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vol.31

坂東里美の詩 1

コケにまつわる考察およびその他メイドの土産 三鱗帽 粘菌生活


   コケにまつわる考察およびその他



                     
   ヒカリゴケ
  
光の届かない深い森を
もう何時間歩いただろう
ほの明るいエメラルドグリーンに
蛍光する切り株
翁もかぐや姫も行方知れずのままだ
  
  
   こける
  
子供の頃は 
よく転けた
いっしょうけんめい走ったり
跳んだり 跳ねたり
自転車をこいでいたからね
久しぶりに会った幼なじみの
頬が痩けていて 別人かと思った
  
  
   虎穴 
  
タイガーマスクは
戦争孤児であった
枯けつした心で
虎の穴へ行ったとさ  
  
  
   固形物
  
質がかたく一定の形体を有するものをいう コケ イブツ がの
どを通らないのは人間だけであって コケを食事とする 生物も
いるのだ コケ イブツの環境も 保護せねばならない
  
  
   Coquettish
  
オーソドックスな方法は 根強い
虚仮 威し にもかかわらず
浅はかなヤツはひっかかる
駅前でもらったサラ金業者の
虚仮 ティッシュで
これ見よがしに鼻をかんでやった
  
  
   モスバーガー
  
moss の花言葉は「肉体的愛情」 コケに 花言葉をつけ
た人について 考える 薔薇や菫 に花言葉をつけた人とは 
絶対に違う人だ きんぴらゴボウのお米バーガーを食べる人
とも違う人だ
  
  
   糞上のコケ
  
雫あるいは日陰の鬼火 ではなく雪解けの音 流れる春 残され
た人体より落とされた遺物 ちり紙の存在からして 決定する生
きる憂鬱の 或いは快感の上に 柔らかく緑なすもの 肥料を必
要としない仲間からは異端 発酵 薄幸の遺物を吸収し 艶やか
な 朱色の胞子の成熟 コケ自身に野糞臭は 発効する 艶なる
愁 蠅を誘い 胞子は新しい憂鬱と快感とへ運ばれる 八紘一宇
さざれ石の 巌となりて コケのむうすうまああで


( 紙版「rain tree」vol.29 発行2006.4.4より)
「コケにまつわる考察およびその他」
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tubu<詩>メイドの土産(坂東里美)へ
<詩>立っていたあの人は(関富士子)へ
 


メイドの土産



                     
大阪日本橋、はいつも曇天。電気屋街の客引きの声が今
日はうっとうしく感じないのは、小型人型ロボット組立
てキットを持って歩いているからだ。これを買った店で、
「メイド喫茶ヘブン/コーヒー一杯無料券」を貰った。
まっすぐ家に帰ってロボットを組み立てたいところだが、
大枚をはたいてやっと手に入れたことだし、まずコーヒ
ーで祝杯というのもいいかな。ロボットを製作するとい
えば、少し前までは一部の研究者たちだけのものだった
が、プラスドライバーと、パソコンさえあれば、シロウ
トでもロボットが作れるという組立てキットが最近売り
出された。このことを知ったとき、僕の心の暗闇の中で
子どもの頃からの夢が一番星のように輝き始めた。
  
「メイド喫茶ヘブン」は、メインストリートからひとつ
角を曲がったビルの3階にあった。木製のドアを押すと
鈴の音がして、それと同時に「お帰りなさいませ。ご主
人様!」という声。スカートのふわふわした黒のワンピ
ースにフリルのいっぱい付いた白いエプロンと白いレー
スの髪飾りの女の子が3人。思わず一歩退くも、「こち
らへどうぞご主人様!」という声に俯きながらもついて
いく。「これが今流行りのメイド喫茶というものか」と
いう言葉だけがぐるぐる回る。こういうのは苦手だ。コ
ーヒーを飲んだらすぐ出よう。コーヒー一杯無料券をテ
ーブルに置くと、「ロボット組立てキットをお買い上げ
のご主人様には、とぉーっても素敵なお土産をご用意し
ておりまぁーす。」とアニメから抜け出したような大き
な身振りでメイドが言った。
  
