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vol.13

<雨の木の下で>


三日吹く風

(1999.9.15)  水島英己

 蒸し暑い風にあおられて細く伸びた欅の枝が折れそうだ。暗い空から雨が落ちてくる。信号の音と線路の響きが耳の奥にいつまでも鳴っている。猫は台風の気配におびえて尻尾をまるめてうずくまっている。昨日、むしょうに歩きたくなって10キロほど川沿いの道を歩いた。水も、まだ残っている百日紅の色も視線の片隅にとめただけ だった。散歩というより遅いジョギングという歩き方だった。72分でそのことをなし終えた。その後、缶ビールを飲んだ。それほどうまいとは感じなかった。

耳を病んでいる。点耳薬を注いで横になると、信号の音と線路の響きが永遠に鳴り続ける。体の中を湿気がはいまわる。蒸し暑い風が畳のすきまから吹き上げてきて、本の何ページ目かがめくられている。こんな時に銃やナイフがあれば自分の中のしめっていらつかせるものを殺すことができるのだろうか? あるいは街頭に出て誰でもいいから殴りかかろうとするのだろうか? はためくページには「彼女はこのように三日間吹き続けるだろう」。「風」は「彼女」なのだった。コテッジの外は秋の最初の嵐。会話のなかにも風がふきこむ。こんな具合に。

おまえがマージと別れたことは賢明な決断だった、とビルが言う。ニックは「気がついたら、すべてが終わってしまってたんだ。なんでああなったのか自分でもわからない。でもどうしようもなかったんだ。ちょうど三日吹きつづける嵐がきて、木の葉が全部吹き飛ばされてしまうみたいに」。でも若いニックは喪失感などすぐ忘れしまう。二人は銃を持って岬に狩りに行く。「外に出ると、マージの件はもうさほど悲しくもなかった。とりたてて重要なことですらない。そういうことは、みんな風が吹き払ってくれた。」と作家ヘミングウェイはニックの心理を書く。この生身の体を吹く蒸し暑い風は、どのようにしてページの中の岬を吹く風と結びつくのだろうか?テクストの外はどこも蒸し暑いが、狂わないでいる。




二つの生誕百年

(1999.8.26)  水島 英己



 8月2日、切符を買わずにエンパイアーステートビルの展望台行きのエレベーターに乗っていることに気づいた。一階に戻ったが、もう昇る気は失せてしまっている。午後5時過ぎのマイアミ行き(そこで乗り換えてキーウエストに行く予定)の飛行機の時間にはまだ充分余裕がある。

ビルを出て、五番街を歩く。泊まったホテルのテレビによれば華氏九十度を越える暑さが連日続いているらしい。摂氏になおすとどれほどの温度になるのかわからないが、とにかく暑い。それに湿度も相当なものだ。前に 来たときは、日陰に入ると、体中の汗がスーッと引いて爽快感さえ覚えたが、今回はべとつく暑さだ。

この近辺は閑散としていて、売り店舗の張り紙のある空っぽの店が結構目に付く。アメリカは好景気にわきたっているのではなかったか。あまりの暑さに音をあげて、客のほとんどいない奇妙に大きなカフェで休憩する。前は立派なレストランか何かだったのだろう、大理石の壁に穿たれた大きな鏡が何枚もある。きらびやかな合わせ鏡の効果も誰もいないのでは虚しさを強調するばかりだ。つかれた日本人の顔が無限のなかにしぼんでゆく。めずらしくアイスコーヒーがメニューにあったので頼んだ。夏の日本人観光客用なのだろう。

