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vol.31
<詩を読む> 坂東里美

モダンガールズ
    
その3
 
タンポポの呪詛    ー 江間章子 ー

        
 毎年六月、初夏の日差しが眩しくなる頃、尾瀬の水芭蕉が朝のニュース番組で映し出される。そして、それを見て山好きの私は「夏がくーれば思いだすー」と不覚にも胸を熱くして毎年歌ってしまうのだ。この「夏の思い出」の作詞で有名な江間章子が二〇〇五年三月十二日に亡くなった。九十一歳だった。
 江間章子は一九一三年新潟に生まれた。静岡高女時代から新詩運動に参加し、卒業後上京。「椎の木」「詩法」「新領土」などに詩を発表し、一九三六年には第一詩集『春への招待』を東京VOUクラブから出版している。だが、江間章子の詩の出発が、戦前のモダニズム詩であったことは今では殆ど忘れられている。
 「首は白菫の輪の上に在る」で始まる「夜のうた」は、言葉と言葉の斬新な結びつきが新鮮なイメージを創り出すことに成功していて、可憐な夜の息づかいが読者に伝わってくるような佳作だ。

     「夜のうた」   (初出:『海盤車』三巻一五号1934.9)

   首は白菫の輪の上に在る
   アカシアを巡って
   雲が、海に墜ちるー
   馬が、耳環を鳴らして
   此処から来る
   尖った光線に浸っている
   可憐な夜ー
   地上には
   裂地があって
   水晶の森が斜に流れている
   空気は弱い樹木の枝の上でかたまって
   ベットの中の生命の羽根のようだ。

 月明かりの射す夜であろうか。白菫の首飾りをした少女が窓の外の夜の海を見ている。アカシアの上を流れていた雲が海に下がり、波が一筋の月の光線に照らされて絶え間なく打ち寄せる(馬が走ってくるようだ)。岸辺の森にも月の光が射して水晶を斜めに照らしたように輝いている。森の樹木の細い枝の上の柔らかい空気のかたまりのように、少女はベッドの中で安らかな寝息を立て始めた。というようなイメージを私は再生してみたがどうだろう。
 第一詩集の後、一九三三年から一九三九年に書かれた戦前の作品は、一九九〇年になってやっと、詩集『タンポポの呪詛』として出版された。総題にもなった作品「タンポポの呪詛」は、北園克衛・村野四郎・山中散生・山本悍右らが執筆していたシュルレアリスム色の強い詩誌「夜の噴水」(1938.11〜1939.10)に発表された。

 「タンポポの呪詛」  (初出:「夜の噴水」二号1939.2)

      タンポポは魔女ではない
      けれどタンポポはヴイナスを殺した
   子供たちよ
   酔った女に近寄るものではありません
   やさしい聲がわたしの命を奪ったのだ
   あれはヴイナスではありません

 明るい日差しの中の無邪気なタンポポ。それは私であって私ではない。かわいい子供たちに囲まれた生活の中で、私が本当の「私」を殺していく。優しく賢い母であらねばならぬという因習の壁、精神の抑圧が優しい声で愛と情熱のヴイナスである私を殺す。私の中に内面化されたタンポポに呪いをかけられた私だ。いや私は、男性から理想化された女性としてのヴィナスでもない。それも内面化された私の抑圧の一つだ。タンポポは自覚した誰でもない私自身の声だ。私が私の中の精神の束縛を呪詛するのだ。この詩には、魔女やヴィーナスの現れる超現実的な世界に彼女自身の問題意識が鋭く突き出ている。後に花の詩人とよばれ、「花の街」など美しい花の作品を書いた彼女だが、このタンポポは美しさ優しさとは逆説的なイメージで用いられていて、なおさら印象が深い。
 江間章子は花の詩人である前に、精神の束縛を呪詛する「タンポポの詩人」であったのだ。
(「Contralto」10号2005.7.1 所収)


        「タンポポの呪詛ー江間章子ー」追記


 江間章子もその後、永瀬清子、森三千代などと同様に戦争協力詩を書いた。一九四一年には深尾須磨子を代表とする全日本女詩人協会が設立され、銃後の極端に右傾し誇大拡張された母性の賛美によって、戦争イデオロギーに基づく国策としての戦争協力詩の中へ殆ど全ての女性詩人が囲い込まれていく。その全日本女性詩人協会のアンソロジー『母の詩』に「子守唄」という戦争協力詩を江間は書いた。いわずもがなステレオタイプの銃後の母ものである。その詩はラジオで朗読され日本中に放送された。宮本百合子など一部の詩人を除いて、女性詩人はみな戦争のチアリーダーにでもなったかのように軍国の母を先導している。それは、その時代の中で、戦争を鼓舞するのに詩が体制に最も利用されやすいツールであることの自覚に欠けていたからだということは否めない。女性詩人たちは被害者であると同時に加害者であったのである。母性という柔らかな罠がしかけられる。「女性詩」自身が戦争協力詩を生み出す要素をもともと孕んでいたのである。しかし、これは今だから言えることで、その当時は誰も気がついていなかっただろう。詩は戦争を鼓舞できるが、戦時には、戦争の抑止にはなり得ない。というよりも抑止するという発想すら時代の中で自壊してしまうのだろう。そのような時代だったからといって、戦争協力詩を書いたことの責任を問われることを免れることはできない。しかし、それまでのすばらしい詩の仕事が総てそのことによって、反古にされるということはない。戦争責任を声高に問うこと以前に、先達詩人の痛恨の歴史を、私たちは心の中に打ち付けておかねばならないだろう。またいつ私たちは、知らぬうちに、無自覚に、体制によって、テロによって、メディアによって、あるいは「平和」だとか「人類愛」だとかの名の下に、踊らされ、利用され、馬鹿みたいに嬉々としてつまらぬ詩を書いてしまうかも知れない。タンポポの詩人江間章子でも、戦争協力詩を書いてしまった。彼女から見ればふにゃふにゃ私は、心してかからねばならないと強く思う。このことは、「夏が来るたびに」思い起こそうと思う。

          (「Contralto」10号2005.7.1 所収)
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