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vol.27


甦る九月


  
旅行から帰った次の朝
新しい月がやってきて
わたしを机に引き戻した
思い出は多くも少なくもなく
らんぼうに抽斗にしまわれた
  
  
鉢の蜜柑の葉は
青虫が十分育つには足りなかった
青虫は葉を食い尽くした
と同時に蛹になった
小さい茶色の蛹
普通の半分ほどの小柄な
でも完璧な
チョウになるだろう
  
  
声が出なくなったので
出し方を教わりにいく
 あは下あごを大きく下げて
 いは口の端をきゅっと横に引いて
 うは唇を思いきりとがらせて
そんなこととは知らなかった
今まで考えてもみなかった
それなのに
声が出ていたのはなぜだろう
  
  
古い友人たちとビールを飲んで
笑いながら店を出たとき
東南の空にいつのまにか近づいて
わたしたちを見ていた
宇宙の一つ目
その滲んだような赤い光
のことが気にかかる
  
  
女たちは白い息を吐きながら
濁流の中
腰まで水に浸かる
両手に石を抱えて岸辺へ運ぶ
激しい労働の現場で
少女が流れに足を取られる
冷たいブルカを被って
震える唇はもの言わず
黒い大きな瞳だけが語っている
少女の小さな髪留めのことを
  
  
晴ればれと輝く満月のすぐ下に
火星が
一粒の血のように滴ったとき
わたしたちはなんとはなしに
(不安にかられて?
金星のことを話した
だいじょうぶ
秋にはまた金星が
三日月の下に光るのさ
  
  
公園のささくれたベンチ
図書館の閲覧机
ビシネスホテルのロビー
デニーズの家族用大テーブル
回り続ける山手線のシート
映画館の薄暗い座席
デパートの休憩コーナー
公民館の丸テーブル
病院の待合室
などに独りで座って
ぼんやりしているわたしを見かけたら
どうぞほおっておいてください
  
  
長い夏休みの間に
図書室の裏の垣根はざんばらに伸びている
白い小花や赤い五弁花が咲き乱れて
屈託を抱えた学生たちの肩に触れる
気づいたり気づかなかったりして
彼らは小道を歩く
  
それはある日突然に
鍋で煮詰まったセミの声が途絶える
鈴なりのアオマツムシがいっせいに
薄い金属の羽根を擦り合わせる
わたしの頭上で
時間が動く
  
10
  
奥さまのシルクのランジェリーを
五十年間
毎日手洗いしてまいりました
奥さまはわたくしに遺されました
シルクのランジェリーを
やまほど
奥さまはそれほどに
わたくしを
シルクのランジェリーほどに
深く
  
11
  
レストランは混んでいる
料理はまだかな
遅いねえ
父は子より待てない
そのころ厨房では大騒ぎ
皿の割れる音
コックの怒鳴り声
やっと来た
お子様ランチだ
いただきまあす
  
12
  
彼女の美しい頬の影が
年ごとに広がっていく
いずれは
頬全体が影になる
光は吸いこまれ二度と輝かない
彼女はそれを受け入れているように見える
いつも頬笑んでいるので

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1-9 紙版"rain tree"no.27掲載2003.9.19
tubu<詩>庭園設計(関富士子)
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