そこでしばらく涼んで、セントラルパークの方にストリートの数を増やしながら歩いて行く。左手にニューヨーク・パブリック・ライブラリーのライオンの石像が見えてきた。四十二丁目だ。入り口の階段の上方、見事なバーモント大理石の二つの門柱の間に特別展示の案内の大きな垂れ幕が架けられている。繊細で美しい筆記体の文字が背景となった全体として薄い茶色の幕だ。その背景の上に、ブルーがかった一匹の蝶が標本箱でのようにピンでさされて固定されている写真、その蝶の影が対角線上に映っているので二匹の蝶のようにも見 える。三カ所に文字が見える。垂れ幕の一番上部には小さく、[A CENTENNIALEXHIBITION]。蝶の真上に、NABOKOVという大きな文字。蝶の真下にやや小さくUNDERGLASSと読める。

えっ、全然知らなかったな。ウラジーミル・ナボコフの生誕百年の 記念展の垂れ幕だったのだ。エンパイア・ステートビルからのマンハッタンの眺望をあきらめてよかったと思った。四月二十三日から八月二十一日まで。ずいぶん長い展示だ。勢いをつけて二階の特別室にいく。

UNDER GLASSと名うたれているように、ナボコフのアルバムや原稿、それに小型の何冊もの手帖に書かれた日記などがガラスの大きな標本箱のようなものに入れられて展示されている。年代順になっているらしく、ロシア時代、パリ時代、アメリカという具合に番号がつけられていて、全部で二十あまりのセクションに分かれていた。

なかでも特に目を引いたのは、彼が余技以上の情熱で蒐集した蝶の、彼自身による彩色細密画が何枚もあったことだ。細かい文字が書かれたカード類も何百とあったが、なにせこちらはほとんどそれらが読めないために余計に蝶の美しさにひかれたことも確かなのだが、その細かさ、職人芸のような正確さにはびっくりした。ちなみに垂れ幕の蝶はナボコフの名の付いた新種(ある種の分化した亜種のように見られていたがナボコフの確定により全く別種の蝶だとされたと、この展示のパンフレットに書かれている)で、Lycaeides melissa samuelis Nabokovという学名がついているものということだ。普通には「カーナー・ブルー」と呼ばれ、今は絶滅の危機にある蝶とみなされているらしい。
今この文章を書いている最中、彼の『ロリータ』の後書きに蝶に関することが述べられていたのを思い出したので、そこを引いてみる。

――毎年、夏になると妻と私は蝶の採集に出かける。その標本は、ハーヴァードの比較動物学博物館やコーネル大学コレクションなどの科学機関に預けてある。それらの蝶に添付した採集場所を示すラベルは、埋もれた伝記に興味のある二十一世紀の学者にとっては一つの恩恵となるだろう。コロラド州テリュアライド、ワイオミング州アフトン、アリゾナ州ポータル、オレゴン州アッシュランドなど、年ごとの宿泊地で、私は雨の日や夜分に『ロリータ』をせっせと練り直した。一九五四年の春に原稿を清書し終えて、すぐさま出版社をさがしにかかった。――。

『ロリータ』は妻を同行しての蝶の採集旅行の途次に練り直されたのだ。次にもう一カ所、春本めいた期待でこの作品を読む者が絶対に読み飛ばしてしまうところ、そここそ自分にとって「愛情をこめて楽しむ部分、脇道、気に入ったくぼみ」であると述べる。そのようなものの例として『ロリータ』の中から選ばれた部分。

――ラムズデイル校のあのクラス名簿、……スローモーションでハンバートの贈り物に近づくロリータ、……谷間の村から上の歩道まできこえてくる澄んだ金属的な音(この峠道は、私がリケイデス・スブリヴェンヌ・ナボコフという蝶の未発見の雌をはじめてつかまえた場所だ)。これらは、この小説の中枢神経なのだ。この作品を構成する秘密のポイントであり、識閾下の座標なのだ――(引用は両者とも大久保康雄訳『ロリータ』新潮文庫より)。

何よりもアメリカの蝶にまつわるナボコフの経験が実は『ロリータ』という作品の完成のためには不可欠であったのではないかなどと突飛な想像をしたくなるほど、この後書きには蝶に関する記述がしみこんでいる。ナボコフと蝶の関係について日本語で書かれた研究などあったらぜひ読んでみたいと思う。

