ出発。

○天文方は幕府とともに消滅する。編暦は一時的に土御門家に戻るが、明治政府は新しく天文局を作り、改暦を検討。

○盛岡暦発行。
1869 明治2 己巳 ○10月6日、土御門晴雄、没す。43歳(西暦11月9日

○幕府の天文台が破却される。

○長野卓之允、暦注を迷信として削除することを建議する。

○津田真道、年号を廃止し、皇紀(神武天皇即位紀元)の制定を建議する。

○市川斎宮、東洋的太陽暦の作製を建議する。
1870 明治3 庚午 ○「大政太政官布告」によって「陰陽道禁止令」が発布される。
 →宮中の祭祀等からも陰陽道が外されることになり、この年、陰陽道は歴史の舞台から、その姿を消した事となる。

○2月22日、天文暦道が大学の管轄となり天文暦道局(後に星学局と改称)が設置され、土御門家が御用掛に任命される。

○閏10月、天社神道(土御門神道)が明治政府によって禁止される。

○12月、土御門家が大学星学局御用掛を罷免される。 (『土御門家譜』

○九鬼盛隆、紀州九鬼の浦で生まれる。
 →五行易(断易)中興の祖。古神道家、心霊研究家。五行易の名著『断易精蘊』と『断易真義』の二冊が有名。

○土御門晴栄、貴族院議員となる。
1871 明治4 辛未 ○日本初の午砲がなされる。
1872 明治5 壬申 ○3月、頒暦商社が設立される。

○4月15日、賀茂保源(やすもと)、没す。 (享年57歳。西暦5月21日、陰陽師、暦博士。

○11月9日、大政官布告令によって、グレゴリオ暦採用を発表。グレゴリオ暦と共に、昼夜各12時の新時刻法も採用される。

○11月25日、皇紀(神武天皇即位紀元)を制定。

○陰陽道は政府から禁止される。 

○神武紀元の制定。
1873 明治6 癸酉 ○グレゴリオ暦に改暦。 (明治5年12月2日の翌日を、明治6年1月1日とする

○9月8日、伊藤耕月、生れる。出生地:鳥取市取人町。
 →四柱推命学、神祥館・館長、松本義亮の弟子。

○9月9日、吉田江沢、没す。(享年75歳。天文家
1875 明治8 乙亥 ○編暦事務が文部省から内務省へ移管する。

○東京気象台が設立される。
1876 明治9 丙子 ○秋、高島嘉右衛門、45歳の若さで隠退を決意し、大綱山に隠棲して易の研究に専念。 →そこで『高島易断』『易学字典』他の著作をする。

○園田真次郎、群馬県桐生市にて生まれる。 (九星気学の創始者
1878 明治11 戊寅 ○9月、京都・晴明神社の式年祭の折に、社殿を整備改修する。

○11月26日、村田明哲、没す。 (享年63歳。幕末の天文家、仙台藩士

○観象台(東京天文台)が東京大学に建設される。
1879 明治12 己卯 ○5月19日午後10時、高木乗(初代)、茨城県水戸市根積町に生まれる。(閏3月29日) 本名:清水孝教(たかのり)(己卯年/己巳月/壬寅日/辛亥時
 ※高木乗自らが公表しているのは「4月20日だが、初代没後に三男の二代目高木乗が会報上で、本当の生年月日として公表したデータによる。
 →命学家。命理学(高木流四柱推命学)を提唱。他に六壬神課、断易(五行易)、梅花心易、人相(高木相法)、家相、姓名学(姓名占象法)に通ず。「命理学会」会長。元新聞記者(時事新報他)で詩人。刀剣鑑定家としても著名。詩人・刀剣鑑定家としての号は橘村(きっそん)。“高木乗”は四柱推命におけるペンネーム。
 ※高木乗(清水家)の祖先は常陸太田地区の出身で、古い云い伝えでは平将門の一族であったとされている。祖父は武術の師範役で、明治維新前に京都倉奉行の重役となり、死しては皇居墓所である京都月の輪湧泉院の中の一院の、しかも夭折した明治天皇の姉君の御墓所の真ん前に葬られたとのこと。
1880 明治13 庚辰 ○西洋手相術が日本に伝えられる。

○『三正綜覧』が内務省地理局から初版出版される。
1881 明治14 辛巳 ○5月5日、熊崎健一郎(後に戸籍名を健翁に変更)、岐阜県恵那郡三郷村に生れる。  (辛巳年/癸巳月/己亥日
 →熊崎式姓名判断、易学、「五聖閣」を設立。元新聞記者(時事新報他)で熊崎式速記術の発明者でもある。熊崎式は早稲田式速記法の成立にも影響を与えたとされる速記術。

