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vol.29

関富士子の詩 vol.29-4



三月が耳をぬらすので


  
    
 *
わたしは甘納豆が好きだった
なのにそのことをすっかり忘れていた(なぜだろう)
半世紀ぶりに甘納豆を食べた
おいしかった
もう忘れない(たぶん)
  
  
うちに帰りたい うちに帰りたいよ
きっとうちへ帰りましょう
元気になったら
(崩れ曲がった背骨がまっすぐになったら?)
(脳に詰まった血の塊が溶けたら?)
うちに帰りたい人をホームへ送っていく
  
  
発車まぎわのバスに飛び乗る
ぐんと揺れて隣の人にぶつかる
ツカマッテ アブナイ
大きな黒人の女性がほほえんでいる
異国に暮らし異国の言葉をこのように話す人
ごめんなさい ありがとう
安心してその胸に倒れかかる
  
  
あの星は黄径0度にさしかかるところか
空を真東から真西にめぐり
今は南天にあって季節を均等に分け
わたしの両耳を均等に照らしている
  
  
ベトナムから帰った人のおみやげ
小さな手提げ袋に色とりどりの花の刺繍がある
孤児の家の子供たちに会ってきたよ
花びらのでこぼこをそっと撫でてみる(きれいね)
袋を裏返して刺繍の毛羽立った裏側を眺める(上手だね)
まっすぐな白いかがり糸をなぞりながら
袋を一枚縫う作業をたどる
  
  
金井雄二個人詩誌『独合点』79号2005・5より

  
大きなガラスの向こうに立つ
一本の木
窓いっぱいに葉を茂らせている
なかほどの枝に腰掛けて
白い帽子の人が手を振っている
うれしげに満足げに
それは窓のこちら側で椅子に座っている
わたしの影だ
  
  
ひとり暮らしを始める人のために
荷を造り
ホームに入る人のために
荷を捨てる
ひとりの荷は軽く 
捨てるべき荷はあまりに多い
六十年のへだたりのなんという束の間
  
  
語るべく集まった人々が
それぞれの思いを言葉にしないまま
飲んだり食べたり笑ったりして別れる
いつものことなのだが
同じ人々がまったく変わらぬ気持ちで
再び会うことはありえない
なぜ語らなかったのか悔いながら
そのときの思いを忘れる
  
  
ヘルメットの顎ベルトを締め
男のジャンパーの裾をしっかりつかむ
マシンが激しくふるえて走り出す
一気に加速すてきなスピード
男の肩ごしに前をのぞくと
道の真ん中を走っている
風がひたいにぶつかってくる
カーブだ
マシンと身体が一緒に傾く
男の耳元で叫ぶ
モウ死ンデモイイ
  
  
三月が耳をぬらすので
ぞっとして目覚めた
したたり落ちる時間が
脳を水びだしにしている
目じりが塩気でぴりぴりする
悲しいわけではない
その雨は温かい


「歴程」520号2005・5より
 
  
電話の向こうから泣き声が聞こえる
はなをすすりながら
痛いの 痛いのよ
わたしにどうしろというのか
あなたの痛みをわたしは知らない
昨日の記憶を失いながら今日だけを生きる人
痛いよ 痛いんだよ
  
  
芹 菜の花 蕗のとう 独活 蕨 筍 蓬
強い香りにひるみながら
その野生をなだめる
濯いで湯がいて晒して刻んで蒸して油で揚げて
営々と引き継がれた苦心惨憺
なおも立ち上がろうとする野生を
食す
  
  
たくさんの花粉が空中を飛んでいる
人々は唐揚げにされる前みたいに粉まみれだ
くしゃみを飛ばし鼻をかむ帽子と眼鏡とマスクのあなた
甜茶をお飲みなさい
  
  
中国の言葉をたくさん聞いた
拗音や促音が飛び跳ねていた
  
  
梅を見たいと思いながら
あの梅畑に今年はまだ行かない
花は家々の塀ごしに何度も見た
でもあの梅畑に漂う
圧倒的な香りの靄をまだ浴びていない
間に合うだろうか 
背伸びしてよその家の梅をかいでみる
  
  
大きな問題をかかえて
冬じゅうあちこち動き回って努力して
一進一退
少しずつよい方向に向かいはじめ
すうっと気がかりが消えていた春先
「氷解」ってこういうこと?
  
  
おれはさみしい男や
関東のやつらはみんなクソや
人のつながりができへん
あんたの人生はどうや
最高か ええこっちゃ
いつまでも続けることや
  
  
アネモネが咲いた
「アネモネ都市」を書いた詩人を思う
夜の都市はアネモネ色に光り輝くのだった
詩人は死んでアネモネが咲く
それはわたしの庭でもっとも
色あざやかな大輪の花だ
  
  
遊歩道は立ち入り禁止
パワーショベルが中州で働いている
蛇行する岸を削り網を張り石を積む
川は改造されている
水がまっすぐ流れるように
明るいむき出しの岸辺に
隠れるところがない
鳥も魚も恋人たちも

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