展示室に戻ろう。スタンリー・キューブリックの映画『ロリータ』のためにナボコフ自身が書いた脚本のタイプ原稿(キューブリックはほんの断片しかこの脚本は使わなかったらしい、これらの確執についてだれか書いているのか?)、カフカの『変身』のテクストにびっしりと書き込まれたナボコフの注釈、あるいは『変身』の『変身』をもたらすほどの彼の読みの創造的作品?頭がくらくらしてくる。

傑作なのはナボコフ先生が作った文学のテスト問題なども展示されていたことだ。もっと英語力がほしいと、こういうときはつくづく思う。この展示のどれだけを俺は理解できたのだろうかと思うと悲しくなるが、ニューヨークに来て思わぬ拾い物をしたことも確かだ。

 今回の旅の目的はフロリダのジャクソンビルという所に住んでいる娘を尋ねるためのものだが、どうせ行くならということでニューヨークと娘の場所に近い(?)アメリカの最南端キーウエストという島も訪ねることにしたのだ。なぜキーウエストかというと、そこにヘミングウエイが住んだことがあり、彼の家が公開されいるのでそれを見物したかったからだ。なぜヘミングウエイかというと、今年が彼の生誕百年ということで新聞などに結構記事が出ていて、それに刺激されたということもあるが、何よりもそこが娘の住む同じフロリダ州の島だという地理的事実がみょうに行く気を誘ったのだ。その島と娘の住んでいるジャクソンビルは飛行機でもずいぶんかかり、またその飛行機もこの島にはプロペラ機しか飛ばないということもあり、悪天候もかさなり命からがら娘のいるところに到着したのだが、その話はアメリカのどうしようもない広さということであり、別問題。

本筋にもどすと、つまりヘミングウエイの生誕百年とばかり考えていたものにナボコフの生誕百年がぶつかったということ。このかさなりと対比はいろんなことを考えさせるが、それをどれだけうまく整理できるかは心許ない。一方はロシアからの亡命者でコーネル大学などで教えた学者でもある、そしてこの系列はぼくの興味から言えば近年なくなった詩人ヨシフ・ブロツキーに受け継がれるものでもある。彼らはともに母国語ではない言語でその代表作を書いた。

三度『ロリータ』の作者後書きを引かせてもらうと、

私の個人的な悲劇は、土着の手品師なら祖先伝来の言語を自分の流儀で克服するためにたちどころに用いることのできるあらゆる小道具―びっくり鏡、黒いビロードの背景幕、暗黙の連想や伝承など―を何ひとつ持ち合わせぬ下手な英語とひきかえに、私の生得の言語、何の制約もなく、いくらでも思いのままに使いこなせるロシア語を捨てなければならなかったことだ」とある。

そのような悲劇に抗して彼らは書き続けたわけだ。単純にポリグラットと片づけられない異言語間の抵抗しあうものが、あの『ロリータ』の卓抜な詩的書き出しの言語そのものの響きに実はあるのではないか、それをもたらしたのではないか、

――Lolita, light of my life, fire of my loins. My sin, my soul,Lo-lee-ta: the tip of the tongue taking a trip of three steps down the palate to tap, at three, on the teeth. Lo. Lee. Ta. ――

口蓋にぶちあたる破裂音の連続にそのような異言語の抵抗しあう響きを感じる。そこから立ち上がるアメリカの少女のイメージ、いや彼にとってのアメリカそのものが実は『ロリータ』であったのではないだろうか? ヘミングウエイはどうか? 

