「しかし、今ふたたび一切のものが始まる。今日はまだ庭が荒涼としているとはいえ、そこで働くものにとっては、なんといってもすべてが芽の形で、想像の中で存在しているのだ。」
ヘルマン・ヘッセは『庭仕事の愉しみ』(岡田朝雄訳草思社刊)で、春を迎えた喜びをこのように書いた。1930
年ごろ、スイスのモンタニューラ村に住まいを定めて、眼病に悩みながら『ガラス玉遊戯』を書き始めたとき、彼は五十代半ばだった。庭仕事とはいえ自給自足に近い本格的なものだ。写真を見ると、麦わら帽子に日に焼けて引き締まった顔。丸い銀縁眼鏡の向こうに、柔和でややシニカルなしわ深い眼がある。
「詩人が、もしかしたら明日にも破壊されているかもしれない世界の真っただ中で自分の語彙を苦労して拾い集め、選び出して並べることは、アネモネやプリムラや、今いたるところの草原で成長しているたくさんの草花がしていることとまったく同じことです。」(1940年息子への手紙)
詩人でありかつ庭師であることはわたしの理想である。詩を書くことは、草花が成長するように、生きることそのものだ。
それなのに、書き続ける困難に直面したとき、わたしはふと思う。なぜこんなにまでして書きたいのだろう。なぜ詩を手放すことができないのか。しかし、その問いは根本的に間違っているのだ。詩は、詩人が書くのでなく、逆に詩が詩人に書かせるのだ。書いたものが詩かどうかということでさえ、書いた本人にはわからない。書けなくなったとき、それは詩のほうが書き手を見限ったのである。そのとき、書き続けるためのあらゆる努力をしようとも、詩はわたしから去っていってしまう。詩が生きることそのものなら、そのとき詩人は死ぬのである。
春になって、新しいことをいくつか始めた。
2月から、森林公園のボランティア活動に参加した。月に数回、落ち葉かきや苗の植え付けを楽しんでいる。3月から週五日、フルタイムの会社勤めが始まった。一時間の痛勤に苦闘中。そして4月から、近所の市民農園を借りて庭仕事を始める予定だ。今は数坪の土地の庭園設計に悩んでいるところ。トマトやハーブを植えたい。そして、2年ぶりの個人詩誌"rain tree"を発行することができた。うれしい。ありがとう。 (紙版「rain tree」vol.29 発行2006.4.4所収)
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