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vol.11
<詩>透いてきて、だんだん、だんだんと透明で(駿河昌樹)へ

 駿河昌樹の詩 2 

「Nouveau Frisson」(駿河昌樹編集・発行)より

<詩>見続けているかぎり、‥‥、なお、‥‥(駿河昌樹)へ


枯れた花について

  
    
枯れたこの花はすてない
わたしにもらった花だもの
花瓶よ おまえに
もう水をそそがない
いつまでも花と
過ぎ去りのかたちして
立ちつくしておいで
  
  
過ぎていったことの
あわただしさに浮き立ったようで
まだ浮き立っているようで
さびしさは
遠い沖あいの陽のきらめき
まだ
わたしはからだといる
こころといる
だれであっても
もう
よいと思うじぶんに
どれでもよい
ちいさな花をおくる
  
  
贈られた花もみな
すてられていくばかり
花の墓を
だれがつくっただろう
ものを支えるのはこころで
こころはべつのこころの
贈った花を愛さない
べつのこころのこしらえた
墓も
訪れはしない
  
  
枯れた花をはじめから贈ることで
終わらないものを求めてもよかったか
  
時間も場所も
ことに枯れやすい花
守るために
わたしたちはこころをさらに枯らす
  
  
あしばやに
やせほそった足の娼婦が過ぎゆき
エレミヤの一節はよみがえる
「あなたの若いときの真心
花嫁のときの愛
種まかれぬ地、荒れ野での
従順を思い出す」
純なるもの
まごころ
愛 それらは
すべてあのころにあり
荒れ野にあり
ゆたかな失いの
失いの記憶のうちに
ひらききっていく
さいごの
ひと襞まで
        「Nouveau Frisson」93 fev.2000より

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見続けているかぎり、‥‥、なお、‥‥



  
裸ではない、写真の女。下げ気味にした右肩をすこし後ろにひねり、
おおきな腕輪をつけた左手を腰に。
右手は項のあたり、白い帽子のひろい鍔をかるく押さえている。
色のない縞が縦に入った白いボディス。肩はすっかり出ていて
フラッシュの光に輝いている。黒い肌。
アーモンドのような、大きな整った目が見開かれている。
カメラを逸れて、瞳はわきに流れる。
ポーズ、媚態を示す古典的な、そのゆえに清潔な印象のポーズ。
女の右側の背景はとても暗いが、左側には輪郭の曖昧な光の帯が見える。
窓? それとも建物のはずれ、むこうに見えるなにかの明かり?
  
黒い肌。しかし、黒人ではない。南欧の日焼けした女の肌、あるいは、
アラビアの血を引くヨーロッパの女。
  
黒い肌。モノクロ写真のゆえに。夜のゆえに。
白い大きな帽子とツーピースのゆえに。
  
黒い肌。死んでいるはずの女。第二次大戦以前の写真。すでに
死んでいるはずの女。
  
黒い肌。モノクロ写真のゆえに。見開かれた大きな目。逸れるまなざし。
瞳のまわり、際立つ白。すでに失われたはずの白。
  
黒い肌、手の、指の先まで。ことに手の甲から中指への黒い流れ。
  
はじめから失われていたかのような黒。
失われることなどないかのような。
  
死んでいるはずの女。関わりの持ちようもない‥‥ こちらへ
向けられているのでない媚。まなざし。関わりを
持とうとしているわけでもない‥‥ 残っているのは(「それ、言葉だけが、
失われていないものとして残りました。そうです、すべての出来事にもかかわらず」。
ツェランは、そう言っていたが‥‥
  
まだ、わたし、
見続けているかぎり‥‥、 なお、‥‥




      パウル・ツェラン「ハンザ自由都市ブレーメン文学賞受賞挨拶」(飯吉光夫訳)
       「Nouveau Frisson」85 juin 1999より




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