五行推命学研究所
五行図による安田式四柱推命学(五行推命)に関する情報サイト



忠臣蔵(赤穂浪士事件)

■「事件の背後に偏官あり」

 いよいよ12月を迎え、忠臣蔵の季節となって参りました。今回は 忠臣蔵を題材として、この事件を命理の上から見て行きたいと思います。今回のキーワードは武家の星「偏官七殺」です。 偏官は革命とトラブルの星でもあり、正官が「文官」であるのに対して、義に生きる偏官は「武官」を象徴しています。 偏官は比肩から数えて7番目の荒れる星なので「七殺」とも呼ばれています。
 偏官には行動力があり正義感も強いので、革命児に多く、歴史に名を残した英雄や革新的人物に多くこの星が付いてい ます。例えば織田信長、三島由紀夫、後醍醐天皇、毛沢東等があり、逆に事件や犯罪を起こして世間を騒がせた人物も多 く、近年では麻原彰晃、オサマ・ビン・ラディン、酒鬼薔薇聖斗、バスジャック少年等々枚挙に暇がありません。偏官は また比肩(我)を陰陽不配偶で尅する星ですので、「自分を尅する者」=「仇」「敵」「ライバル」等をも意味し、 「鬼殺」とも呼ばれます。抑制されていない「偏官」が強く行運等に現れると「鬼が出た!」と言われることもあるくらいで す。偏官はそれを尅する傷官と共に、四柱推命で最も暴れる星となっています。
 この「忠臣蔵」に登場する人物達の命式や行運にも、やはり「偏官」が大いに活躍しています。「事件の背後に偏官あ り」というところでしょうか。このことから「忠臣蔵」の陰の立役者・演出家は「偏官」であると言えるかも知れません。
 ところで、余談ですが日本推命学研究会の安田靖先生は、赤穂浪四十七士の一人・大石瀬左衛門の子孫に当たるとのこと です。大石瀬左衛門は大石内蔵助の親戚筋に当たり、討ち入り時は若干26歳でした。実言う私の妻は、時の老中で赤穂浪 士に切腹を命じた柳沢吉保の子孫(母方)とのことなので、安田先生とは切腹した側と切腹を命じた側という関係になって しまいます。安田先生も私の奥さんも先祖が武家のせいか、やはり「偏官」が命式にあります。

忠臣蔵の登場人物4人の命式

■命式のポイント

 上図は忠臣蔵に登場する主な人物4人の命式ですが、それぞれのポイントを下に列挙ます。名前又は詳細をクリックすると、 該当ページにジャンプして、各人物の詳細説明を見ることが出来ます。


【1】大石内蔵助(赤穂藩・城代家老)         ※詳細

 ○命式:並び「比肩・食神」、五行のバランスが良く安定している。
    ⇒いつもは何を考えているか分からない昼行灯でも、いざ鎌倉に
     強く、バランス感覚がいいので平時は調整役でも、生時と大運
     次第で思わぬ行動力を見せる。
     比肩→武士道、食神→人生を楽しみたい。(京都・茶屋遊び)
     清水次郎長と類似の四柱で親分肌。腹が据わった大人の四柱。

 ○行運:大運が「偏官」
     流年が偏財帝旺→赤穂落城、正官建禄→討ち入り
    ⇒「印星」が休囚している大運。評価されず実力が発揮されず
      →「昼行灯(ひるあんどん)」と言われる。
     「偏官」の大運は人生の転機・変転。いざ鎌倉の時。
    ◎元禄14年(松之廊下)は流年「偏財帝旺」。「偏財」は「財」
     と同時に「父や主君」を意味する。帝旺の比肩的働きで偏財が尅
     される。→主君と俸禄を失う。
     流年「偏財」は遊びを意味、いまだ決意決断の時にあらず。
    ◎元禄15年(討入の年)は流年「正官建禄」で決断と行動、
     そして義に生きる時。大運と流年が共に官星となり、官が殺
     化して、正に決起の時。この年の義挙が後世まで名を残すが、
     殺が強まっているので、切腹は免れない。



