シナリオ1:明智光秀 <浪人〜足利家国主プレイ>:4 (2001/7/4)

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2001/7/2(月)

一つ一つ城を落としながら北上し、じわじわと春日山に迫る……
破壊(城)のみならず、米どころの兵糧米も破壊(放火)でバンバン潰しながら、謙信が身動きできないようにしていく。

1573年12月、ついに春日山城攻め。防御度は86、兵糧は14000強、守備兵は16000強である。



この戦いは思ったより楽だった。「秘策」を使わずとも、手札にドンドン予備の「水攻め」や「焙烙」が入ってくるのである。
敵にしてみれば一生懸命「看破」してもすぐに手札から「水攻め」が出てくるのでインチキにも思えるだろう。

しかしこのカードバトル、TRPGなどで戦闘指揮官を演じるときには良いルールかも知れない。
HEX戦よりも個人のスキルを重用視するTRPGシステムには、
「秘策」や取得カードのバリエーションを付けることが似合っていると思われる。
それに何と言ってもHEX戦よりルールが簡単だから、女性などでも楽しめるだろう。


1574年は今浜に石田三成、姫路に後藤又兵衛、平戸に成富茂安(龍造寺が滅亡していれば)が元服します。

1574年4月、遂に栃尾城に叛臣上杉謙信を追いつめる。
景勝・兼続ら優秀な家臣が配下になるが、謙信は頑なに恥じ、切腹させざろうえなかった。



景勝・兼続らに後事を託して出仕させ、自分が全ての責任を負うといったところでしょうか。潔い。



ちなみにこんな人も。はう〜ん、直臣のままにしとこうかな。面倒だから推挙しちゃおうかな。


さてこれからの戦略だが、まず北条と結び、蝦夷方面に先に幕府の威光を知らしめたいと思う。
史実ではもう死去しているはずの(1571年)の氏康もまだ健在だし、いきなり北条とぶつかるよりは、
伊達を初めとする陸奥の諸勢力(と言っても大分伊達が肥大化しているが)を抑えたほうがマシであろう。



早速小田原へ赴き北条氏康に幕府勢力との同盟を持ちかける。
本来は「支配」をかけたいところだが、それには北条は国力が大きすぎる。



無事同盟締結。しからば北方へ向かわん!


この頃鈴木重秀も家老になる。珍しいと思ったので1ショット。




しばらく新発田城と本庄城の補修・増築を行い、1574年7月羽前の最上領を征伐する。
もう足利家に属さない者は全て反幕府側と見なし問答無用で討伐じゃあ!

しかし暗愚な義守が収めている最上本拠山形城ではあったが、なかなかに堅い。
防御力137に14000騎。おまけに義光が鉄砲隊4000騎を率いている。簡単に落とすというわけにはいかないようだ。
しかし謙信公の後を継いで「軍神」の称号を得たこの明智光秀、足利幕府の為にも引き下がるわけにはいかん!



19000の兵が10710まで減る被害を受けたが、「水攻め」にて無事山形城を落とす。

1574年8月、鮭延城にて最上家を滅ぼす。最上義光と沼田祐光を配下にする。

1574年9月伊達領角館城に侵入。10月には破壊(城)をかけた本拠米沢城を攻撃する。



防御力は75になっているとは言え、英傑晴宗の率いる騎馬8000騎・鉄砲6000騎は恐い。
当主晴宗の鉄砲技能がさほど高くないのが救いと言えよう。(これが信長だったら……)

勝家・忠勝・重秀の大筒隊1100門と光秀のおなじみ「水攻め」「焙烙」で出来るだけ被害を少なく落とす。
後世ナポレオン=ボナパルトも言う。「砲兵が耕し、歩兵が前進(整地)する」と。
一度本拠地を落とせば、しばらくは強大な伊達家もすぐには反撃してくる力は無いだろう。


ここで勢力を見渡せば、島津vs毛利・武田vs北条の図式となっている。よしよし。
どうやら毛利・武田が押しているようだ。


ここで勝家・道雪・重秀・忠勝の最強4将が揃って家老になったので、家老ファッションしょー(^^)/!



