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vol.31
<詩を読む> 坂東里美

モダンガールズ
    
その5
 
矢川澄子『ことばの国のアリス』 ー少女の反乱ー


 私のように『ぞうのババール』『不思議の国のアリス』など、矢川澄子の翻訳を読んで育った人も多いだろう。大人になってから、白石かずこのあの有名な「男根」という詩に添えられた「スミコの誕生日のために」のスミコが矢川であると知り大いに驚いた。しかし、矢川の詩に出会えたのはずっと後、皮肉にも2003年5月29日に彼女が黒姫の自宅で自死したという新聞記事に詩集『ことばの国のアリス』と付記されていたのを見つけたのがきっかけになった。詩を書いていたんだ。そうだったんだ。と素直に思った。
 この矢川澄子の第一詩集『戯れ唄集 ことばの国のアリス』(現代思潮社1974)の扉には瀧口修造の献詞がある。「ALICE SUMIKO」を行頭にもつ鮮やかなアクロスティック詩である。瀧口修造がこれによって示した「ALICE SUMIKO」について矢川は「この突然の名指しは、はからずも70年代のわたしの自己省察に恰好のひとつの文法の所在を暗示してくれたように思われる(中略)アリスはまさしくわたし自身に他ならなかった」(「アリスとの別れ」『特集瀧口修造追悼』みすず1979)と言っているように、この詩集は極めて意識的に「アリス=スミコ」という仮構の少女を語り手にした「戯れ唄」つまりことば遊びの遊園地になっている。
 三部構成になっているこの詩集の第T部は「矢川澄子改竄 妾ハ童唄抄」。みんなもよく知っている童唄のパロディをやってのけている。最初の口上は、「わらわはわらべ/わらわばわらへ/われしらず わらわらと/わが口に わきいでし/唄のくさぐさ……」である。「わらべ(少女)=妾」が唄い手の語感もリズムもご機嫌な童唄がはじまる。次にあげる「あがり目 さがり目」にはノンセンスのなかにも痛烈な皮肉や辛辣なユーモアが満ちている。

   あがり目 さがり目
   ぐるりとまはってばかな目
   人目しのんできてみたものの
   うら目 たたり目
   めったなこっちゃだめよ
   なめてかかって
   ながし目くれて
   面とむかへばこの女々しさよ
   むすめ十八
   夢からさめて
   くさめまじりに猫けとばして
   メロンすすってあかんべひとつ
   目やみ男にとどめをさした

 「め」の音を手を変え品を変えて繰り返し、無邪気な童唄のリズムを取りながら、女々しい男に最後に「とどめ」を刺す絶妙。「妾」を使ったのは、七〇年代の詩人を含め多くの女性芸術家の置かれていた不当に低い立場を彷彿させる辛辣なブラック・ユーモアのようにも思われる。あどけなさから一転、「ぐるりとまはってばかな目」にあってしまっても、一気に反撃に出るその落差を楽しもう。
 矢川の「少女」は男性作家たちにより美化され理想化された少女ではない。「ノンと言わない少女は少女ではない」と矢川が言うように美化され理想化された少女とは反する「反少女」である。この「反少女」は堂々たる矛盾・不合理・未熟・未完の性質を持つことにより従来の男性中心の文学に対する「批判者」としての立場を得て、彼女の一つの文法となる。「妾」も「反少女」としての唄い手のひとりであろう。
 「批判者」としての少女「アリス=スミコ」は、第U部「Dedications,Acrostics,etc...」、第V部「アリスとテレスとプラトオと に捧げる道行き風のバラード」と次々にことば遊びに興じているが、読み進めるほどに、矢川は世界が悲惨と絶望の中にあると感じていたのではないかと思われてくる。しかし、だからといって眉間に皺を寄せる湿っぽい詩や、必死の形相で世界を直接糾弾する詩など書く気は毛頭無かっただろう。矛盾・不合理・未熟・未完の「少女」という文法が、従来の男性中心の文学の世界を揺るがす力を持ち得るときっと予測していたに違いないから。
(「Contralto」9号 2005.3.1 所収)
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