【2】浅野内匠頭(赤穂藩・藩主)           ※詳細

 ○命式:「月上偏官」「五行も官星太過」「二墓が病を挟差」
     「太過した偏官に比べ比肩が1つしかなく運気の根が弱い」
    ⇒正義感は強いが、カッときて切れやすい。
     武辺の星であって、義に生きて、華美を嫌う。
     損得勘定で動くとこを潔しとせず、融通が利かない。
     「偏官」が敵と仇を生み、身を尅する。
     「挟差」「官星太過による五行偏向」→病弱(痞えの持病)

 ○行運:偏官を抑制する食神が偏印によって「倒食」される時期。
    ⇒「倒食」作用によって、運の乱調と健康状態の不安定さ。
     「倒食」作用によって、偏官が暴れ出す。
     「食神」→勅旨饗応役(御馳走役)。しかし、倒食すること
      によってこれが仇となる。
     流月が劫財:劫財倒食(劫達崩れ)
      →チャンスとピンチが同時に来る。
     「松之廊下の日」は流日が偏印冠帯羊刃、冲尅で開墓(飛刃
      と冠帯)、金局、金(辛)の日
       →倒食が強まり、金が刃物沙汰を呼ぶ。
     ★偏官と他の凶星の働きにより、内匠頭の心に「疑心暗鬼」
      を生んだことが悲劇に繋がる。



【3】吉良上野介(高家筆頭)          ※詳細

 ○命式:並び「食神・偏官」、吉星の食神が休囚、凶星の偏官が沐浴。
     日支も死。月柱が「丁酉(山下火)の食神」。
    ⇒本来親分肌的な「食神・偏官」だが、食神が休囚し偏官が
     沐浴することによって、一見ソフトで物腰も柔らかそうだ
     が変なプライドと感受性の強さがあり、言葉に棘と嫌味が
     出ることもある。しかし、自分が指南役として責任を持っ
     ている勅旨饗応役を台無しにするような”いじめ”をする
     ほど馬鹿ではない。
     納音山下火の食神で派手さや華美を好む、また絶している
     上に偏官があるので、美栄を張るところあり。

 ○行運:大運「偏官」。松之廊下の年は流年に「偏官」が重なる。
     大運と月柱が「天戦地冲」となっている。7回目の大運に
     は注意が必要、波乱を呼ぶことあり。
    ⇒「偏官」が重なることによって殺と化し、「仇」「鬼」が
     刀(辛)を持って、眼前に出現。
     討ち入りの年(元禄15年)は印綬長生で人の助けがあり偏官
     を多少なりとも和らげてくれる年であったが、討ち入りの月
     (旧暦12月)は偏印となり、この月は一転「倒食」し、命を
     危険に晒すこととなった。

     ★後世、吉良上野介は敵役として悪人的イメージを飢え付け
      られてしまったが、刃傷事件だけに関して言えば、内匠頭
      の「疑心暗鬼」の犠牲者であるとも言える。



【4】浅野阿久利(瑤泉院/浅野内匠頭の正室)     ※詳細

 ○命式:「官殺混雑」「月上の敗財が旺相」「恃勢刑(寅巳申)」
     ⇒一見大人しそうで言い出したら聞かない。
      プライドが高く好き嫌いもはっきりしているが、義理人
      情があって、困っている人を見ると黙っていられない。
      肉親関係の縁が薄く、孤独で淋しい晩年を送りやすい。
      所謂「後家相」の典型。しかし、運命的な夫運は悪いが、
      夫との仲は良い場合が多い。運気的な不運さはあるが、
      人間的には確りしている。

 ○行運:流年の傷官が大運の偏官と四柱の偏官(年)を尅する。
     ⇒「偏官」の大運は人生の転機。
      流年の傷官が官星(夫の星)が尅す。→夫に傷が入る。
      「傷官十干記」で金(辛)の傷官が旺相→一番危い傷官。
      「辛丑傷官養」の日(流日)に夫(浅野内匠頭)が切腹。



※日付の区切りについて

 現在は午前0時で日付が変更されていますが、江戸時代は朝方に日の出時刻頃の卯刻 に日付が変わるようになっていました。従って討入日は旧暦12月14日寅刻となって いますが、今日的には12月15日の午前四時頃ということになります。従って、討入 日の干支を「辛卯」(旧暦12月15日、新暦1月31日)として、解説しています。