○11月15日、布谷章山、香川県高松市南新町で生まれる。
  (辛巳年/己亥月/癸丑日
 →虎門流四柱推命。大阪天翔館・館主(2代目)。本名:布谷庄次郎。鑑定書を達筆な毛筆で書き、朝田啓郷は1970年代の鑑定では第一人者と称えていた。
1882 明治15 壬午 ○高島嘉右衛門、『高島易断』の執筆を始める。

○西澤宥綜、滋賀県で生まれる。
 →四柱推命(泰山系)。暦学と陰陽暦日対照を重点に研究し、『暦日大鑑』(叶V人物往来社)などを著わす。

○神宮司庁が頒暦権を収得する。
1883 明治16 癸未 ○神宮暦の第一回頒布が始まる。

○一枚刷りの略暦が自由になり、急速にはやる。
1884 明治17 甲申 ○“こっくりさん占い”が米国から日本の伊豆下田に上陸する。
 →西欧では”テーブル・ターニング”と呼ばれ、14世紀〜15世紀頃には行われていて、19世紀に大流行していた。下田沖に漂着した米国船の乗組員達が下田に上陸した折に、下田の人達にして見せたことが始まり。テーブルが「こっくり、こっくり」と傾くことからこの名が付けられたが、後に「狐狗狸」とも書くようになる。

○神田孝平、立春・正月、週制保存の改暦案を発表する。
1885 明治18 乙酉 ○一時中断していた南部盲暦が復活する。
1886 明治19 丙戌 ○7月10日、高嶋象山、岡山県に生れる。
 →本姓は牧、高嶋易断創始者。(※易聖・高島嘉右衛門とは、関係はない。)

○『高島易断』が刊行される。
1887 明治20 丁亥 松本義亮、「淵海子平」「星平会海」を研究し、日本的「四柱推命」を完成する。

○”こっくりさん占い”が大流行し、これが社会問題化する。
 →東本願寺の僧・井上円了が”こっくりさん”現象を多くの実験によって解明する。それは、人間の無意識が生み出す筋肉運動によるものであるとした。

○大阪において、活版刷りの略歴(カレンダー)が広告入りで、製作される。
1888 明治21 戊子 ○4月29日、阿部泰山、淡路島で生まれる
 →『阿部泰山全集』(22巻)の著者で推命学の大家。父は漢学者であった。

○高島嘉右衛門、『高島易断』を英訳させて、米国シカゴでの世界宗教会議に提出する。

○東京天文台で編暦事務を開始する。

○寺尾寿、改暦案を発表する。

○「日本標準時」が東経135度の子午線の平均太陽時とする。

○それまでの内務・海軍・文部の天象観測事業を統合、東京天文台を設立する。
1891 明治24 辛卯 ○2月3日、諸口悦久、福井県で生れる。
 →元俳優(諸口十九)で晩年は”現代五行易の祖”の一人と呼ばれる。
1892 明治25 壬辰 ○高島嘉右衛門、実業界に復帰する。 
1893 明治26 癸巳 ○土御門家を総裁とする「陰陽道本所」が京都府の認可を得て創立される。(『若杉家文書』)
1894 明治27 甲午 ○8月1日、日清戦争が勃発。(この日、清に宣戦布告)
 →この戦争の背後で、伊藤博文に影響力を持った高島嘉右衛門の易断による助言があったと言われている。

○易聖・高島嘉右衛門が、その占例集である『高島易断』を完成させる。
1895 明治28 乙未 ○4月14日、下関条約調印 (日清戦争終結

○犬山龍叟、『八門遁甲五要寶典・陰陽發秘』を刊行する。
1897 明治30 丁酉 松本義亮、長崎に天祥館を開く。 

○『宿曜経占眞伝』一巻(脇田文紹) →脇田文紹は名古屋の人。

○高島嘉右衛門、『宗教論』を著す。
1898 明治31 戊戌 ○2月13日、安岡正篤、大阪市で生れる。
 →陽明学者、易学、「歴代首相の知恵袋」と言われる。また「平成」の発案者とも言われている。

○11月23日、田中胎東、東京市神田にて生まれる。
 →九星気学、気学講堂創立者。

○正式に太陽暦の置閏法をグレゴリオ暦の方法を採用。

○工藤茂三郎、北斗中正暦を提唱する。
1900 明治33 庚子 ○『二十八宿詳解』二巻(岸乾斉)が刊行される。

○この頃に、西洋風の日めくり式卓上日記が作製される。
1901 明治34 辛丑 ○松本義亮、大阪に居を移す。 

○徳田乗鳳、生れる。
 →四柱推命家。初代・高木乗の弟子で、兵庫県明石市に在住し、高木流の四柱推命を教授していた。
1902 明治35 壬寅 ○10月21日、朝田啓郷、岐阜県大垣市にて生れる
 →四柱推命、「日本推命学会」会長。

