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vol.30

関富士子の詩vol.30

宙吊りの家空き部屋情報



 

宙吊りの家

 
  
あそこをねぐらにしている人がいるの、
姿を見たことはないけど。
床材の隙間から布団の赤い模様らしいものが見える。川
べりの遊歩道は、頭上に渡された橋の下を通る。見上げ
ると、その裏側は橋桁を支える鉄骨が縦横に組まれてい
る。その端の部分に渡しかけるようにして、何枚かの廃
材が並べられたのは、去年の夏だった。毎朝駅へ向かう
とき、少し遠回りして遊歩道を通るうち、廃材は三畳ほ
どの広さの床板の役目をして、橋桁の天井との間にわず
かな空間を作っているのがわかった。
  
いい所に住んでいるな、
車の音がうるさいだろうけど。
大きな鳥の巣のように、橋の下に吊られている。遊歩道
のわきの石垣をよじ登ると、鉄骨に手が届き、中に入る
ことができるようだ。その出入り口にピンクのプラスチ
ックの物干しが下がり、黒ずんだ何枚かの軍手やタオル
が揺れている。石垣には自転車が立てかけられて、ハン
ドルが朝の光に輝いている。天気のいい日は、川に続く
土手の日当たりに、毛布が広げてあったりもする。
  
道の真ん中に布団を敷いて寝ている夢、
見たこと、ある?
ねぐらは青いシートやダンボールで囲われて内部は見え
ないが、全体が空中にあるので、人目に曝されてもいる。
人の動きを感じたことはないが、そこで宙吊りのまま眠
っている人がいる。遊歩道は、川向こうの小学校の通学
路でもある。子供たちや通勤の人々、散歩の犬と人、ジ
ョガーやランナー、近くの病院からのリハビリ集団など、
床板のすぐ下をたくさんの人が通る。人々の視線に、頭
上のねぐらはあまりにも無防備ではないか。あの床板の
隙間から見える布団の赤い模様は。
  
キッチンでのサバイバルゲーム、
あなたはどんな未来に備えようとしているの?
だいじょうぶ、きみの寝袋もあるよ。朝目覚めると彼が
ベッドにいないことがある。キッチンに行くと、テーブ
ルの下に青緑色の巨大な蛹のようなものが転がっている。
顔まで寝袋のファスナーを引き上げて、手足を広げるこ
ともならず、悪夢にうなされながら眠っているのだ。そ
の滑稽な姿に笑いながら、足先でつつくと、寝袋はモス
ラの青虫のようにもぞもぞとうごめく。ファスナーを開
いてむくんだ顔を出す男は、生まれたばかりの青臭い怪
獣のようだ。直ちに遺伝子を残すべく、転がったままわ
たしの足首をつかんで襲ってくる。
  
なにかとんでもなくひどいことが起きて、
持っている物をすべて失ったら?
そんなことが決してないと、ほんとうに言えるだろうか。
寝袋を二枚抱えて、わたしたちはいずれ川べりをさまよ
うことになるだろう。二匹の巨大な青虫になって土手を
這いまわり、叢で抱き合うのもいいかもしれない。ある
いは橋桁に巣をこしらえ、二つの宙吊りの蛹になって天
変地異を生き残るのだ。湿気と騒音がひどそうだが、わ
たしたちがホームレスになったとしたら、あそこは考え
られるかぎり最上のねぐらのように思える。
  
こんなに物を集めたんじゃ、
もうホームレスとは言えない。
次の年の夏が過ぎ、なま暖かいような冬を迎えたころ、
橋桁にかけられたねぐらはなくなっていた。床板が外さ
れると、がらんどうは思いのほか広い。内部にあったら
しい物はすべて、川べりの叢に放り出されていた。ごみ
として処分されようとする、汚れた毛布や布団。ダンボ
ール箱から衣類がはみ出ている。折り畳みの小さなテー
ブルもある。ごみ袋がいくつも並んで、その一つからビ
ールの空き缶があふれている。自転車はいつものように
石垣に立てかけられている。ここはもうサバイバルの基
地じゃない。安楽な生活の場そのものじゃないか。
  
ホームは破壊されるのよ、
当局の手によって。
どこに行ってしまったのだろう。一度も姿を見たことの
ない、ここの住人は。不法占拠の罪で捕まったか。物干
しに下がったままの六枚の軍手は、彼の労働の証しでは
ないか。剥き出しになった橋桁には、三足の革靴と二足
のスニーカー、ゴム長靴が一足、きちんと並べられてい
る。組織は、持たないはずの者が物を占有しすぎるのを
許さない。当局がねぐらから引きずり出した、おびただ
しい生活のしるし、薬缶や鍋、電気釜。水の入ったポリ
タンクとコンロ。だれかがこの宙吊りの家で、あまりに
も生活を楽しみすぎた。そしてわたしたちは、寝袋だけ
で生きていくことはできないのだ。


「gui」no.74,2005.3より
「宙吊りの家」
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tubu<詩>空き部屋情報(関富士子)へ



 

空き部屋情報

  
  
