嗜好 |
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螺旋型の山は、左へのゆるい勾配ではじまる。繋ぎ目のない滑ら |
かな地肌は、まるである生物の、カルシュウムが蓄積された殻の内 |
側を思わせる。 |
女たちが家畜を放し飼いにするのはこの狭い遊歩道である。その |
時間、昼どきには、無数のかたつむりが、道幅いっぱいに広がって |
ゆっくり進んでいく。放牧は成長した雄の家畜に限られるが、それ |
というのも、彼らはすでにその螺旋嗜好を完成させており、上昇を |
伴う進行には、勾配がたとえわずかなものであろうと、必ずゆっく |
りとまわりながら歩み続けるからである。 |
その盲目的な螺旋への好みは、明らかに一族の貴重な家畜特有の |
習性ではあるのだが、長い間の家畜との生活のためか、人々もすで |
にその嗜好に完全にとらえられたかにみえる。かたつむりの美の条 |
件としては、そのカルシュウムの蓄積が精密で滑らかでなければな |
らず、それに関連しても、この遊歩道は、自然の地形として、まさ |
しく最も美しいものであろう。 |
肥えたかたつむりの味が、人々のゆきすぎた螺旋嗜好のために過 |
度に好まれるとはいえ、それは、一族の生くるに欠くべからざる暗 |
示のひとつである。 |
辺境 |
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道しるべには、距離を示す単位は使われない。ただ、「あとXま |
わり」という表示でこと足りる。 |
この地方がはじめから閉じた円形をなし、内側にのみひらけてい |
ったのは、よそものであった彼ら一族が逆に、他民族の血の混入を |
おそれたからにすぎない。したがって、一族は、代々住むべき土地 |
を象るために、ひとつの巨大な円を採用したのだ。 |
開墾は、あらかじめ決定された円周に沿う土地がはじまりとなっ |
た。労働は実にゆっくりとしていたが、道筋は次第に、ゆるい螺旋 |
から緊密な螺旋へとせばまるひとつの渦巻を成していった。開墾が |
ほとんど終わりに近づき、螺旋型の山をその中央部に残しただけの |
今になっても、人々は、土地の拡大がすなわち集約であるようなこ |
のやり方に疑いを抱くことはない。内へ内へと進んだかつてのフロ |
ンティアが、螺旋型の山を、あばかれざる唯一のものとしたのも、 |
この疑惑を封ずる、一種の配慮といえるのかもしれない。 |
辺境とよばれる外周部分が、現在でもこの地方で最も開けた地域 |
であるのはむろんである。 |
不具 |
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その血の純粋さゆえに、一族の足萎えは正当である。ふだん寡黙 |
な人々が、妙に饒舌になるのは、家系図を広げて、線と線との間に |
おのれの誕生を見い出す時だ。家系図がますます錯綜するにせよ、 |
周到な順列組み合わせにより、意外に多様な結婚が可能であること |
を、彼らは知っている。 |
入り組んだ結婚と結婚の迷路において、血統を律してきた人々の |
より純粋な子孫がこうして生まれる。それは、不具であることで証 |
明されるのだが、ほんのときたま、完全な五体を持った赤ん坊が生 |
まれることがある。盲で足萎えの男と、唖で白痴の娘とは兄妹であ |
るが、その間に生まれた息子たちのうち、兄は盲で唖で足萎えで白 |
痴であり、弟は五体そろった元気な赤ん坊、というわけである。 |
こうしたいわば先祖返りの現象が、一族の最も嫌う、家系の悪で |
あろう。不具のこどもたちに交じって遊ぶ弟が、親しい兄の真似を |
して、道端にうずくまり、口と目を閉ざすとき、人々はその仕種を |
見ることによってしか、このこどもを受け入れることができない。 |