○初めて、日めくりカレンダーが製造される。
1903 明治36 癸卯 ○9月、京都・晴明神社の式年祭の折に、社殿を整備改修する。

○歌丸光四郎、山形県で生まれる。
 →四柱推命、易学、「東京経営易研究会」を主宰。

○熊崎健翁、東京の時事新報に入社する。
1904 明治37 甲辰 ○2月10日、日露戦争が勃発。(この日、ロシアに宣戦布告
 →この戦争の背後で、伊藤博文に影響力を持った高島嘉右衛門の易断による助言があったと言われている。

○8月20日、伊藤泰苑、神奈川県横浜市にて生れる
 →阿部泰山の高弟。 『泰山全集』の要訳を出版している。

○高島嘉右衛門、『易断』の漢訳を完成させる。

○九鬼盛隆(五行易)が、漢学の大家・根本通明の内弟子となる。
1905 明治38 乙巳 ○3月6日、見上槐山、生まれる。
 →泰山流四柱推命、阿部泰山の最高弟。三命学会会頭、“五雲道人”

○9月5日、ポーツマス条約締結(日露講和条約/日露戦争終結

○9月20日、松本義亮、『四柱推命奥儀秘伝録』を公刊する
1906 明治39 丙午 ○『通俗曜宿二十八宿秘密奥傳』二巻(虚空庵立命)
 →虚空庵立命の本名は岡崎儀八郎。

○前沢一光、園田真次郎の三男として、群馬県桐生市に生まれる。
 →気学宗家二世 法道会を設立する。

○根本通明、没する。享年85歳。
1907 明治40 丁未 ○この頃、松本義亮が大阪府庁の認可を得て、四柱推命学校を開講する。

○10月26日午前9時、伊藤博文がハルピン駅にて韓国人・安重根によって暗殺される。
 →安重根の名前には確かに、高島嘉右衛門の予言通り「艮」の字が含まれていた。

○山岸乾斎、『秘蘊 推命寶鑑(全3巻)』を著す。 (宗銭唐東齋徐升原編

加藤大岳、会津若で生れる。 →後に「昭和の易聖」と讃えられる。
1908 明治41 戊申 ○2月12日、西川満、福島県会津若松市にて生れる
 →算命学、天上聖母算命学を創唱、詩人、作家。

○園田真次郎、群馬県桐生市から九星学普及の志を立て上京する。
1909 明治42 己酉 ○2月2日、板井祖山、生れる。(四柱推命学

○10月12日、伊藤博文が嘉右衛門を訪問。満州行きを占い、暗殺について予言。「艮為山、三爻変」の卦を得る。これは、墓⇒暗殺を暗示。
 →嘉右衛門が得た卦は「艮為山、三爻変」。艮が墓を意味し、特に三爻変は凶意が強く、政治家であれば暗殺の意にも通じる卦と判断し、伊藤の満州行きに反対した。しかし、伊藤は敢えて政治家としての覚悟と信念を曲げることはなかったという。そこで、嘉右衛門は「刺客は恐らく、名前に“山”とか“艮”とかいう名前の人物であろう。そういう人物にはくれぐれも御注意を…御側へは絶対近づけなさいますな」との忠告を与えた。

○10月26日、伊藤博文が、韓国独立の闘士・安重根によってハルピン駅で射殺される。→高島嘉右衛門は「刺客は恐らく、「山」とか「艮」とかいう名前の人物です。…」の予言通り、安重 根の「根」には「艮」がついていた。

○10月29日、高木乗(二代目)、東京都渋谷で生れる

○園田真次郎、日本橋小伝馬町に九星学による運命鑑定所を開く。
1910 明治43 庚戌 ○神宮暦、旧暦の併記を廃止する。







 
1912 大正1 壬子 ○12月8日、伊藤耕月、『實地研究 四柱推命秘傳書』(全三巻、
 神祥館出版部)を刊行する。

 →松本義亮の弟子であったが喧嘩別れとなる。

○西村天然、生れる。旧オランダ領パタビア(現ジャカルタ)にて。
 →紫微斗数、「紫微斗数星霊易断所」本部長。
1913 大正2 癸丑 ○10月31日、亀谷圭之助、秋田県横手市で生れる。
 →姓名判断、「亀谷式生命判断」を創始。

