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vol.31
<詩を読む> 坂東里美

モダンガールズ
    
その6
 
純粋詩をもとめて  ー荘原照子ー


 昭和十一年(1936)、病床の荘原照子の作品を秋朱之介がまとめ、昭森社の社主森谷均に交渉して、詩文集『マルスの薔薇』(小説一編、詩九編)が刊行された。荘原照子は1910年に生まれ、15歳で詩壇に出て、百田宗治の「椎の木」の同人となり、左川ちか、江間章子、山中富美子らとその才能を競っていた。彼女は、「春燕集」(椎の木詩抄V/1934)の中で、「現実人としては…父は漢学者でかなしい古典の夢々を私の胸に注ぎました。(中略)純粋詩の世界に於ける一年生としてこれから永眠の瞬間迄こつこつと歩ませて頂きたいと思ひます。」と述べている。「純粋詩」は、詩の中から詩以外の要素(思想・哲学・政治など)を排除し、純粋に詩的な要素のみで作られた詩を指すが、彼女はどのような「純粋詩」をめざしていたのだろうか。ヴァレリーは、ポーの「詩それ自体、詩でありそれ以外の何者でもない詩、詩のためにのみ書かれた詩」を踏まえて「純粋詩」を概念化し、ボードレール以来の象徴詩人の試みを「純粋詩」への努力と位置づけている。

   山  河
       ―病より起きつ暮江のほとり  杜甫

 わたしは前髪を微風に吹かせ乍ら もう先刻から此の沼の邊りにゐるが 待ちかまへてゐるそれはなかなか現れては来ない。

 今日 林は何の祭りであらう 赤松の耳を飾る銀泥の藤かづらー。

 それは凡ての人々と 凡ての孱懦らを思はせて哀しい。

 水よ聴け わたしは木綿を売って歩く 貧しい旅の女だ 曾て 頬赤い幼女の日 神龍のもとに嫁いだが神龍はいまだ地底よりいでず わたしは紫紺の螢となって。
 
 此のうつくしい初夏の一夜ー。

 大河の饗宴にさそはれつつふとも飛び発つて了つた。

 その故 誰の呪ひからであらう わたしの耳は今ちつとも聴こえない唯みえるものはあの高い窓だけである。

(※孱懦…小さく弱いもの)



 漢学者を父にもつ荘原照子らしく、晩年放浪の末、舟上で病死した杜甫の詩句をエピグラフに持つこの詩は、「わたし」の役割が詩における慣習的な「わたし」とは異なっている。伝統的な詩歌において「わたし」は、ほとんど作者と同一か或いは最も近似値であると認識され書かれてきたが、この作品において、前髪を微風に吹かせている「わたし」は、作者自身ではなく、小説の中の「わたし」と同じく、虚構の主人公である。杜甫がさまよった遠い国のどこかの沼のほとりに木綿を売り歩く貧しい女である「わたし」は、幼女の日に嫁いだ神龍の現れるのを待ちかまえている。林の赤松には、まるで祭りの飾りのように藤が絡まり咲き誇っているが、それを見ると、何かにすがって生きている人間存在の弱さを連想させて哀しい。うつくしい初夏の一夜、「わたし」は蛍となって、神龍を待つこともなくまた、大河の流れに同調することもなく、ふっと飛び立ってしまった。というような虚構の物語が語られる。そして、最後の二行では、時間と場面が変わる。今は耳が聴こえなくなって高い窓しか見えるもののないこの「わたし」は、前の連の物語の主人公の「わたし」を語る語り手として、外側のもう一人の「わたし」として設定されている。語りの二重構造によって、意識的に虚構の物語を構築し、自らを語る伝統的な詩歌から抜け出ようとしているのだ。荘原照子は、それ以前の女性詩にありがちな安易な心情の吐露を排除し、さらに作品の上から自らを消し、想像力を駆使して「詩のためにのみ書かれた」新しい詩の世界をもとめようとしたのだ。
(紙版「rain tree」vol.29 発行2006.4.4所収)
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