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| 台風が通り過ぎた翌日 郵便受けに祖父宛の小さな小包
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| が届いていた 奇妙な絵の切手に滲んだ消印《Heieiei》
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| 郵便受けの下には昨日の台風で吹き飛ばされた 葉っ
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| ぱやゴミが吹きだまっていた
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| 昨日は祖父の七回忌だった 強い南風が玄関の扉を傍若
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| 無人に叩く 台風が近づいていた 親戚の人々はそわそ
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| わと帰り なんだか間の抜けた時間 仏壇の奥から古い
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| はがきが出てきた それは六〇年も前に南方で戦死した
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| 祖父の弟からのものだった
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| はがきの最後に 軍の捕虜収容所から先日スウェーデン
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| 兵が脱走したので それを追って… そこから字が消え
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| ている 追って 追って ハイアイアイ…
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| 小包に差出人の名は無かった 祖父の死をまだ知らない
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| なんて でも風変わりな人の祖父へのお供えかもしれな
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| い と思い直し 包みを開けた 出て来たのは何かの植
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| 物の蔓を編んだ蓋付の籠だっった 蓋をあけると ハツ
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| カネズミのような生き物が うずくまっていた
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| そっと手に取ってみた 体長は7センチぐらい しっぽ
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| は長く 毛はビロードのように滑らかだった が ひと
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| つとんでもないところがあった ゾウのように伸びた長
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| い鼻が四本 顔の真ん中にある 初めて見る不思議な生
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| き物 まだこどものようだった
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| 机の上に置いて観察していると しばらくして ひょい
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| っと 逆立ちのような格好になって なんと四本の鼻で
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| ゆっくり ゆっくり 歩き 始めた しゅっ しゅっ
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| と自転車の空気入れ のような音が鼻 から聞こえてく
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| る 息を圧縮して吹き出しながら 歩いているようだ
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| 雄か雌かは分からなかったが とりあえず ハナ とい
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| う名前をつけて 飼うことにした 最初は人肌に温めた
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| ミルクをスポイトで与えていたが そのうち 私の食事
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| から少し取り分けて 一緒に食事をするようになった
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| ある朝 ブドウを食べていたら 逆立ちの格好のハナの
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| しっぽが 思いもかけず しゅるり しゅる と長く伸
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| び 一粒巻き取った そして器用に口に運んだ 上手上
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| 手 手をたたく なんだか このごろ 楽しい
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| ハナが来て数週間後の夜 また台風が来た 古い家はみ
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| しみし揺れる ハナは 少し 不安そうにみえた 籠の
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| 底にタオルを敷き そっと入れて 蓋を閉めた
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| 台風が去った翌朝 籠は 空っぽになっていた ゴミ箱
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| の中も タンスの裏も 部屋の隅々まで捜したけど 見
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| つからなかった 籠のタオルに丸薬のような 糞が少し
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| ハナがいなくなって から しばらくして 古本屋で
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| ハラルト・シュテュンプケ『鼻行類』 という本を 見
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| つけた ぱらぱらとページをめくると ハナにそっくり
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| の絵があった ハナアルキ 〈ナゾベーム〉 それがハ
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| ナの名前だった
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| 鼻行類は 太平洋戦争中 南海の群島で偶然発見された
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| きわめて独特な進化を遂げた動物群 とある しかし
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| 発見されて数年後 シュテュンプケが『鼻行類』という
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| 論文を発表する直前 アメリカが秘密裏に行った地下核
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| 実験で 生息する群島もろとも 海底に消え 標本の一
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| つも残っていない 幻の哺乳類
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| その古本を買って帰った ナゾベームがうちにいた と
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| 言っても だれも信じないだろう 残ったのは 糞だけ
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| 独りの食事をしながら その本の続きを 読む
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| 鼻行類の発見者は 日本軍の捕虜収容所から脱走したス
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| ウェーデン兵 シェムトクヴィスト 彼が偶然 漂着し
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| た島は ハイアイアイ ハイアイアイ ハイアイアイ
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