おなじみ勝家です。家老の中では派手目です。猿で始めてもすぐに見れますね。
統率94・武力89は過剰評価なんじゃないかと思えるほど強いです。
まぁ織田家が主人公のゲームですから特に贔屓されているのでしょう。
織田家を敵に回すとこいつと半兵衛・光秀が特に強く感じます。



半身不随になっても愛刀「雷切」を片手に輿で戦場をかけた老名将、立花道雪。
家老姿は渋めに決めてますね。統率95・武力88は流石です。



先程もご覧いただきましたが鈴木重秀。雑賀孫市の別名でも有名な伝説の鉄砲傭兵隊長です。
戦国群雄伝以来コーエーゲーでは圧倒的強さを誇っていますが、
このゲームでも統率92・武力85は、味方になればありがたい限りです。
家老姿は意外に重厚です。



本多忠勝。初め見たときみんなビビリます。この水牛?の前立は。傾奇者だったのか(笑)?
首から下げている大数珠もこの時代の武辺者らしく雰囲気出ています。
シナリオ3ならいきなりこの勇姿を見ることが出来ます。
統率92・武力90も頼りがいあります。



おまけに一軍では無いですが、山中鹿介も家老になったので。
統率71・武力84は前の4人ほどでは無いですが立派ですね。
こちらはどちらかというと渋めかな?


1574年12月、黒川城に伊達晴宗を敗死させる。
優秀な人材であったが、「茶会」で親密度が上がらないタイプなため、面倒臭くなったのである。
ここまで来たら、どうしても必要な人材と言うわけではないし。
後は輝宗が継ぐ。


1575年は鈴木重朝が元服。重秀ほどではないものの、内政以外オール70代は優秀な能力値。
後は会津に蘆名盛隆、岡崎に井伊直政、岐阜に福島正則、浦戸に高島正重が出る。
そろそろシナリオ1当初からのメンバーは寿命を迎え始める連中も多いので、直政と正則は配下にしておきたい。

1575年3月、叩いて弱っていた伊達輝宗が気合いを入れて多方面攻撃をしてくる。
輝宗軍はこちらの本拠の角館城、伊達実元軍が二本松城に攻めてくる。
輝宗軍は防御度150の角館城で徹底的に叩き、返す刀で二本松城への援軍がギリギリ間に合う。
このまま叩かれているのもシャクなので、実元を追撃して仙台城を落としてしまう(ウヒヒ)。

1575年8月伊達家を滅ぼす。次は関東の弱小勢力(結城と哀しいかな佐竹)を屈服させるつもり。
須賀川城に本拠を移し、北方から佐竹を睨む。


1575年12月佐竹家を滅ぼす。当主傑物の義重配下になる。




1576年である。



年初からこれである。武田め、毛利・北条と供に国内最大勢力の幕府軍を相手に立ち回れるつもりか。
確かに武田には足利領の内側に陣取られているから、守りにくいと言えば守りにくいのだが……
さて、どのように武田とやり合っていくか。

まずは本拠を岐阜城に移す。西進させると厄介だ。ここから甲信地方を脅かしていくのが一番堅実だろう。

忘れてはいけない元服武将。酒田に鮭延秀綱、岐阜に加藤清正、今浜に渡辺勘兵衛、姫路に斎村政広、今治に来島通総、
府内に大友親家、根占に肝付兼護が出る。


1576年5月、こちらから武田に先制攻撃。南信濃の飯田城に攻めかかる。
ここを落とせば北信濃へも遠江へも睨みを効かせることができる。
ここを本拠として前線基地とし、武田領を侵略していくことにする。



躑躅ヶ崎館に向かって探ってみるが、どうやら馬場・内藤・山県・高坂といった名将連中は
どうやら全て城持ち・国持ちになっているらしい。
戦力が分散されていることを考えると、各個撃破でじっくりと構えれば武田恐るるに足らずである。
伝説の信玄公も今は亡い。

また当主勝頼も北条との戦に忙しいようで、今のうちに攻撃すれば大分楽に武田の力を削ぐことが出来そうだ。
それにしても勝頼の同盟破棄のタイミングは間違っている。

まずは飯田城より南下する。二俣・浜松のラインで東海を分断する。
こうして吉田城の馬場信房をまずは叩きつぶすことにする。
国持ち家老を潰すと、本拠に帰ってしまうので戦力が集中してしまうが、多方面攻撃されるよりはいい。

いざ攻め始めてみると、防御力25の激弱城が多い。こんなのは「焙烙」5連発で損害無しで落とせる。


吉田城を落とした後は、信濃・飛騨の城持ち連中を叩く。
木曽福島の木曽義昌、松倉の大朝朝秀、戸石城の真田幸隆、高遠城の武田逍遥軒の順に落としていく。
戸石城は幸隆・昌幸・信綱・昌輝が優秀で「陥穽(かんせい)」「落石」を使ってくるが、
守備兵が少なく、防御度もさほどではなかったのであまり苦しめられなかった。
高遠城なんぞ防御力25でノーダメージで落としたので、余勢を駆って本陣の躑躅ヶ崎館まで追撃してしまう。