阿部泰山が初めて『四柱推命大奥極秘傳』を矢島誠進堂書店より刊行
 →阿部泰山、若干25歳。神戸より上京し、証券業を始めて間もなくの頃。
1914 大正3 甲寅 ○2月、隈本有尚(くまもと・ありたか)が『天文ニ依ル運勢豫想術』を執筆する。 →日本初の西洋占星術テキスト。 内容は英国人セファリアル(Separial、1864-1929)の著書を翻訳したもの。隈本有尚は明治初期に再興された修猷館の初代館長であり、又夏目漱石の小説『坊っちゃん』に出てくる戦う数学教師・ 山嵐のモデルとされている。

○11月17日、高島嘉右衛門、没する。  (乙亥月/丁未日
 →享年81歳。墓所:「泉岳寺」(東京都港区高輪2丁目)

○中国の推命家・徐楽吾が来日している。

○高木乗、『家相方鑑全書』を春江堂から刊行する。

○岡本万徳、三重県北牟婁郡で生まれる。
 →姓名判断、九星気学、家相、名古屋を中心に活躍。
1916 大正5 丙辰 ○4月4日、伊藤耕月、『實地研究 四柱推命秘傳書』の増補改版を刊行する。

○春、阿部泰山、第1回中国渡航。初めて上海に行く。この地方を中心に10日ほど滞在。

○10月16日、桑野嘉都朗、台湾台南州で生まれる。
 →姓名判断、「桑野式姓名判断」創始者。

○10月、吉野裕子、東京に生れる。
 →易・陰陽五行の視点から日本の祭祀・民族を研究し「吉野民俗学」を確立する。

○12月1日、武田考玄、神奈川県横浜市で生まれる。
 →四柱推命学、奇門遁甲他、「日本命理学会」会長。
1917 大正6 丁巳 ○1月11日、長武寛、福岡市にて生れる。(ちょう・たけひろ
 →元新聞記者、象学の祖、心霊研究、易学・九星気学・四柱推命学。著書『象学・運命の構造』『人間の構造』他。
1918 大正7 戊午 ○阿部泰山、第2回中国渡航。上海へ2度目の渡航で10日滞在。

○12月3日、高嶋崋象、東京都千代田区神田にて生れる。
 →易学、姓名判断、高島象山の長男。

○12月13日、清家清、京都市で生れる。
 →家相学、東京工業大教授、建築学専攻。
1919 大正8 己未 ○高木乗、長男のを亡くす。 →悩みの中で宗教や様々な占いを遍歴し、その後四柱推命学と出会う。
1920 大正9 庚申 ○5月5日、長谷川博一、東京都にて生れる。
 →EDLサイクルという運命予知学を発案。のちに人間科学研究所を創設。

○粟田泰玄、兵庫県神戸市で生れる。
 →四柱推命学、泰山流、伊藤泰苑の弟子、 「日本推命学館」理事長。

○藤原秀普、兵庫県で生れる。(ふじわら・しゅうほ
 →四柱推命学、加藤普品の弟子、大阪で教室と鑑定。著書に『四柱推命』(国書刊会)

○11月、阿部泰山、第3回中国渡航。上海とその周辺を2日余り旅行。
 →阿部泰山(本名:熹作)は、前年からこの年にかけて、東京で営んでいた証券業を廃業している。
1921 大正10 辛酉 ○11月24日、東京天文台が設置される(東京天文台設置記念日)

○鹿島秀峰、生れる。→易峰会会長。周易鹿島流姓名術、気学、家相、陶宮術。

○高木乗、雑誌『運の世界』を発行し、勤務していた時事新報社を退社し、占術に専念する。
1922 大正11 壬戌 ○1月6日、新章文子女史、京都市で生れる。→推理作家、第5回江戸川乱歩賞受賞、四柱推命の入門本ベストセラーとなる。

○増永篤彦(三命方象)、生れる。
 →四柱推命、心理学の研究。『生まれ日占星術・個性学入門』 『新推命学』他の著書あり。

○内田明道、東京にて生れる。
 →四柱推命、『決定版 四柱推命術』他数冊の著書あり。本名:内田勝郎。

○3月31日、伊藤邦夫、生れる。
 →姓名判断と紫微斗数を融合した「紅星天喜占命学」の創始者。

○安岡正篤、東京大学卒業後に東洋思想研究所を設立する。また、『王陽明研究』を著す。

○園田真次郎、東京の“市中相”から災禍の発生を予期、西の寒村井荻村(現・荻窪)へ吉方移転をする。
1923 大正12 癸亥 ○1月12日、黄小娥、熊本県で生まれる。
 →易学、大ベストセラー『易入門』の著者。“謎の美人易者”として活躍。