  
この夏、わたしたちは、
賃貸の空き部屋を探して、
酷い暑さの街を歩き回った。
荷物はほとんど持っていない。単身者用のアパートほど
の小さな部屋で十分だ。
駅前の不動産屋、新聞の折り込みチラシ、駅のミニコミ
紙、ネットの賃貸物件情報……。暇をみては不動産屋の
案内で部屋をいくつも見て歩いた。できれば二人がけの
ソファを置きたい。小さなキッチンと、シャワーがあれ
ばいい。
  
難しい希望ではないのに、
部屋はなかなか決まらない。
南向きだというのに、強烈な西日が差していたり、目の
前に巨大なマンションのドアが迫っていたりする。ベラ
ンダを開けると、車の騒音と排気ガスがどっと入ってき
たり、韓国バーのネオンサインが、白昼の蛍光管を、窓
に接するように剥き出していたりする。
かと思うと、静かな畑地に面したアパートの敷地内に粉
塵が舞い、吹きつけられた砂がアルミサッシにびっしり
詰まって戸も開けられない。あるいは、六畳だという洋
室がひし形にゆがんでいて、四方の角のどこに添わせて
も、本棚が収まりそうにない部屋もある。
  
不動産屋に導かれて鍵を開けてもらい、
空き部屋に入る。
わたしたちは、差し出されたスリッパに汗ばんだ足の裏
をさし入れて、家具のないがらんどうの部屋をぺたぺた
と歩いた。無人ではあるが他人のものである部屋に入っ
ていくのは、やや緊張する。
長い間入居者のない部屋は、全体がなんとなくほこりっ
ぽく荒れている。壁紙は張り替えられ、床は専門の業者
がクリーニング済みなのに、どこかうす汚れた感じ。壁
紙の裏には、ここを住みかとしていた人間の脂が、べっ
たりとついているのではないか。
ダイニングと洗面所を仕切るアコーディオンドアが壊れ
かけ、取っ手やその回りが手垢で黒ずんでいる。北側の
窓ガラスに付いた無数の細かい瑕が光の加減でチカチカ
目を刺す。窓の外に取り付けられた目隠しのプラスチッ
ク板は毒々しいオレンジ色で大きな罅が入っている。
  
へんなにおいがしますね。
息がうまく吸えなくて、
口をはあはあさせてしまう。
キッチンの乾ききった流しの排水口から、むっと風が上
がってくる。トイレからは古い排泄物のこびりついたに
おい。不動産屋は、やおらトイレのレバーをこれでもか
と押し下げる。ベランダのサッシをいっぱいに開けて空
気を入れ換える。空き部屋には、生活のにおいとはちが
う、饐えたようないやな臭気がこもっている。
  
トラップが乾いちゃって。
ときどきこうして水を流してやらないと。
入居すればすぐ消えますよ。
人が生活する部屋では、水は日常的に排水管に流される。
排水口には水を数センチほど溜めるトラップがついてい
て、溜まった水が、管の口を塞ぐ蓋の役割をして、汚れ
たパイプの中のにおいが逆流するのを防いでいる。
しかし、無人の部屋ではだれも水を流さない。水がスト
ップすると、数日後にはアパートじゅうの排水管のにお
いが部屋に流れこんでくる。それは、今もこの建物に住
んでいる人々が、日々排泄する物質が発するものだ。部
屋の中の穴という穴から、生き物のようにはい出て部屋
に充満する。
  
アパートの管という管が、
人間の内臓のように腐りかけている。
前の入居者の生活の跡は注意深くぬぐわれているが、腐
敗のにおいはどうしても防げない。わたしたちは刑事に
なったように、それらの残留物を情報として分析もして
みる。饐えた空気の中に、かすかなお香のかおりが混じ
っている。見知らぬ前の住人が、この部屋で毎日何かに
向かって祈る姿を想像する。
わたしたちは目配せをして、そっと押入れの中をのぞき、
ミイラ化した死体が残されていないか確かめる。部屋に
住み、やがて出ていった人々の、顔も知らないのに、も
っとも内密な部分が、犯罪の証拠のように残されている。
それらは微生物となって日々増殖しているのだ。
  
わたしたちがこの部屋に入れば、
においはすぐに消えてしまう。
部屋はたちまち新鮮なにおいでいっぱいになるだろう。
生きている人間によって、生活の水が流される。やかん
の湯気やコーヒーの香り。料理された食べ物の温かで複
雑なにおい。新聞のインクやかび臭い本のにおい、ソフ
ァで抱き合いながら、わたしたちは汗まみれになって体
じゅうがにおい立つだろう。
からっぽの部屋の真ん中に立って、それらのよい香りを
思い描いてみる。
  
ここにはどうしても住めない。
ほかを見ましょう。
もう数えきれないほどの空き部屋を見た。臭気は腐乱し
た死体のように激烈に、わたしたちをとりかこむ。わた
したちの生活が立てるにおいが、それを凌駕することな
どあるのだろうか。腐敗臭はすっかり体に染み込んで、
すでに、わたしたち自身の体から発されているのではな
いか。耐え切れずに部屋を出て街を歩く。容赦ない陽射
しが、生きながら腐乱する人間の体をじりじりと焼く。
そのむごたらしいほどの光に消毒されれば、少しは生き
延びられるかもしれない。
  
影のようにずずぐろい不動産屋の背中に導かれて、
次の空き部屋に向かっている。    


石川為丸個人詩誌「飛燕」2号2004・12より
「空き部屋情報」


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