■五行学歴史年表・日本篇(4) 昭和時代②-戦後 1946年~1989年 |
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代 |
年号 |
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和 時 代 ② 戦 後 |
1946 昭和21 |
丙戌 | ○5月21日、藤田乾堂が福井県遠敷郡名田庄村名田庄(土御門家の本拠地)で土御門神道を再興。宗教法人としての活動を開始。(暦会館) ○若月士朗、『生まれ日の神秘 四柱推命學』に感銘を受け、「代々木上原の寓居」に高木乗を尋ね、弟子となる。 ○野島和信氏、東京都世田谷区で生まれる。 →算命学、「伝習院」学院長。 ○石井利征氏、鳥取県で生れる。 →石井個性學研究所所長。四柱推命、紫微斗数他。 |
1947 昭和22 |
丁亥 | ○5月3日、新憲法発布により、思想・信仰・出版・職業選択の 自由が保障されることにより、戦前禁止されていた占術に関する出版物が、雨後の竹の子の如く、世に出始める。 ○5月5日、小林祥晃氏、東京都で生まれる →風水、家相方位学、通称 “Dr.コパ”。 ○長昌弘氏、福岡県博多生まれで生まれる。(ちょう・まさひろ) →象霊学研究家。無為庵主宰。 |
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1948 昭和23 |
戊子 | ○中村嘉男、生れる。 →算命学、算命学総本校、高尾学館校長(2代目)。 ○国民の祝日に関する法律が制定される。 |
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1949 昭和24 |
己丑 | ○安岡正篤、師友会を設立する。 | |
1950 昭和25 |
庚寅 | ○1月1日、「年齢のとなえ方に関する法律」が施行される。年齢の表示に満年齢を用いるようになる。 ○3月、田口真堂氏、神奈川県平塚市にて生れる。 →風水師、「東洋風水学会」会長、修行道場「蓮華蔵院」主宰、気学風水。 ○6月25日、朝鮮戦争(韓国動乱)勃発。 (壬午月/辛卯日) →朝鮮半島南北分断へ。米ソ代理戦争。 ○8月15日、『宇宙開顯信名の道ヽ神聖典』 (熊崎健翁、五聖閣)刊行される。 ○12月、『幹枝五行之純正數學』(金聖瑞原述、2代目高木乘補解、命理学会) ○岡本万徳、神道霊感を体得。 ○武光誠氏、山口県防府市で生まれる。→明治学院大学教授。日本古代史・歴史哲学を専攻。「宿曜占術」の本を著し、「六害宿」の凶作用について説く。 ○前沢公勇、埼玉県春日部市に生まれる。 →気学・法道会主催。園田真次郎の孫。二世の三男。 ○京都・晴明神社で多年宿望であった堀川通に面する境内地の拡張をする。 |
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1951 昭和26 |
辛卯 | ○1月1日、夢枕獏氏、生れる。 →作家、伝奇小説『陰陽師』が320万部を突破する大ベストセラーとなり、安倍晴明ブームの火付け役となる。 ○8月16日、桑野嘉都朗、占術家として世にでる。 →桑野式・姓名判断。 ○田宮規雄氏、広島県にて生まれる。 →占術家・田上晃彩の長男。姓名判断、奇門遁甲、家相、七政星術、紫微斗数、透派(張耀文の明澄派)に属する。日本占術協会理事。 |
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1952 昭和27 |
壬辰 | ○1月、池本正玄氏、生れる。 →真占術会、真占術易学校・校長、四柱推命、周易、断易、気学、六壬、手相、姓名判断他。 ○4月、不二龍彦氏、北海道で生れる。 →四柱推命、夢占い、「遊星塾」主宰。 ○7月、バーズディ・喜多寺、生まれる。 →算命学、インターネット上で活躍。自らの算命学を“バーズディ・エナジー”と呼んでいる。 |
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1953 昭和28 |
癸巳 | ○2月3日、前田晃志、東京都にて生れる。 →算命学研究家、「算命晃聖塾」塾長。 ○初代高木乗が、高弟・若月志朗の助けを借りて『生日時断課』の改訂版を刊行する。 →「生日時断課」は推命の古典『三命通会』中の重要項目。高木流派「生日時断課」を流派の奥義の一つとしていた。 |