○2月、田上晃彩、生まれる。(たがみ・こうさい
 →数霊研究家、未来予知研究家、数理統一学創始者。占術家・田宮規雄の父親。

○4月、阿部泰山、東京から大阪に移り、東区(現中央区)和泉町一丁目14番地を住居とする。大阪には15〜16年間居住した。

○7月11日、山口素櫻、東京都根岸にて生まれる。
 →本名:山口久。九星気学、算命学、周易、人相、手相。

○9月1日、関東大震災高木乗が震災を予言し有名になる。
 この予言は梅花心易による。この年、高木乗は『現代三世相』を著している。この本を読んで、岩波茂雄(岩波書店創業者)、相馬愛蔵(中村屋創業者)、鳥井信治郎(サントリー創業者)が高木乗を訪ねる。鳥井信治郎には、ウィスキー造りを勧めたという。


○園田真次郎、関東大震災に際して、自分と生死を分けることになった知人との運命の違いから、「九星学」を実証的に確信して、以後「九星学」を「気学」と改称する。
1924 大正13 甲子 ○平木場泰義、東京にて生れる。(ひらこば・たいぎ)
 →気学、四柱推命、手相、人相、姓名。神宮館「暦書」著者・鑑定部長。
1925 大正14 乙丑 ○2月17日、荻野泰茂、生まれる。 →四柱推命学、「萬福集泰斗館」館長。

○5月14日、若月志朗生まれる。
 →四柱推命学、高木乗の高弟、一時印刷会社を経営。初代
  高木乗は亡くなる直前まで、彼の知識と鑑定力に一目置き、戦後の千人を超える高木乗門下にあって、彼の右に出る者は無いと、事ある毎に語っていたという。


○山蔭基央、生まれる。(やまかげもとひさ) →宗教法人山蔭神道管長。易学も研究する。

○内藤文穏、東京都にて生れる。 →三元奇門遁甲、「立鶴会」を主宰。

○作曲家・山田耕作が『生まれ月の神秘』を一般向けに執筆。
 →西洋占星術の星座を参考にして、生まれた月別の占いとなっている。その後、昭和40年代まで読み継がれ、ロングセラーとなる。日本初の西洋占星術の本とも言われている。
1926 大正15 丙寅 ○三木照山、神奈川県神戸市生まれ。 →四柱推命学、六壬神課、手相、人相、姓名判断。著書『四柱推命の完全独習』。

○中村璋八、神奈川県にて生れる。 →陰陽道、『五行大義』研究、大学教授。

○橋本晴州が松本義亮に弟子入りする。








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1927 昭和2 丁卯 ○7月24日、佐藤六龍、栃木県那須にて生れる。
 →本名:昭男。東洋五術運命学協会を主宰。日本での透派掌門を許される。四柱推命、紫薇斗数、六壬、姓名判断他。

○10月10日、高木乗、『指紋と運命の神秘』を春江堂より刊行する。同年、『指紋吉凶判断』を同じく春江堂より刊行する。

○松本義亮の「天祥館」が大阪市東区南本町二丁目に移転する。

○安岡正篤、(財)金鶏学院を設立する。

○熊崎健翁、時事新報を退社し「五聖閣」を設立する。

○この年〜1932年にかけ実業之日本社から『神秘シリーズ』が出版され、星占い・姓名判断・手相・人相が注目される。
1928 昭和3 戊辰 ○3月10日、安田靖先生、生まれる。  (戸籍は8月生まれ
 →四柱推命学、「日本推命学研究会」会長、五行推命(安田式五行図による鑑定法)、一級建築士。

○4月2日、「日本易学連合会」が文部大臣水野錬太郎によって社団法人として認可を受ける。

○9月、鹿島正一郎、神奈川県にて生まれる。
 →中国算命学研究家、高尾義政直門として副校長も務める。

○9月、京都・晴明神社の式年祭の折に、社殿を整備改修する。

○10月5日、高木乗、『家相方位寳鑑』を春江堂より刊行。
1929 昭和4 己巳 ○1月、林旺陽、和歌山県にて生まれる
 →旺陽学開祖。四柱推命(旺陽流命理学)、天啓神通易学、漢文学。佑命舎学長、メンタルサイエンスアカデミィ(MSA)学長。『真正推命学講義』他、手書き本数冊を発行。

