アクシス

さらさらと 流れ落つるは砂時計
流れ尽くせば 其を返す
輪廻の理 これにあり


<神話に見られるアクシス>

 一般的には“魔術”を人々に教えた使徒として伝えらるが、生命の管理者の方がより正確に使徒アクシスを表す。 使徒アクシスに与えられた魔術とは、アーの用いた不思議な力と同等のものとされ、恐らく、 この不思議な力とはアーが世界創造の際に用いた力ではないかと推測される。

 魔術の力は使徒アクシスの思いにより、全ての被造物が同様に使える力となる。同時期に使徒フルキフェルが創造され、全ての生命がここで誕生した事と、 創造に用いられた力であることを考えれば、この魔術の力は生命の躍動そのものとも考えられる。故に、「生命の勢力の支配者」と呼ばれる。

<職業としてのアクシス>

 一般に魔術の使い手をさし、魔法と言えばアクシス達の用いる魔術を指す事が多い。 が、厳密に言うならば、これも大いなる間違いである。アクシス達は、使徒アクシスが全ての被造物に与えた力を研究し、解明しているのである。 彼らにとって魔術の力とは、自分たちが研究している物の副産物に過ぎない。

 様々な文献を紐解き、世界創生の謎に迫る彼らは魔術師と呼ばれるよりも、むしろ学者と呼ばれるべきであろう。 その意味においてアクシスと呼ぶに相応しい人物は以下のとおりである。

 往々にして優秀なアクシスほど秘儀魔法に走りやすい。これは、彼らの好奇心が魔術にとどまらない為であり、 その好奇心の強さこそが優秀なアクシスの条件でも有る。

<逆位置>

 魔術の業に溺れる。自分の好奇心を満たそうとする。全てを否定して生きる。

 ある人にとって正しい事が必ずしも他の人にとって良い事であるとは限らない。しかし、全ての人に対して正しい事… すなわち「聖」。 そして、全ての人にとって悪い事… すなわち「邪」。この二つの観点があることも事実であり、これら双方から見ることこそが真理への道である事もまた事実。

 私は十分に「聖」を見た。

 ならば次は「邪」を見なければならないであろう。それこそが、真理への道なのだ。 それすらも解らないバカどもに、一体何が解ると言うのか…