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vol.11

  川本真知子詩集『勾配のきつい坂』を読む   桐田 真輔 KIKIHOUSE 



 『勾配のきつい坂』は、26編の作品からなる詩集。ページを開くと、巻頭に、ちょっと不思議な味わいのある「原始の目玉」という作品がおかれていて、詩集全体のとても効果的な導入部になっている。というのも、この作品の主題が、詩集全体の表現の基調を暗示しているように思えるからだ。「電気のなかった時代の/目玉があれば」、「真っ暗な闇にも/濃淡を見つけられる/あたりの/湿気を感じ、/風の匂いを嗅いで、/雨を知る」という2連に続く作品の後半部では、「私」は今日、人に出会うと予感し、朝のうちにリンゴをハンカチに包んでおいて、実際その人に出会ったときに手渡すだろう、そうして、そのひとがハンカチをひらいたら、ふわっとリンゴの匂いがあたりにこぼれる(だろう)、という想像が描かれ、「電気のなかった時代の 目玉がほしい」と終わる。

 さっと読むと、「原始の目玉」(電気のなかった時代の目玉)という言葉から直接連想されるのが、「真っ暗な闇にも/濃淡が見分けられる」ということだけなので、後半のエピソードとの関連にとまどって、ちょっと不思議な感じがするのだが、もちろんここには一連の繋がりがある。たぶん「原始の目玉(がほしい)」というのは、作者のなかで、「目玉(視覚)」に限定されない、瑞々しい身体感覚に開かれた古代的な感受性(への願望)そのものを象徴している言葉なのだ。もしそんな能力があれば、私は現代の平板な風景、見過ごしがちな風景のなかにも、事物の濃淡を見分けたり、人が気に留めないような湿気や匂いに反応して、雨の予感さえ得ることができるかもしれない。そしてきっとこれから起こるであろう未知の他人との出会いさえ、午後の雨の到来のように予想できるだろう。もしそうしたら私は、こっくりと赤い小ぶりのリンゴ」を、出会う人のためにハンカチにくるんで用意するだろう、という空想が語られているのだが、この魅力的なリンゴの比喩は、きっと未知の人に届けたい「作者の詩の言葉」(の、ありかた)を意味しているのだと思う。私のいろいろな想念や思いをそのまま伝えるのではない。それを私のもつ原始の目玉(感覚)を濾過した、好ましい形態や匂いや味わいや皮膚感覚を伝える言葉として贈りたい、というのだ。

 読者は、この詩集をひもといていくと、そんな「原始の目玉」を通して見たような、瑞々しい身体感覚のあふれる言葉の世界に出会うことができると思う。舞台にはさりげない都市生活の日常のひとこまが選ばれ、そこここに配置されたり、置き去りにされていたりする物象が、透明な「原始の目玉」にきりとられて差し出される。本当は殺伐としていたり、冷ややかで孤独な情景かもしれないのに、ここちよい爽やかさや暖かさが感じられるのは。対象をきりとる作者の感受性が、若さのもつ特権的で幸福な力の作用に満たされているからのように思える。ときに息をひそめたり、大きく伸びををしたりしながら、作者はしっかりと、現在という「勾配のきつい坂」を登って行く。そこでは、ありふれた地名さえ、軽やかな都会の風をうけて輝いてみせる。

 ではこの詩集全体が同じトーンで完結しているのかといえばそうではない。詩集後半におかれた「花火のあと」、「静かな夜に」、「とおい約束」、の3編は、それまで感覚的な表白の世界で、主題としては退いていたようにみえた他者の影が、しだいに輪郭をあらわにしはじめているように思える。このことが作者の詩作のうえでの転調を意味するのかどうかわからない。けれどこの3作のどれも登場人物の造形がしっかりしていて印象的な詩になっている。ここでも作者はダイレクトに他者を語るのではなく、情景や他者に語らせることでその魅力をひきだしているのに注意しよう。ちょっと色合いのちがうこれらの作品でも、作者は素敵な「原始の目玉」を携えているように見える。

川本真知子『勾配のきつい坂』(1999年6月10日初版発行ふらんす堂

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