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1954 昭和29 |
甲午 | ○高木乗、社会詩集『鴉の蒔いた草花』を本名の清水孝教でシイヴァン社から刊行。 →島崎藤村の遺文となった序文付き。 ○加藤普品氏、加藤大岳に周易を学び始める。 ○2月、鮑黎明(Reeming Pao)氏、東京都世田谷区玉川田園調布にて生れる。 →中国占術研究家、子平推命、紫微斗数(南派)、鬼谷易、地理風水(八宅派風水)、姓名学、観相、奇門遁甲他。 ○小野十傳、岩手県盛岡市にて生れる。 →東洋占術、西洋占術、六壬、陰陽道や奇門遁甲の立場から日本史の謎を研究。 ○小山内彰氏、愛知県にて生れる。 →四柱推命、ネットで活躍、『命運を推す』の著者。 ○横井伯典、日本開運学会を創立し、会長となる。 |
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1955 昭和30 |
乙未 | ○高木乗、『家の出来る人・できぬ人』を命理学叢書として鶴書房から刊行。 ○1月、砺波洋子、富山県にて生まれる。 →中国算命学研究家、鹿島正一郎の直門。 ○宇田川豊弘、『四柱推命学大奥秘』(全12巻、和綴・ガリ版、弘聖会)を著す。 ○安齋巖人氏、調和の会を設立し、「運命開発、幸運の導き」を掲げる。(姓名判断) |
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1956 昭和31 |
丙申 | ○板井祖山、阿部泰山を訪問し会う。 ○林巨征氏、愛知県にて生れる。 →奇門遁甲、紫微斗数、四柱推命学、宿曜、天台寺門宗・大律師。 |
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1957 昭和32 |
丁酉 | ○2月、東海林秀樹氏、東京都で生れる。 →紫微斗数。九星気学。占い処「占星堂」当主、占術カウンセリング学院副校長、東洋運勢学会理事。 ○3月、北斗柄(本名:松岡秀達)氏、愛媛県にて生れる。 →東洋占術研究家、紫微斗数、六壬神課、奇門遁甲他、ネットで活躍。 ○3月、北条一鴻氏、神奈川県相模原市で生れる。 →奇門遁甲、四柱推命学、六壬神課。“真伝”継承者を称す。 ○4月、弦本将裕氏、神奈川県にて生れる。 →動物占い、個性心理學研究所所長、㈱ノア代表取締役。 ○10月、伯耆弘徳氏、生れる。 →算命学、「万象算命・東洋哲理研究所」主宰。 ○10月24日、安田靖先生、経営する会社の倒産を高木乗の弟子であった西村竜生が予言し、それが縁で安田靖先生は初代・高木乗の指導を受けるようになる。 ○羽田守快氏、生れる。 →宿曜占術、独自の「尊星王流宿曜道」を確立。鎌倉市の金翅鳥院内に本部を置く。天台寺門宗本山布教師、修験正先達位、金翅鳥院、大慈光教会住職。 ○高木乗、『易辞の真の読み方』を著す。(命理学会) ○高木泰(清水康教)が、「命理学会」の副会長となる。 ○『天文紫微運命学』(阿部泰山全集13、京都書院)が刊行される。 →日本で初めて紫微斗数を公開したもの。 ○伊藤泰苑、阿部泰山に入門し、京都から大阪まで通い始める。 |
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1958 昭和33 |
戊戌 | ○加藤乾修氏、霊的な啓示を受けて易占家である父の跡を継ぎ、『淵海子平』を研究し始める。 ○12月、黒門氏、福岡県で生れる。 →東洋占術研究家、黒門式奇門遁甲術、風水、子平推命、日本劉氏奇門遁甲発展協会・会長。本名:高根節夫。 ○『安倍晴明秘傳見通占巻 上下二巻』(天社土御門神道本庁庁長・藤田乾堂編)が刊行される。 →土御門家に伝わる秘伝書で、享保6年(1721)の写本を基として編集したもの。 |
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1959 昭和34 |
己亥 | ○4月21日、初代・高木乗、『断易の学び方』(手書ガリ版刷、命理学会)を著す。 ○10月10日、大石眞行氏、東京都にて生まれる。 →研究団体「玄学舎」主宰。四柱推命(子平)、紫微斗数、東西占星術、方鑑、奇門遁甲、六壬、周易、断易他。 ○11月25日、「高嶋象山刺殺事件」 →易学鑑定所を開いていた高嶋象山が鑑定に不満を持ったノイローゼの青年に刺され死亡した事件。 ○12月、天野雲海氏、愛媛県生まれ。 →ソフト開発販売会社(有)フォーチュンソフト代表。占術家、四柱推命、姓名判断、西洋占星術、天源占星術他。 ○西川満が『人間の星』を初めて公刊し、台湾ルーツの算命学を世に伝え、天中殺の現象を説く。 ○高橋圭也氏、栃木県にて生まれる。 →陰陽師、陰陽道北斗派第三代宗家。 |