躑躅ヶ崎館は流石に防御力124とあったが、度重なる対北条戦のためか、守備兵は5323と少ない。
第一西方からの幕府軍侵攻に対し、何ら反撃を為し得なかったのが武田の苦しさを表している。
全く持ってあの時期に同盟を破棄してきたのか理解に苦しむ。
これでは後世に長篠で惨敗したのも無理がない大将だ、との誹りは免れまい。

ただ、真田幸隆の「落石」だけは嫌らしい。これは優先的に秘策を使ってでも「看破」しておかねば。
流石に真田は山間部での防御戦に強い武将だ。

20000の攻撃軍が13643まで減ったが、躑躅ヶ崎館を落とす。
勝頼は駿河の駿府城へ落ちていった。なんだ、後4城落とせば武田の残りの広大な直轄地は幕府に落ちるのである。
これは楽だ。



本拠地を躑躅ヶ崎に移し、更に追撃を始める。まるで武田末期の天目山の戦いのようだ。

下山の小城を一蹴し、そのまま駿府に雪崩れ込む。駿府も防御力37に3000強の兵と拠点に成り得ない状態だ。
如何に真田親子が奮戦するにしても限界があろう。
駿府を落とした後は、そのまま山県昌景の籠もる兵糧0の興国寺城を一蹴する。
ここでついに「常勝将軍」の称号を得る。日の本最強の武将の誉れである。




そして1576年7月、同盟破棄よりわずか半年強で、清和源氏以来の名門武田家が滅びたのである。
家柄なら足利家や我が明智家にも劣らない名家も、滅亡するときは早いものである。



叛臣武田勝頼には、しっかりと腹を切っていただいた。

武田の老臣達は老い先短いが、名将真田昌幸が配下になったのは嬉しい。






後は寸断された氏康亡き後北条家を併呑していけば、東日本はほぼ幕府が統一したに等しい。


1576年8月。



……まったくもって馬鹿なCOMである。戦って併呑したい武田が消えたからのことなのであろうが、
国力も人材も違いすぎる足利幕府に刃向かうとは、天に唾を吐くのに等しい行為である。
武田の戦略から何も学ばなかったのであろうか。大人しく臣従すればいいものを。


北条はもう大したことはない中堅国である。韮山・玉縄・小田原の3城を落とせば滅亡である。
防御力170の巨城小田原とて、忍術Lv3の配下に破壊(城)を繰り返させれば程なく落ちよう。

早速服部半蔵・鈴木重秀・下間頼廉に30000貫で小田原城を破壊させながら、周りの2城の切り取りにかかる。
韮山城攻めの時に、小田原から援軍を出してきたのは武田より偉かった。
特に北条綱成には「五月雨撃ち」を「神速」で2回も潰される。流石は「地黄八幡」である。
他の氏政ら凡将連中もカード運に恵まれてか意外と善戦し、何と侍大将の前田慶次が撤退させられてしまう。
これは少し見直すべきか。



しかし、所詮は武田の勝頼にちょこちょこと関東平野を浸食されていた凡将共。
百戦錬磨の足利軍に勝てるわけもなくはじき返される。弱小にしては良くやったと誉めておこう。


1576年9月、小田原攻め。相手は防御力105に籠もる18000騎である。対する我軍は大筒800門を含む20000騎。
大量の大筒で城を破壊しつつ、「水攻め」も加える両面作戦である。

しかしやはり北条綱成には苦戦させられる。高等な特殊カードこそ使わないものの、
「神速」が得意なため、こちらの特殊カードがことごとく潰されるのだ(><)。
う〜む。強力なカードが使えない奴にも、こんな強い面があったとは……
綱成には初めの一戦闘ターンで4000の兵を2919まで減らされる。綱成の騎馬隊の突撃は一撃で300近く減らしてくれるのだ。

綱成に無理に当たるのは兵の消耗と考え、他の凡将等と戦いつつ「水攻め」で城防御度を減らす。
しかし北条氏照までもが「神速」を2連発してくる。どーなっとんじゃー(><)。
(このゲームでは氏照もまぁまぁ能力値は良いけどね)

まぁ「水攻め」の強力なところは防御力を減らすのと同時に毎ターン士気も5ずつ下げてくれるところ。
段々相手は「鼓舞」を使わなければならなくなり、攻撃できずジリ貧になっていく。
(それでもCOMの「鼓舞」を出す頻度はインチキ臭いほどだが。人間ならとうに士気崩壊じているはず。)
城防御度が15になった時点で、「焙烙」3連発の必勝パターン。

