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vol.31

坂東里美の詩 2

詩集『タイフーン』
より
(あざみ書房2005.9.10刊)

卒業式カーテンハナ鳥食う虫 人食う鳥湖水ドライブ



卒業式

  
雨上がりの朝だ 湿った土から けたたましいサイレン
が鳴った後の漠とした耳鳴り ひな人形の台座の畳表の
匂い 桜の木の灰色の幹の虫こぶの濡れた表皮のむず痒
い舌 信号は黄色 横断歩道の白線が歪む クリック音
立ち上がる老人のズボンのたるみが流れて 側溝の水草
に絡まる泡 「さもなければ」と口の中の粘るビターチ
ョコレートの包み紙の不条理な裂け目 ゴミ箱は投てき
を避け 柱時計の振り子が文字盤に円を描く秒針に嫉妬
するとき アマリリスの水彩画の虫食いの額縁が帰化し
ようとする 3年5組 起立。




(初出:「Contralto」9号2004.3.1発行)「卒業式」縦組み縦スクロール表示
tubu<詩>カーテン(坂東里美)へ
<詩>粘菌生活(坂東里美)へ
 


カーテン

  
膨らんでいる 黒板消しは垂直に咳き込み 日直当番山
下さんのスカートの箱ヒダの折り返しは解れている 踵
のつぶれた上履きのゴムのゆるみは波打って 通過する
不機嫌 ノートはまだ返してもらっていません ヒヤシ
ンスの水栽培の白い根は紡錘形を愛す 校庭の砂が螺旋
に回る 朝礼台 薄サビ色の領地 雨染みの





(初出:「Contralto」9号 2004.3.1発行)「カーテン」縦組み縦スクロール表示
tubu<詩>ハナ(坂東里美)へ
<詩>卒業式(坂東里美)へ
 


ハ ナ

  
台風が通り過ぎた翌日 郵便受けに祖父宛の小さな小包
が届いていた 奇妙な絵の切手に滲んだ消印《Heieiei》
 郵便受けの下には昨日の台風で吹き飛ばされた 葉っ
ぱやゴミが吹きだまっていた
    
昨日は祖父の七回忌だった 強い南風が玄関の扉を傍若
無人に叩く 台風が近づいていた 親戚の人々はそわそ
わと帰り なんだか間の抜けた時間 仏壇の奥から古い
はがきが出てきた それは六〇年も前に南方で戦死した
 祖父の弟からのものだった 
  
はがきの最後に 軍の捕虜収容所から先日スウェーデン
兵が脱走したので それを追って… そこから字が消え
ている 追って 追って ハイアイアイ…
  
小包に差出人の名は無かった 祖父の死をまだ知らない
なんて でも風変わりな人の祖父へのお供えかもしれな
い と思い直し 包みを開けた 出て来たのは何かの植
物の蔓を編んだ蓋付の籠だっった 蓋をあけると ハツ
カネズミのような生き物が うずくまっていた 
  
そっと手に取ってみた 体長は7センチぐらい しっぽ
は長く 毛はビロードのように滑らかだった が ひと
つとんでもないところがあった ゾウのように伸びた長
い鼻が四本 顔の真ん中にある 初めて見る不思議な生
き物 まだこどものようだった
   
机の上に置いて観察していると しばらくして ひょい
っと 逆立ちのような格好になって なんと四本の鼻で
 ゆっくり ゆっくり 歩き 始めた しゅっ しゅっ
と自転車の空気入れ のような音が鼻 から聞こえてく
る 息を圧縮して吹き出しながら 歩いているようだ
  
雄か雌かは分からなかったが とりあえず ハナ とい
う名前をつけて 飼うことにした 最初は人肌に温めた
ミルクをスポイトで与えていたが そのうち 私の食事
から少し取り分けて 一緒に食事をするようになった 
ある朝 ブドウを食べていたら 逆立ちの格好のハナの
しっぽが 思いもかけず しゅるり しゅる と長く伸
び 一粒巻き取った そして器用に口に運んだ 上手上
手 手をたたく なんだか このごろ 楽しい
      
ハナが来て数週間後の夜 また台風が来た 古い家はみ
しみし揺れる ハナは 少し 不安そうにみえた 籠の
底にタオルを敷き そっと入れて 蓋を閉めた
  
台風が去った翌朝 籠は 空っぽになっていた ゴミ箱
の中も タンスの裏も 部屋の隅々まで捜したけど 見
つからなかった 籠のタオルに丸薬のような 糞が少し
     
ハナがいなくなって から しばらくして 古本屋で 
ハラルト・シュテュンプケ『鼻行類』 という本を 見
つけた ぱらぱらとページをめくると ハナにそっくり
の絵があった ハナアルキ 〈ナゾベーム〉 それがハ
ナの名前だった 
  