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1960 昭和35 |
庚子 | ○1月、鎗田宗准(やりたそうじゅん)氏、東京都に生まれる。 →本名:鎗田準治。梅花心易はじめ易一般、四柱推命学、紫微斗数。㈱メディア工房の専属占い師。 ○4月17日、諸口悦久、病没する。 →五行易、元人気俳優の諸口十九。 ○7月9日、初代高木乗の妻・静が死去。 ○9月、桑野嘉都朗、上京する。 ○鎗田宗准氏、東京都で生れる。 →梅花心易はじめ易一般、四柱推命、紫微斗数。 ○高尾義政、呉家算命学第13代目を継承したとされる。 ○斉藤啓一氏、生まれる。 →カバラ数秘術、カバラ、ヨーガ、根本仏教、神智学、西洋魔術など、広く東西の神秘思想の研究と求道。 ○一時絶えていた、能楽「泰山府君」が再復活上演される。 |
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1961 昭和36 |
辛丑 | ○2月28日、西村登(龍生)氏、京都へ帰る。初代・高木乗の弟子。その後、嵯峨占命塾を京都にて主宰。 ○8月25日午後、熊崎健翁(信名の道教主、五聖閣主)、没する。 →脳溢血のため、熱海市天神山のゝ梅(ちゅおう)荘で死去、81才。告別式は9月2日午後2時から、東京大田区新井宿六の六七一、五聖閣でおこなわれた。 ○苔峰洞人氏、神奈川県平塚市に生まれる。 →本名:大川惠司(おおかわ・よしもと)。紫微斗数。『真説 紫微斗数占術奥義』(文芸社)著者。本職は行政書士。公式サイト「苔峰山占術広場」.。 ○園田真次郎、死去する。 →九星気学の創始者。三男の前沢一光が園田真次郎開祖の意を受ける形で宗家を継承。 ○黄小娥の『易入門』がはカッパブックスより出版され大ベストセラーとなる。 |
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1962 昭和37 |
壬寅 | ○3月、宇月田麻裕女史、横須賀市にて生まれる。 →開運研究家、作家、タレント、宿曜占術、四柱推命、紫微、ヒーリング他。(有)ハピネスファクトリー代表取締役。 ○4月29日、黄小娥の原作『易入門』が映画化され、「B・G物語 易入門」として公開される。製作は大映、田宮二郎が出演していた。 ○浅野八郎、『手相術』(光文社)を発表しベストセラーになる。 |
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1963 昭和38 |
癸卯 | ○3月23日、『千里眼算命』(西川満、魁星楼文庫、限定75部、帙入り)発行。 |
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1964 昭和39 |
甲辰 | ○高木泰(清水康教/後の二代目高木乗)が、55歳にして40代半ばの女性と再婚。 ○松柏天、占学の師であった梵天閣師(真言密教の僧侶)から、一子相伝で占学の奥義をさずけられる。 →梵天閣師は広島への原爆投下を予言したことで有名。梵天は「国村太星」のことで、初代高木乗時代の命理学会会員でもあった。 |
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1965 昭和40 |
乙巳 | ○3月、張耀文が中華民国(台湾)より初来日する。 →透派13代目(明澄派)。各地で講習会を開き、透派の五術を日本に伝える。特に佐藤六龍・文栞夫妻が、免許皆伝を受け、後に日本の掌門となってゆくこととなる。この時、張耀文は30歳過ぎで、中華民国(台湾)の経済庁の役人であったとのこと。 ○10月2日、高木乗(初代)が没する。 →この日のことを安田先生はその著書『実践四柱推命学』中で次のように書かれています。「初代乗先生が亡くなられた日、私は夢に、先生が現れ今日の午後二時に本を取りに来い。夢の通り二時に高木邸に参上したのですが。今先生が息を引き取られたと言ふ時でした。先生の霊が現在でも私を指導して下さる様な気がしてなりません。」 ○会長高木乗死去により、三男・高木泰が、直ちに「命理学会」の会長となる。 ○12月、財団法人「仏教伝道協会」が設立される。 →超宗派的仏教啓蒙団体。初代理事長は森川智徳師が就任。株式会社ミツトヨ創業者沼田惠範氏の発願による。現代語訳『仏教聖典』を主要ホテル客室に常備。 ○潮島郁幸が日本占星学研究所を設立。 ○『四柱推命学入門』(板井祖山)刊行される。 ○大阪易道学院が設立される。 →大阪府知事認可の法人として、大阪易道事業協同組合の事業の一端として設立される。 |