○6月1日、『姓名の神秘』(熊崎健翁)刊行される

○9月11日、亀石黒浴A京都府で生まれる。
 →四柱推命学、「大乗推命学会」を主宰。

○加藤乾修、東京都麻布で生まれる。
 →四柱推命学、「中国易理文化研究会」会長。

○阿部泰山が『吉凶開發傳』(乾坤2巻)、『四柱推命学極意秘密皆伝』刊行する。

○田中胎東、『気学入門』『九気密意』を著す。(気学講堂刊行)
1930 昭和5 庚午 ○2月22日、初代高木乗が命理学会を創立し、この日、第一回「命理学会懇話会」が、新宿白十字食堂楼上にて開かれている
 →その時の参加者11名の中に、観相の大家・櫻井大路と姓名判断で有名な熊崎健翁も名を連ね、櫻井大路については、「命理学会」の顧問ともなっている。3月には機関紙「福星」の第一号が発刊される。

○2月25日、高木乗、『家相の神秘』を実業之日本社より刊行。

○清水康教(高木泰/二代目高木乗)が、駒沢大学仏教科を中退。
 →命理学会創立に際し、会の機関誌『福星』の発行事務を担当。同時にペンネームを高木泰と称するようになる。

○4月7日、渋江羽化、没す。(又は羽化仙人とも号す。)
 →漢学、易学、『梅花心易即座考』の著者。

○11月8日、栗原すみ子、茨城県協和町にて生まれる。 
 →街頭占術、手相、”新宿の母”と言われる。

○12月30日、中川閃伸、生まれる。(なかがわ・せんしん)
 →四柱推命学、『五柱推命学鑑定伝』の著者。

○12月、易八大、生れる。 →五行易(断易)の大家。日本断易学会理事長、東洋運勢学会顧問。

○高木乗、『人相手かがみ』を赤塚書房から刊行。

○槇玉淑、山形県にて生まれる。→虎門流四柱推命、梅花心易、手相、骨相、東京運命学研究会会長。

○岡田芳朗、東京・日本橋で生れる。
 →「暦の会」会長。女子美術大学教授。専攻は日本古代史、特に暦の研究で知られている。

○布谷章山、天翔館の実務を取り始め、松本義亮の内弟子となる。

○小峰有美子女史、東京都にて生れる。 →宿曜占術、人相、姓名判断、妙見会。

○熊崎健翁、「主婦の友」新年号の別冊付録『開運の占い法の秘訣』の中で「熊崎式姓名学」を公表、これが今日行われている姓名判断の始まりであると言える。

○田中胎東、『気学建築学』(全2巻)を著す。(気学講堂刊行)

○この頃、日めくり暦が全盛。
1931 昭和6 辛未 ○2月1日、平山喜堂、千葉県で生れる。 →九星気学、「気学天佑会」会長。

○4月、秋田県大湯で「大湯環状列石」が発見される。
 →通称:ストーンサークル。耕地整理作業中に発見。昭和31年に、「国特別史跡」の指定を受ける。

○6月18日、浅野八郎、愛知県名古屋市にて生まれる。
 →心理学研究家。「日本占術協会」会長。

○7月11日、神熙玲、東京・新宿にて生まれる。
 →真理占星学、神・真理占星学会・会長。細木数子の師匠とされる。

○8月20日、河本靜一朗、東京都江東区にて生れる。
 →発音式姓名判断、「陰陽五行研究会」会長。

○11月25日、『熊崎式姓名学大奥義』(熊崎健翁、五聖閣)が刊行される。

○松柏天(しょうはくてん)、広島市に生まれる。(本名:信廣雄之。)
 →四柱推命、『性格推命術』『運波推命術』の著者。

○八木橋信忠、東京都にて生れる。 →算命学、「荘学院」校長、孔位。

○安岡正篤、日本農士学校を創立する。

○佐藤文栞女史、愛媛県に生れる。 →透派、紫薇斗数他、佐藤六龍の妻。
1932 昭和7 壬申 ○1月2日、野末陳平、静岡県で生れる。 →姓名判断、タレント、参議院議員。

○1月26日、池宮秀湖女史、長崎県で生れる。
 →「日本命理学会」二代目会長。四柱推命学、奇門遁甲、家相他。

○4月27日申刻、初代高木乗が「上野博物館御物盗難事件」を六壬占法で占う。
 →同月14日夜、上野博物館の御物仏像が盗まれた事件を、後日高木乗が六壬課式を立てて占ったもので、『六壬尋源講座』で解説している。

○5月15日、「五・一五事件」総理大臣・犬養毅が殺害される。
 →犬養首相暗殺後、迷信取締りの内務省が、首相官邸の裏鬼門虧けの家相凶相を忌み、改造を加えて、張り出しにして凶相を無くしたと言われている。

○5月、高木詞館より『命理學會講座趣意書並ニ規定』を出す。
 →会長:高木乗、顧問:櫻井大路、主幹:加藤乗鳳。講座は@命理学、A家相学、B六壬法、C姓名占象法の4講座。