鼻行類は 太平洋戦争中 南海の群島で偶然発見された
 きわめて独特な進化を遂げた動物群 とある しかし
発見されて数年後 シュテュンプケが『鼻行類』という
論文を発表する直前 アメリカが秘密裏に行った地下核
実験で 生息する群島もろとも 海底に消え 標本の一
つも残っていない 幻の哺乳類 
  
その古本を買って帰った ナゾベームがうちにいた と
言っても だれも信じないだろう 残ったのは 糞だけ
 独りの食事をしながら その本の続きを 読む 
  
鼻行類の発見者は 日本軍の捕虜収容所から脱走したス
ウェーデン兵 シェムトクヴィスト 彼が偶然 漂着し
た島は ハイアイアイ ハイアイアイ ハイアイアイ


(初出:「Contralto」8号 2004.9.1発行
「ハナ」
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<詩>カーテン(坂東里美)へ


  鳥食う虫 人食う鳥

  
  
  点氏 angel
  
母鳥の羽根の下で
ひな鳥たちは安らかに眠る
母から子へと 羽根づたいに
ハジラミの点氏は舞い降りる
無償の愛をこの世に告げるため
  
  
  
  航海 regret
  
波頭を越えて遙か永遠の国から
ガガイモの実の舟に乗り
ヒムシの衣を着た少名毘古那神
国造りもせず重油にまみれて
岩のりのように
波打ち際にへばり付いて
虫の息
  
  
  
  復習 revenge
  
英語の教科書の挿絵から
チェシャ猫を引きずり降ろし
頬ずりし 羽交い締めして
逆さ吊りして遊んだ夜
ぶつぶつと赤い斑点
チェシャネコノノミに食される
私の柔らかなふくらはぎ
  
  
  
   懐旧 caste
  
桜の花吹雪
トカゲの切れたしっぽを運ぶ
働きアリ 不妊の雌たち
暗い巣穴の中 女王アリはつぶやく
私には昔 羽根があった と
ふとっちょの女王は傅かれ
暗闇で死ぬまでタマゴを産み続ける
  
  
  
  蛆子 son of god
  
薬局の庇の下のツバメが巣から
ハゲで口ばかりの雛を
烏が盗って落とした
目も開かぬ雛に
無数の蛆の白い経帷子
  
  
  
  昇点 ascension
  
山嶺は銀色に輝いて
死んだ老婆の魂は山へ去る
僧侶の読経が響く
老婆の抜け殻は刻まれて別の命へ施される
ハゲワシたちがあまた集まり啄んで
やがて空へ向かって大きく羽ばたく
その暖かな羽毛に
つかまる点氏


(初出:「Contralto」2号2003.3.1/詩集『タイフーン』あざみ書房2005.9.10)
「鳥食う虫 人食う鳥」
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tubu< 詩>湖水ドライブ (坂東里美)へ
<詩>(坂東里美)へ


  湖水ドライブ

  
  
光はどこから漂い浮かんでくるのだろう。湖も空も山も
静かに浸され、線と線の間は何かを待っている。車は滑
らかに進んでいく。助手席で口をぱくぱくしているが、
声にはならない。
  
         *
湖水浴の小屋もウインドサーフィン・ショップの扉も薄
汚く閉ざされている。十一月。黄土色の砂。水鳥の群れ
は、近づくと沖へ沖へと距離を空けていく。松ぼっくり
を拾って湖水に投げる。どこか曖昧な空白に<ぽそり>
と頼りなく落ちた。
  
         *
カイツブリが一羽、昔の名は鳰、湖面の空白に唐突に浮
き上がる。昔この湖も<鳰の海>と言われ、湖水はカイ
ツブリだらけ、鳰、いっせいに潜る。くいっく。くいっ
く。いっせいに尾羽からげて潜く、潜く鳰カイツブリ。
湖面は穴だらけ、光が湖底から幾筋も空めがけて発射さ
れ。そして猶予。一瞬湖面は尖ったクチバシだらけにな
って、ぽんとカイツブリだらけになった。かも。ではな
く鳰。
  
         *
湖水では時間の方向が分からなくなる。ただ息を止めて
深く深く潜る意志となる。そして、ぽんと思わぬところ
へ浮き上がる。口笛はキュルルルル。
  
         *
助手席が浮巣のようにゆらゆら揺れている。シートベル
トに一本の蘆の影。いるのにいない。いないの浮き上が
ってくる。君と。湖水を渡っていく。


初出:「Contralto」5号2003.12.1発行/詩集『タイフーン』あざみ書房2005.9.10刊
「湖水ドライブ」
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tubu< 詩を読む>「モダンガールズ その6」純粋詩をもとめてー荘原照子ー(坂東里美)へ
<詩>鳥食う虫 人食う鳥(坂東里美)へ
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