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1966 昭和41 |
丙午 | ○7月、初代高木乗の三男・高木泰(本名:清水康教)が、二代目高木乗を襲名。 →命理学会研究誌「福星」(丙午第4号、同年7月1日発行)誌上にて二代目襲名を発表。 ○12月15日、森一夫著『現代 四柱推命直訣』が限定版として刊行される。。 →初代高木乗の流れを汲む著者が、五行を中心とした判断法を披露。書中の「五行分類図」は「安田式五行図」のプロトタイプとなるもの。初代高木乗の弟子で、命数学創始者の高木總好が序文を書いている。 ○門馬寛明、『西洋占星術』を出版し、西洋占星術が大ブームとなる。 ○中井瑛祐、運命学教室を創設し後進の指導普及を始める。 |
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1967 昭和42 |
丁未 | ○布谷章山、天王寺区城南寺町九番地梅松院に鑑定所を移す。 ○建国記念日(戦前の紀元節)が復活する。 |
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1968 昭和43 |
戊申 | ○3月17日午後2時~夕刻、命理学会の第1回談話会が開催され、当日5名が参加。この集会において、 ・安田靖氏→「命理五行活断の法」を提唱。 ・平出永光・宮下行夫氏→「ピオリズム」を提唱。 ○6月、安田靖氏、自ら提唱する「命理五行活断・早わかり秘法」を一書にまとめる為、鋭意執筆中であることが「福星」(戊申4号)に掲載される。 ○6月15日、「文化庁」設置。 →文部省文化局と文化財保護委員会を併せて、「文化庁」が設置される。文化庁は文化の振興及び国際交流の振興を図り、宗教法人に関する事務を行なっている。管轄大臣は文部科学大臣。 ○10月、石田千尋氏、北海道北見市にて生れる。 →現代の霊能的陰陽師、石田流陰陽道開祖。TVで霊のお払いを実演放送して話題となる。公式サイト。 ○亀石厓風氏、「大乗推命学会」を京都市にて設立。 ○『紫薇斗数』(東洋占星術入門)が大文館書店より刊行される。著者は東洋五術運命学会となっているが、中身は佐藤文栞女史の著作。 →日本に初めて「紫薇斗数」(透派紫微)を紹介した書物。 |
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1969 昭和44 |
己酉 | ○3月19日、阿部泰山、食道癌にて死去。 →享年80歳。京都市北区紫竹桃ノ本町で死去。子供は男女共に6人あったとのこと。泰山師の葬儀の際、弟子達の間で争いがある。結局、阿部泰山師の印璽は女弟子・伊藤泰苑が引き継ぐことになる。理由は、弟子の中で一番命式がしっかりしていたからとのこと。確かに、伊藤泰苑女史は「財官印三宝の命」たり。兵庫県の仁川国際霊園に葬られる。法名は「永隆院顕誉常正泰山居士」。 ○10月10日、『断易入門』(菅原壮著)、刊行される。 ○『家相の科学』(清家清、東京工業大教授)刊行される。 |
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1970 昭和45 |
庚戌 | ○8月、亀谷圭之助氏、「亀谷式姓名判断研究所」を埼玉県所沢市に開設。 ○10月11日午前6時29分、布谷章山、死去。 →享年90歳、虎門流四柱推命学、二代目「天翔館」館主。 ○安田靖氏、日舞アカデミーの吉野社長の協力のもと、四柱推命学教室を始める。 ○林旺陽氏、推命学塾佑命舎を開く。 ○河本靜一朗、日本陰陽五行研究会を設立する。 ○『推命学の革新』(朝田啓郷)刊行される。 ○『四柱推命学の要譯』(伊藤泰苑)刊行される。 ○『0(ゼロ)の占星術』(御射山宇彦)刊行される。 |
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1971 昭和46 |