○6月5日、初代高木乗、『女命總断篇{秘訣}』(命理学会刊)を発行。

○11月15日、『熊崎易本義・乾巻』 (熊崎健翁、五聖閣)刊行される。

○『五行大義』(高野山本)が、高木利太によって影印される。
 →内藤湖南博士が解題を書く。

○「原書房」が易・運命学書の専門店として、東京・神田神保町にて開業。
1933 昭和8 癸酉 ○9月18日、木下多恵子女史、東京都江東区深川にて生まれる。
 →“大泉の母”、霊感、易、手相。 

○11月、松本義亮、『増補改訂 四柱推命奥義秘傳録』を刊行する。

○田中胎東、『気学薬用必携』(気学講堂)を著す。
1934 昭和9 甲戌 ○2月10月、樹門幸宰、青森県で生まれる。 →じゅもん式姓名判断。

○4月、西村登(竜生)、京都市東山区で生まれる。
 →四柱推命、初代・高木乗の弟子。安田靖先生の会社倒産を予言し、安田先生が四柱推命の研究に入る切っ掛けを作る。帰郷後、京都で嵯峨占命塾を主宰。

○竹内一景、愛知県蒲郡市で生まれる。 →姓名判断、紫微斗数、四柱推命学。

○小林泰明、京都祇園にて生まれる
 →四柱推命学、観相学、易学。京都府易道協同組合・名誉理事長。東洋運勢学会・相談役。

○紀元書房が設立される。(加藤大岳、熊崎健翁らによって)
1935 昭和10 乙亥 ○12月、中井瑛祐、大阪府堺市で生まれる。 →四柱推命、六壬神課、易学。

○田中恵祥、京都府にて生れる。 →易学、九星気学他、 「慈恵堂開運指導協会」会長、 「九州易学専門学院」学院長。
1936 昭和11 丙子 ○1月5日、花見正樹、生れる。 
 →四柱推命学、九星気学、作家、花見化学梶E社長。

○2月11日、高木乗が新たに「高木綜合運命學會」を設立し、この日新橋一丁目四番地、復興ビル三階に事務所を設置。
 →命理学会を含めた従来の事業を統合しようとの目論見から、兜汾ッ社も子会社化したもの。事務所には高木泰(後の二代目高木乗)と弟子で教部の本多乗卿、勝山乗猷が常駐した。

高木乗(初代)、『實践命理学講座』(第1講〜第10講)、『命理格式秘伝講座』(第1講〜第7講)、『命理学早わかり』(上下)『高木相法秘伝書』(5巻)を著す。

○4月25日、和泉宗章、川崎市で生れる。 →算命学、天中殺ブームをつくる。

○8月、命理学会の教部で、高木綜合運命學會を運営していた本多乗卿・勝山乗猷の両氏が会を脱退する。

加藤大岳が『奥秘傳書 四柱推命學』(紀元書房)を刊行
 →易学の大家でありながら、四柱推命の本も著す。
1937 昭和12 丁丑 ○4月25日、横井伯典、東京都新宿区大久保にて生まれる。
 →姓名判断、易学、家相。

○4月27日、仲川壌亮、熊本県熊本市にて生まれる。
 →姓名判断、ツキ数姓名学研究家 桑野耀斉の弟子。

○8月20日、高木乗(初代)『随筆 運命人生讀本』を赤塚書房から刊行。

○加藤大岳を中心に「汎日本易学協会」が設立される。この会には作家の今東光も参加している。

○大聖観誓、富山県に生れる。 (おおさと・かんせい
 →四柱推命、(宗)大貴山聖菩薩精舎を設立。
1938 昭和13 戊寅 ○1月、中森じゅあん女史、東京都で生れる。
 →「日本算命学協会」代表、エッセイスト。女性誌で算命学を分り易く紹介し人気となる。高尾義政の直弟子。

○4月4日、細木数子女史、東京都で生れる。
 →「六星占術」の創始者。元バーのママ。著書多数。

○阿部泰山、大阪から京都に移る。
 →初めの転居先は、京都市下京区寺町五条上ル。後に、同市北区小山堀池町三十四番地に転居。そこで20年を過ごす。
1939 昭和14 己卯 ○5月10日、高木乗、『運と心と行』を赤塚書房より刊行。
1940 昭和15 庚辰 ○10月15日、小島白楊、東京都で生まれる。
 →姓名判断、気学、家相、易学、「学易館」館主。

○高木泰が、「命理学会」関西中央支部長となる。
1941 昭和16 辛巳 ○2月10日、高木乗(初代)、『アストロロヂイ 生まれ月の神秘』を刊行する(命理学会蔵版、定価1円50銭