他の凡将はともかく地黄八幡・北条綱成は召し抱える。



ここに後北条家は滅亡する。
同月結城家も滅ぼし、ここに足利幕府の東日本完全統一が成立する。



残るは強豪、毛利と島津である。
毛利は英雄元就が亡いとは言え、両川が健在である。苦戦は免れないであろう。
早速摂津の伊丹城に本拠を構え、まず島津と同盟を結びに行く。


おっと10月になったらいきなりコレである。



COMとしては常にこちらを飽きさせないようにしてくれているのであろうか(笑)。
東を制した覇王に島津と戦いながら宣戦とは、頭がどうかしている。
まぁこちらから宣戦する手間が省けたわ。



早速島津家当主義久と同盟を結ぶ。敵の敵は味方である。これで毛利殲滅に注力できる。
ますは小早川隆景居城の鳥取城攻めである。同時に福原貞俊居城の姫路城に服部半蔵を送り込み破壊(城)をさせる。


鳥取城は防御力75に13000騎。まぁまぁの拠点である。「水攻め」を使えばどうということはない。
……っと、敵の全隊が士気がたったの!? 攻撃してきた隆景隊に「罵詈雑言」一発で勝利である。何でだろう……
そのまま姫路城も攻めちゃえ。

姫路城は防御力75に12000騎。士気は普通だった。しかし本隊以外は備大将。
普通に「水攻め」「焙烙」を使って陥落させる。


この頃、竹中半兵衛を寄騎家老にしたので1ショット。



シックですね。


次は羽衣石城を抜いて、口羽通良居城の月山富田城が目標である。堅城で有名なため、破壊工作も必要か?
とりあえず鈴木重秀に破壊(城)をさせ、結果を待って攻撃を仕掛ける。

防御力75まで下がれば大きな苦戦は無いであろう。守備兵も12000、通良以外は備大将達ばかりで標準である。

陥落後は次の吉川元春居城の山吹城攻めのため、前線を月山富田城に移す。
忍術Lv3になっている丸目長恵に山吹城の破壊(城)を命じることも忘れてはいない。


1577年1月山吹城攻め。防御度は50まで下げてある上に、守備兵は5888。
これでは猛将との名高い元春もどうしようもないであろう。

あっという間に毛利輝元の本拠、吉田郡山城の喉元まで喰らいつく。
まさか輝元も宣戦3ヶ月でここまで進軍されるとは思ってもみなかったであろう。
この私を誰だと思っている。伝説の「常勝将軍」であるぞ。



服部半蔵の破壊(城)工作を待って、1577年2月吉田郡山攻めを行う。
史実では大尼子が攻め倦ねた不屈の山城である。


さてここでおまけのコーナー。昨年のGWにシル(略)子はなーみの結婚式にこの辺りへ行ってきたのです。 その時、新婚のなーみを奥さんをほったらかしにさせて(オイ)、吉田郡山城跡へ行ったときのショットです。 これが吉田郡山。この日は素晴らしい晴れた日でした。 参道入口です。 読めないだろうけど……城の説明が書いてあります。南北朝時代から毛利氏が建てたらしい。 吉田郡山城がどういう構造か分かります。尾根を連ねた構造の山城は近江の小谷城と同様堅固です。 中腹には元就公の墓所がありました。 ここは……確か二の丸だったかな。   本丸跡です。木々が多く、この廃墟と化した状態では山の外は見えませんでした。 中腹にあった展望台からの眺めです。 向かいの山との間に川が流れており、そこを挟んで尼子3万の大軍がこの郡山城を囲んだのです。ぞっとしますね。   麓には元就公の居館跡があり、元就公の像もありました。 しかし、像の写真の顔の部分がなぜかモザイク状に……ちょっと恐い。元就公ごめんなさいm(_ _)m。
今回のゲームでは服部半蔵率いる影の軍団に、予め可能な限り郡山城を破壊(山を焼いたのか?)させてある。 しかし、なーみと上り下りしてみたけど、この山城攻めるったら起伏だけでもかなりのモンだよ(^^;。 光秀率いる幕府軍も苦労するだろーなー。 籠もるは防御力75に10293の守備兵。麓の川を堰き止めて「水攻め」に限ります。 毛利お得意の「焙烙」で山を焼き払いながら進みます。 吉川元春の騎馬隊だけにはまともに当たらないようにしましょう。 毛利輝元は山口城まで逃げたようです。夜も遅いし、ここらで今日は寝ますか。 ここまでのトータルプレイタイムは、42時間48分です。

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