辛亥 | ○3月、島邦男著『五行思想と禮記月令の研究』(汲古書院)刊行。 ○6月1日、朝田啓郷、月刊「推命學界」を創刊。 (日本推命学会、本部は岐阜県大垣市) ○7月、初代高木乗の高弟・若月士朗氏が、朝田啓郷主宰の「日本推命学会」会員となる。 ○8月30日、松本義亮著・橋本晴州新訂で『増補改訂 四柱推命奥義秘傳録』が刊行される。 ○12月、武田考玄氏、テレビ朝日を停年退織後、テレビ映画監督・脚本家をし、更に四柱推命学の通信講座を開講、実審を始める。 ○くわの擁齊、初代(桑野嘉都朗)の娘と結婚し、初代と出会う。 ○新章文子の『四柱推命入門』がベストセラーとなる。 |
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1972 昭和47 |
壬子 | ○3月、高尾義政、「朱学院塾」を目黒区の東山鑑定所に設立初めて「算命学」を「中国占星術」の名で一般に公開する。 ○3月21日正午過、高松塚古墳から極彩色の壁画が発見される。(奈良県高市郡明日香村大字平田444)。 →壁画には二十八宿 (星宿)や四神図(青龍・白虎・朱雀・玄武)等が描かれていた。 ○4月、晴明神社(京都市上京区)が、天龍寺の所管であった安倍晴明の「嵯峨墓所」を買取り、同社の境内地とする。 ○9月15日号の「福星」誌上で、二代目高木乗が、初代の有能な弟子4名に対して、破門宣告文を掲載する。 ○10月末、新井心水が死去する。 →初代高木乗の弟子で、命理学会の教部であった。初代高木乗が補筆した『命理學早分かり』を執筆編集している。またモラロジー(最高道徳)の幹部でもあったという。しかし二代目高木乗からは「ここ数年来、先に破門した森、溝口等と親交し、忘恩の事のあったのは晩節を汚すものとして遺憾のきわみ」(「福星」壬子第6号)と批判されていた。しかし、事実の程は分からない。 ○『新章文子の推理占い』(新章文子/著、東都書房)。 ○安田靖氏、「日本推命学研究会」の初代会長となる。(NSK) ○『生まれ日占星術・個性学入門』(三命方象<増永篤彦>、洛陽書房)が初版刊行される。 ○西川満が講談社から『天中殺』を上梓。 ○『避禍迎福革新推命学入門』(朝田啓郷他、日本推命学会出版部)刊行される。 ○長谷川博一、「人間科学研究所」を創設し所長となる。 →EDLサイクルという運命予知学を発案し、経営コンサルタントにあたる。 ○年末、天台宗の寺院・荘巌寺(栃木県真岡市寺内75)で、仏像修理の際、仮名暦が発見される。 →当初は古暦としては余り注目されず、調査が入るのは、1988年(昭和63)春に年代学研究会が調査に入り、貴重な発見であるとの評価をなされた。 |
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1973 昭和48 |
癸丑 | ○「日本占術協会」が創立される。 →理事長は浅野八郎、大熊茅楊、三須景仙、加藤普品らが代表委員となる。 ○伊藤泰苑、4月から東京に教室を始め、東京方面に進出する。 ○9月、「暦の会」が東京で発足。 →明治改暦100年を記念し、有志が参集して会を発足。 ○『五行大義』(中村璋八、明徳出版社)刊行される。 →中国古典新書。『五行大義』(隋・蕭吉撰)の抄訳。 ○『三正綜覧』第四版が神田茂氏によって改訂され刊行される。 |
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1974 昭和49 |
甲寅 | ○7月1日、『四柱推命学奥儀』 (板井祖山、白川書院)刊行される。 ○9月13日、朱学院が創立される。 →高尾義政及び佐藤桂吉によって「算命学による塾及学校運営」や「算命学によるコンサルタント業務」等を目的とする株式会社朱学院を設立する。後に名称を「中国占星術学校朱学院」に改める。 ○9月16日、『中国算命術』(高尾義政著、講談社刊)が発刊される。 →この本は一般書においては最初に「高尾系の算命学」を紹介したもので、「算命学」としては西川満の書籍に次ぐもの。 ○11月11日、菅原壮、死去する。(享年76歳。) →五行易。著書『断易入門』。東京都大田区雪ヶ谷大塚町にて。 ○亀石厓風が「大乗推命学会」を京都市にて設立。 ○仲川壌亮、姓名学によるツキ運数を発見する。 ○細木数子氏、この頃に数年前から神熙玲女史を通して学んでいた真理占星学・0学・算命学を独自に改変した「六星占術」をまとめ始める。 |
