2001/7/4(水)
いよいよ終盤である。我等が足利義輝公が名実ともに武門の総領として幕府の力を日の本に再興させる日も近い! 1577年2月、石見の益田城を抜き、3月に山口城の輝元を豊前の小倉城に追う。 そしてそのまま長門国且山城のの宍戸隆家も九州へ追い落としてしまう。 南からも島津に追い立てられ、風前の灯火の毛利を前に、島津に降伏勧告してみることにする。 毛利を倒した暁には、同盟破棄してくるのは火を見るより明らかなので、その前に出来るなら足利配下にしてしまいたい。 降伏勧告には、 1:まず「同盟」→「支配」の関係に進めておく。 2:支配している状態で友好度が最高の「盟友」になっている。 ここまで両家の関係が至っていれば、支配している側に「降伏勧告」の選択肢が出ます。 しかし支配力が43996の足利幕府であっても…… う〜ん。流石は剛勇で知られ名門でもある島津家。 支配力もほぼ九州を持っているし、6678あるから降伏まではしないのかなぁ。 (史実じゃ秀吉に降伏したのは……「支配」までで「降伏」ではないってことなのかな?) 幕府を宗主としては認めても、主君とまでは認められないか。あくまで独立を維持したい、と。 まーいーや。毛利を潰してから考えましょ。 おっと発見、小早川隆景が独立してまだ国主だったよ。 先に潰さないと大名として残ってしまう。4月末に本拠の長門国且山城から遠征し、三木城を潰す。 しかし今度は因幡国出石城にワープ(><)。おいおいそんなのありかよ。大名は追いつめられたらワープ出来んのに。 (だから今回、三木城の小早川領を見落としていたのか……おかしいと思ったんだ。) 国主はしぶとく再起出来るってバグじゃないの? 確かに一度は捕まえれるけどさぁ。 (大名は解放出来ないジャン(><)) まぁこのゲームも色々とバグはあるからなぁ……とにかく「複数領地を持っている国主は全部潰さなきゃダメ」ってことだな。 大名と違って。 次いで6月、いよいよ豊前国小倉城に毛利輝元を追いつめる。 防御力は50だが、兵は11735騎いる。おまけに吉川元春・小早川隆景の両川も守りについている。城防御を無くすほうが早いな。 城防御50なら「水攻め」+「焙烙」で3日で落ちます。 まだ25歳の若者だが、叛臣の責任は取ってもらわねばならない。南無。 さて、もう一度島津に降伏勧告しに行く。しかし結果は同じ。結局戦って滅ぼすしかないのか。 降伏するにはちょっと勢力がでかいのかなぁ。 内城に行ったついでに東郷重位に手合わせ願う。 「碁盤斬り」の他に「天下無双」の称号も得る。う〜ん、何だかんだ言ってそんなに試合っていたかぁ。 翌月になっても同盟破棄をしてこないようなので、そのような煮え切らない態度は上様もお喜びにならないであろう。 そのような日和見の者は実力にて成敗するしかない。幕府より最後通告後、宣戦を布告する。 幕府であろうと、その変わらぬ態度天晴れである。しからば我々の行く末、弓矢にてとくと語り合おうではないか。 島津家の大名直轄以外の城は3つ。豊後の義弘居城の府内城、肥後の歳久居城の隈本城、薩摩の義虎居城の大口城である。 ここ小倉から攻め入るには、上記の順番で2の字を描くように阿蘇麓を西進して進むのが良いだろう。 まずは府内と隈本に破壊工作の忍を走らせ、同時に進路上の支城を落とし始める。 7月上旬、府内城の鬼義弘と対決。破壊(城)はかけてあるものの、防御度75に12885の兵。 オーソドックスに「水攻め」「焙烙」で落とすのが良いだろう。 しかも島津も当方の土佐国中村城へ兵を送っている模様。激しい斬り合いである。 「水攻め」をことごとく「看破」され結構な苦戦となる。おまけに島津義弘は戦国時代で5本の指に入る猛将。 被害はそこそこであるが、史実でも野戦・攻城戦が得意だった彼。真田親子のような苦戦はせず撤退させる。 予定を変更して、南の豊後国佐伯城を落とす。伊予→土佐のルートを塞いでしまったのだ。 そのまま伊予国宇和島城も落とし、土佐国中村城を救いに向かう。 士気が厳しい強行軍ではあるが、兵達にも頑張ってもらう。ここで島津に弱気を見せてはいかん。 「車懸の陣」で中村城を囲んでいた義久軍を無事撃破。7月の九州〜四国の戦いは圧勝に終わる。 8月、豊後国岡城→阿蘇を横切って肥後国隈本城へと進軍。陥落後は本拠も隈本に進める。 9月、肥後国八代城→南下して薩摩国大口城→薩摩国加治木城へと雪崩れ込む。本拠薩摩国内城は目の前だ。 そして10月、恐らく最後の戦いであろう内城攻略戦だ。敵は防御度50に14711騎。防御度を0にするのが良いだろう。 かくの如く、遂に最後の叛臣島津家も討伐できたのである。
それがしにとっても悲願でございました。 この明智十兵衛、涙にむせぶばかりでございます。 ちゃんと「再興」になってるね。開発チーム偉い偉い(^^)。 良いことだ…… この辺りは江戸幕府そのままなんですね。 勿論でございます。 お疲れ様でした、道雪たん。 瓶割り柴田もお疲れ様。 遠国ですが大大名ですな。 うむうむ。 う〜ん、ここは「管領」にして欲しかったなぁ。 お疲れ様でした。享年47歳というところですか…… あややや。跡継ぎには恵まれませんでしたか。 あららら、残念。光秀は乱世を沈めるところまでは出来ませんでしたか。 しかし、一人の人間としてはここが限界でしょうか。まぁ頑張ったと思います。
さて幕府再興はなりましたが、中興とまでは言えないエンディングでした。 秀吉亡き後の、関ヶ原〜大阪夏の陣を表しているのでしょうか。 それとも三國志VIIのように条件次第でマルチエンディングなのでしょうか。 それは初めて統一エンドを迎えたオイラにはちょっと分かりません。 (ハンドブックにも書いてないしね) さて、足利義輝を天下人に!というテーマでしたが、一応不可能ではありませんでした。 しかし、死因が病死・老衰以外の人でも、史実で戦死・事故死した人は早死にする設定になっているらしく、 足利義輝は実際には1566年から死亡チェックが始まりました。 ここはセーブ&ロードを繰り返して1577年まで乗り切りました。 ですが実際には義輝公は4〜50回はお亡くなりになっております(^^;;;。 とりあえず、国主となって主君に統一エンドを迎えさせるところまでは一通り成功いたしました。 歴史IFを配下の視点から進めることが出来るという点では、 秀吉以外でも幅広い主人公で出来るという意味でも、まぁまぁ面白いと思います。 秀吉以外でのイベントの少なさ、ミニゲームの頻度・難易度、 武将以外で(忍者・剣士・商人など)でのプレイの浅さなどまだまだ荒削りな部分は多いですが、 合戦でのカードバトルなどは秀逸だと思います。 今後の太閤立志伝開発チームには期待したいところですね。 コーエーの他の開発チームの人達にも参考にして欲しいところは多いです。