詳細は忘れてしまったが、河津さんが言及していたスーザン・ソンタグと大江健三郎の往復書簡のソンタグの手紙にこんな一節があって記憶に残っている。大江が日本の若者たちとヘミングウエイについていろいろ語ったそうだ(大江の書簡を読んでいないのではっきりしないが)、それを受けてソンタグは、自分にとってヘミングウエイは何の意味もない、自分の魂の成長に何の役にも立たなかった作家だと書いていた(そのときの新聞がないので、用語は確かではないが多分言っていたことはこんなふうだった)。彼の生き方(a way of life)、彼の文学双方とも含めてソンタグならそういうに違いないと思う。このきっぱりとしたヘミングウエイ否定が頭に残っているので、どうしてもそこからヘミングウエイのことをいろいろと考えたくなる。

ぼくはこのたびの旅行に彼の『老人と海』の原書を持っていった。これはキューバで書かれたものだが、キーウエストの先がキューバなのだし、と考えてそこで読んでみようと思ったからだ。キーウエストでは読む暇がなかったが、ジャクソンビルのビーチでビールを飲みながら読み終わった。大西洋を眺めながら、このお伽噺のようでもあり、哲学書でもあるような作品を読み終わった。なぜか妙にやさしい気分にさせられた。彼について言われる形容詞のクリシェ「男性的、勇壮、孤独、悲劇的」などという感じが一切しなかった。どちらかと言えばサンチャゴや少年、そしてつりあげた魚との関係はぼくにとっては女性的なイメージ、そんな感じがしたのを覚えている。こうだ、こてこての「男」だと思っていたのに、気持ちのやさしい、人のいい「女性」だったと最終的にはわかったという感じだ。

ヘミングウエイに反してナボコフは逆に「男」を感じさせる。彼はハンバートに「ただ二つの目と赤く充血した一本の肉の足」にすぎないという自己認識を語らせるが、これは掛け値なしに正直なナボコフ自身の認識にほかならない。ところがヘミングエイはこのような表現は絶対しないのではないか。苦闘の末、つり上げたマカジキを鮫にくいちぎられながら帰って行くボートのなかでサンチャゴ老人が「罪」について考えるところがある。そもそも魚を殺すのは罪ではないかとまず考える。しかしそうであっても自分を生かし多くの人々に食べ物を与えるためにはそうせざるをえない、罪のことを考えるのはもう遅い、世の中にはそれを考えることで生計を立てているものがいるのだから彼らにまかしておけばよい、そして自らに次のように言い聞か せる。

――You were born to be a fisherman as the fish was born to be a fish. San Pedro was a fisherman as was the father of the great DiMaggio.――

この世の中はなんらかの方法で誰かが誰かを殺すことによって成り立っている、その限りで平等な世界でもある、漁師として生まれついたものと魚としてうまれついたものの「愛」と「誇り」によるリンケージが語られる。サンチャゴは哲学者でもある。このような老人の内面における対話はやがて宇宙的な相貌を描くが、それについてゆくときになぜかヘミングウエイという人のリアリティというものが感じられないのだ。比較に絶するものをあえて比較しているという感じがしてきたが、ロリータはアメリカの「現実」というものと格闘している、それに比してヘミングウエイの作品はもっとソフィスティケートされたもののようにぼくには感じられる。それはかれが掛け値なし(?)のアメリカ人だからなのか? しかし実際に彼がアメリカそのものを小説の正面にとりあげたものはかえって少ないのではないか? それにもかかわらず「アメリカ的なるもの」の権化のように彼がいわれるのはどうしてなのか? 「アメリカ」とはどのような言語的達成のはてにたち現れてくるものなのか?

二つの生誕百年、二人の生誕百年を目前にして果てしなく疑問は広がるが、力不足でどうしようもない。キーウエストで激しい雨にあった。飛び込んだピザレストランで冷えたビールを飲んだが、そのおいしかったこと。そしてそこのマスターが「女」であったこと、あるいはその逆かも知れなかったこと、正体不明のその人から「sweetheart」と呼びかけられてどうしようもなく不安になったこと、ヘミングウエイにまつわることはかく謎めいているのだと、その晩うなされたことなども、今回の短いアメリカ旅行の貴重な思い出になった。
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