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1975 昭和50 |
乙卯 | ○6月15日、『紫薇斗数推命術』(張耀文口述/佐藤文栞訣)が㈱香草社から刊行される。 ○7月10日、『日本暦日原典』(内田正男編、雄山閣出版㈱)が初版刊行。 →日本で初めてコンピューターで計算し暦を表わした画期的な暦。 ○12月26日、見上槐山、急死。 →泰山流四柱推命、阿部泰山の最高弟。三命学会会頭、“五雲道人” ○『梅花心易秘伝書』(2代目高木乗)刊行される。 ○岡本万徳、4月から東海ラジオ放送で、 「ラジオ姓名判断」を放送。 |
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1976 昭和51 |
丙辰 | ○2月4日、ロッキード事件が明るみに出る。 →米航空会社・ロッキード社による旅客機の受注をめぐった、日米にまたがる大規模汚職事件。 ○2月10日、命理学会機関紙「福星」(丙辰1号)刊行。 →初代高木乗の高弟・若月志朗氏の経営する印刷会社「若月誠文社」が「福星」の印刷を担当するようになる。 ○2月15日、『新・四柱推命学』(2代目高木乗著)が初版刊行される。 ○4月、若月士朗氏が命理学会の理事に推任される。 ○7月27日午前8時50分、田中角栄元首相逮捕。 (丙辰年/乙未月/庚辰日/庚辰時) →東京地検特捜部は田中角栄元首相を、ロッキード事件にからむ「受託収賄罪」と「外為法違反」で逮捕する。 ※占い好きの故田中角栄元首相 (※生日「辛亥」)は、いろいろな占い師に相談していたが、事件の2程前に高木乗系の或る四柱推命の先生から、「1975年~1976年にかけて、金銭問題が起こるので注意を要する」と忠告されていた。事件の発覚は2月4日(※この年の立春は2月5日)だが、運気的には前年の財星太過と財局、及び大運による尅財によって、トラブルの原因が作られている。前年から水面下で財の凶意が蠢いていのだ。それが、この年社会現象化する。官星(社会性の星)が入墓(正官墓)し、命式の月柱と併臨(反言)。これによって罪に問われて逮捕(収監)されたもの。逮捕日時の流日・流時共に「庚辰劫財墓」、お金のトラブルで墓(牢屋)に入る日となっている。故田中角栄元首相も、まさか海の向こうから問題が持ち込まれるとは…と思っていたのでは。 ○12月1日、『四柱推命学応用』 (板井祖山、白川書院)刊行される。 ○『ツキ数姓名判断』(仲川壌亮)刊行される。 ○『密教占星法と源氏物語』(大久保建治著、河出書房新社刊)が刊行される。 →この書の中で、大妻女子大学教授・大久保建治は、『源氏物語』の構成や人物が宿曜経(宿曜占術)に由来することを考証している。 ○『五行大義の基礎的研究』(中村璋八、明徳出版社)刊行される。 →文部省刊行助成。中村璋八の学位論文の主要部分となった著作。 |
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1977 昭和52 |
丁巳 | ○8月1日、『奥祕傳書 易学通變』 (加藤大岳、紀元書房)刊行される。 ○3月、吉野裕子、『陰陽五行思想からみた日本の祭』によって東京教育大学から文学博士の学位を授与される。 →陰陽五行や易の視点から、日本の民俗を読み解く「吉野民俗学」の原点となる記念碑的作品。翌年、単行本として出版される。 ○4月12日、小林淑子死去。(病死) →初代・高木乗の長女で 二代目高木乗の姉。娘が四柱推命の教室で二代目の師範代を勤めたこともある。 ○能見正比古が『血液型エッセンス』を出版し、血液型占いがブームになる。 ○神戸の地下街で「タロット展」が開催されタロット占いが普及し始める。 |
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1978 昭和53 |
戊午 | ○1月、安田靖先生、最初の著作である『実践四柱推命学』を刊行する。 →この著作は五行図を使用した判断としては最初の著作物である。 ○4月、和泉宗章、『算命占星学入門』を出版。 ○9月11日、和泉宗章、深夜番組の11PMに出演し「天中殺の時期に監督になった長嶋監督は日本一になれない」と発言、反響の電話が殺到する。 ○秋、「東洋運勢学会」が三須啓仙のもと発足。 →『十二支運勢宝鑑』の出版記念のパーティーが、東洋運勢学会の発足式となる。 ○『真正推命学講義』(全5巻、林旺陽著、佑命舎刊、直筆印刷)が刊行される。 |