○5月31日、政府が内務省を通じて、暦の出版を禁じ、翌昭和17年以降この種の出版物を取り締まる事となった。その理由は占い等は迷信であり、人心を徒に惑わすというもので、同時に占業を生業とする占術家達の仕事も禁止される。

○5月31日、菱田幸雄、生れる。
 →九星気学、易学、菱田易学研究所・二代目宗家。出生地:岐阜県海津郡平田町西島。

7月23日、松本義亮、没する。大阪市東区南本町二丁目の邸宅にて。(享年80歳、四柱推命、初代・天祥館館長)松本義亮の死去にともない、布谷章山が天翔館を継承する。

○9月13日、高尾義政、長崎市で生れる
 →呉家算命学13代宗家。この年、中国から日本に亡命して来た呉仁和が、材木店主の三男として、生れた高尾を引き取とり、後に算命学を伝えたという。

○熊崎健翁、還暦を迎えて戸籍上で改名し、熊崎健一郎から「熊崎健翁」となる。

○『密教占星法』二巻(森田龍僊)  →森田龍僊は高野山大学の教授。

○九鬼盛隆、死去する。 →五行易(断易)中興の祖、古神道家。

○志村有弘、北海道深川市にて生れる。(しむらくにひろ
 →陰陽道の研究。相模女子大学教授。

○12月8日、太平洋戦争勃発。日本海軍が真珠湾を奇襲攻撃し日米開戦
 →ハワイ現地時間12月7日・日曜)当日の干支「辛巳年/庚子月/庚寅日/庚辰時」は、“華々しく戦って、華々しく散る”という象意から、戦争を開始してはならない干支配合の日時。後日、初代高木乗は、金から尅される木の年・木の月、即ち8月前半(乙酉年/甲申月)に日本が敗戦することを予言している。 ※この日は日本民族史上、最悪の悲劇が始まる日となった。
1942 昭和17 壬午 ○2月、黒川兼弘、熊本県にて生まれる。
 →四柱推命・相学・紫微斗数・気学他。クロ・エンタープライズ代表取締役。占い総合塾塾長。

○石橋菊子、『四柱眞髄 推命の秘訣』を著す。

○「土御門神道同門会」が設立される。
 →土御門家の執事であった若杉家、大阪の安倍晴明神社宮司などで構成され、土御門神道の分散消滅を防ぐ目的で設立された会であった。
1943 昭和18 癸未 ○4月18日、田中胎東、没す。46歳
1944 昭和19 甲申 ○2月4日、くわの擁齊、千葉県銚子市で生まれる。
 →桑野式内画法姓名判断二代目宗家。

○9月2日、伊藤耕月、没す71歳 →四柱推命学、神祥館・館長。
1945 昭和20 乙酉 ○高木乗が8月初めの敗戦を予言し閣僚に書簡を送る。

○8月6日午前8時15分、広島への原子爆弾投下。(癸未月/丁未日/甲辰時)
 →世界で初めて、核兵器が実戦で使用された。しかも、特定の軍事目標ではなく、一般市民の居住する都市への攻撃であった。一発の爆弾によって、一般市民10数万人が死亡するという人類的史上類を見ない大量虐殺であった。

○8月9日午前11時2分、長崎に原爆投下。 (甲申月/庚戌日/辛巳時
 →この時、算命学の長尾義政が被爆している。

○8月14日付け、「終戦詔書」(大東亜戦争終結ノ詔書)が詔として発布される。
 →・基本的内容:迫水久常(内閣書記官長)が作成。
  ・川田瑞穂(内閣嘱託/漢学者)が起草。
  ・安岡正篤(大東亜省顧問/陽明学者)が直前の14日に加筆。
  ・又詔勅中の有名な文言「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」を進言したのは、鈴木貫太郎首相の相談役等も努め「白隠禅師の再来」といわれ臨済宗妙心寺派の禅僧・山本玄峰(
げんぽう)だとされている。
  ・同日、昭和天皇が裁可する。
  ・鈴木貫太郎(首相)以下16名が大臣副署する。


○8月15日、《太平洋戦争終戦》 
 正午、昭和天皇による玉音放送(終戦詔書)がラジオ放送される。
 ◆当日の干支は「乙酉年/甲申月/丙辰日/甲午時」⇒日干陽火で、印星三干が顕天した印星太過の式。更に紫微命宮にも巨門が回座している。これは「物事の終焉と整理」「広報・伝達」「財の喪失」等の象意を有する。

○同日、安斎勝洋、東京都にて生れる。 →九星占術、姓名学、風水。

○暦の出版が自由になる。

※基本的に敬称は略しています。