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1979 昭和54 |
己未 | ○1月1日、和泉宗章が長嶋監督の辞任を予言する。この頃、天中殺ブームが起こる。 ○4月1日、高島正龍、『高等気学・陰陽同会法』(文化総合出版)を刊行。 →新しい気学の観点として四柱推命・五行易・六壬神課等で用いる「五行通変の法」を適用。 ○12月6日、『吉神命運学入門』(花見正樹、㈱サンケイ出版)刊行される。 ○高木總好(総好)、死去。 →初代・高木乗の弟子、胎命学創始者。 ○伊藤泰苑、大阪朝日放送早朝番組に招聘され、出演。 ○『神相秘講 四柱推命学入門』(山下訓弘、㈱JDC)刊行される。 ○八木橋信忠、日本橋蛎殻町に「荘学院」を設立する。(算命学) ○「年代学研究会」が創立される。 →桃裕行・広瀬秀雄両を中心として創られた会。「年代学」とは暦とその周辺の問題を研究する学問分野。 ○小峰有美子氏、『宿曜占術 天の巻』(KKベストセラーズ、ワニブックス)を刊行。 |
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1980 昭和55 |
庚申 | ○4月5日、和泉宗章、長嶋監督の辞任の予言が外れたために、易者を辞め占いの世界から引退をする。その後、占い反対派に転向する。 ○9月30日、『紅星占命学入門』(三浦弘子著、光文社、KAPPA BOOKS)が刊行される。監修は伊藤邦夫。 ○鮑黎明、この年日本に帰国し8月から、プロの占術家としてスタートする。 ○くわの擁齊、先代の命で、「桑野式内画法姓名学」の二代目宗家に擁立される。 ○高尾義政から「朱学院」(佐藤桂吉)が独自路線を希望し、分離独立する。 ○北条一鴻、一子相伝の真伝を受け継いだとのこと(?) ○菱田幸雄、菱田易学の開祖・菱田正一翁(祖父)にかわり菱田易学の後を継ぎ、菱田易学研究所の二代目宗家となる。 |
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1981 昭和56 |
辛酉 | ○1月7日、「荘学院」八木橋忠信・校長が急逝する。 ○3月、高尾義政、「荘学院」を閉鎖して、算命学総本校・高尾学館をスタートする (飯田橋の新小川町に) ○8月10日、山下訓弘、『六壬神課講義』(神相学派全集第一巻、㈱JDC)を刊行する。 ○武田考玄、「日本命理学会」会誌として『天地人』を創刊。 ○高尾義政『原典算命学体系』(全11巻、菜根出版)を完成させる。 ○桑野嘉都朗(桑野式姓名判断)、没す。 |
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1982 昭和57 |
壬戌 | ○安田靖先生、日舞アカデミーにおいて教室を開設する。 ○『飛星紫微斗数闡秘』(鮑黎明)刊行される。 ○『中国推命術』(中井瑛祐、中尾書店)刊行される。 ○三木照山氏、「三木照山推命学研究会」を設立し、四柱推命/六壬神課/奇門遁甲/宿曜/手相を教授し始める。 ○『推命学看命秘鍵 全2巻』『秘伝神殺看法』『推命鑑定虎の巻 全2巻』(林旺陽著、佑命舎刊、直筆印刷)が刊行される。 ○前沢一光氏、「法道会」を設立。園田真次郎の「法」と「道」の思想を実践・研修する場として、又気学普及の母体として設立されたもの。 ○文化庁が『医心方』を半井家より買い取る。 →『医心方』は丹波康頼によって、平安期に著された現存する日本最古の医学書。 |
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1983 昭和58 |
癸亥 | ○10月3日、三宅島大噴火。 ○12月13日、安岡正篤、没する。(85歳) ○加藤大岳、没する。(享年76歳) ○『中国命理枢要』(鮑黎明著、東洋書院刊)が刊行される。 ○『推命学神髄』(全2巻、林旺陽著、佑命舎刊、直筆印刷)が刊行される。 |
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1984 昭和59 |
甲子 | ○『中国推命術入門』(中井瑛祐)刊行される。 ○『五行大義校註』(中村璋八、汲古書院)刊行される。 →駒澤大学特別出版助成。 ○『医心方』が国宝に指定される。 →丹波康頼によって、平安期に著された現存する日本最古の医学書。 |
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1985 昭和60 |
乙丑 | ○3月15日、西川満『秘解「天中殺」』を、講談社オレンジバックス として出版する。 ○10月16日、俳優の丹波哲郎が四柱推命の本『丹波哲郎と四柱推命の世界』を、かんき出版から刊行する。 ○10月、『胎命学 日本占数学の秘法』(高木総好著、少竜子編、胎命学研究会、非売品)が発行される。 →著者の高木総好は、初代高木乗の弟子。既に1979年に死去している。 ○10月、加藤普品、没する。 (四柱推命学と周易の大家) ○11月15日、『運をひらく』を亀谷圭之助が㈱緑書房より刊行する。 ○林旺陽氏、メンタルサイエンスアカデミィ(MSA)を開き、自ら学長となる。 ○石井利征氏、「石井個性學研究所」を設立する。 →四柱推命・紫微斗数等の東洋占術と中国哲学をPCシステム化し経営及び人生コンサルタントを展開。 ○『大六壬占術』(中井瑛祐、中尾書店)刊行される。 ○『姓名判断』(野末陳平、光文社)刊行される。 |
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1986 昭和61 |
丙寅 | ○6月、『五行大義全釈(上巻)』(中村璋八、明治書院)刊行される。 →しかし、下巻は刊行されず。 ○9月25日、増永篤彦、『新推命学』(東洋書院)を初版刊行。 ○10月、『茨城の近代詩人』(筑波書林/ふるさと文庫)が刊行される。 →茨城女史短大の小野孝尚教授の茨城文学研究の一環として、詩人・清水橘村が野口雨情らと共に取り上げられている。 ○『奥義推命学活用自在』(林旺陽著、佑命舎刊、直筆印刷)が刊行される。 |
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1987 昭和62 |
丁卯 | ○10月、歌丸光四郎、没す。(84歳、四柱推命学、易学) |
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1988 昭和63 |
戊辰 | ○春、1972年(昭和47)に栃木県の荘巌寺で発見された古暦に、年代学研究会の調査が入る。岡田芳朗・神田泰・伊藤節子の3名が担当することとなる。 ○8月、夢枕獏、伝奇小説『陰陽師』を文芸春秋から刊行する。 →1991年2月には文春文庫化され、320万部突破の大ベストセラーとなり安倍晴明ブームの火付け役的な本となる。 ○8月末、長屋王家(北宮)木簡が発見される。 →この木簡調査で、この遺跡が長屋王邸跡であるということが判明する。現場から帰ろうとした調査員が偶然ブルドーザーで掘り起こしたばかりの土に木片が混じっているのを見つけたもの。陰陽寮の木簡もあり。 ○9月1日、橋本晴州、『四柱推命の詳解』を三密堂書店から刊行。 ○安田靖先生、勤めていた会社を定年退職し、各地に四柱推命学教室を開き、本格的に後進の指導にあたる。荻窪区民センター、 浜田山教室、高輪教室、高井戸区民センター等。日舞アカデミーにおいて通信販売用四柱推命ビデオを製作する。 ○10月、『日本暦日便覧(上下)』(湯浅吉美編、汲古書院)が初版刊行される。→日の干支を知るのに便利な暦。 ○野島和信、算命学教室「伝習院」を開校する。東京都世田谷区三軒茶屋にて。 ○『園田真次郎気学大全集』(気学舎)刊行。 →方象講義録9篇/家相奥伝講義録32篇。 |
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1989 昭和64 |
己巳 | ○1月7日午前6時33分、昭和天皇、崩御。 享年87歳。 →死因:十二指腸乳頭周囲腫瘍。皇太子明仁親王が即位。 ○1月7日午後2時36分、小渕恵三官房長官が記者会見で新元号「平成」を発表。 →安岡正篤(陽明学者)が新元号「平成を考案したとされる。 ◆「平成」の由来:『書経』大禹謨の「地平天成(地平かに天成る)」、『史記』五帝本紀の「内平外成(内平かに外成る)」。意味は「内外、天地とも平和が達成される」というもの。 ○1月8日、正式に元号が「平成」に改元される。 ○2月24日、新宿御苑において大喪の礼が行われる。昭和天皇は武蔵野陵に埋葬された。 ○高尾義政、宗教法人「倫道観寺」を設立する。 |
※基本的に敬称略。