店の中の馬鹿馬鹿しいほどの明るさに比べて、窓の外が
さらに薄暗くなったような気がする。どこからか「フィ
ー」「フィヒュー」ともの悲しげな口笛のような音がす
る。きょろきょろしていると、メイドがコーヒーを運ん
できて、「鵺でございますご主人様。」「どうぞこれで
お射止め下さい。」といって、手のひらのサイズの弓矢
を置いていった。
  
祝杯どころではなく、コーヒーを一気に飲み干し、ロボ
ット組立てキットの包みと、一瞬躊躇したが弓矢も掴ん
で、この居心地の悪い店を急いで出た。
  
家に帰るとさっそくロボット組み立てに取りかかった。
気持ちが高まってくる。身長三十四p、体重一.二s、
十七自由度。自由度というのは人間の関節に相当し、自
由度が大きいほど人に近い動きが出来ることを意味する。
二十四自由度まで拡張する。ここまでの作業に約四時間。
小型人型ロボットの本体が出来上がった。ここからは、
ロボットの動作を作成していく。教示モードに入れると
ロボットの各関節は脱力しているので、直接ロボットを
動かしてポーズを作り、そのデータをパソコンのソフト
ウエアで順番に登録していく。その作業が終わるとロボ
ットは動き出すのだ。歩いてしゃがんで前回りをしてま
た立ち上がる。そんな一連の動きもお茶の子さいさい。
とうとう僕の家にロボットがやって来た。いつの間にか
深夜になっていた。
  
窓の外から「フィー」「フィヒュー」と口笛のような音
がした。昼間のメイド喫茶でのことを思い出す。「鵺で
ございます。ご主人様。」
メイドはそういって小さい弓矢を土産にくれた。ぼくは
ロボットに「頼政」という名をつけた。そして弓を射る
動作をひとつずつ登録していった。だけど、弓を引く動
作は複雑でなかなか上手くいかない。矢は飛ばず、ぽと
りとロボットの足元に落ちるだけだ。やっているうちに
意地になった。鵺という正体の判らず、そして実体の無
い仮想の敵。それを射落とすというどうでもいいような
ことのために、僕は多くの時間を費やすことになった。
だが思いがけなくその無駄な時間が地味な僕の生活を活
き活きとさせた。高性能ロボットコントローラーをさら
に拡張して、弓を射ることはもちろん、自由自在に動き
回る自立ロボット「頼政」がとうとう完成した。
  
窓に想像で描いた「鵺」の絵を貼り、それを的にしての
鵺退治ごっこに僕と「頼政」は毎晩興じた。そして「頼
政」はかなり正確に矢を的に当てることが出来るように
なった。そのうちに絵の的に当てるだけでは退屈になり、
本物の「鵺」を求める気持ちが日ごとに増してきた。得
体の知れない邪悪な異形。葬り去らねばならないものの
象徴としての。窓の外では、北東の方向から黒い雲が沸
き上がり、春の嵐が。
  
「フィー」「フィヒュー」強風が窓を叩く。稲光。雷鳴。
と同時に停電した。「鵺!」と僕が叫ぶより早く闇を貫
く音。左胸に鋭い痛みが走った。そして生暖かい波が溢
れた。
  
  弓を握るロボット
  の金属の腕
  に映る白い月。



「メイドの土産」
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tubu<詩>三鱗帽(坂東里美)へ
<詩>コケにまつわる考察およびその他(坂東里美)へ


三鱗帽



毎日通る道沿いの 古い小さな祠に いつからか女のホ
ームレスが住み始めた 煤けた髪を頭の上で結い 汚れ
た布団のような着物を何枚も重ねて くぐもった声で何
か独り言を続けていた 膝の上のぼろ布がもぞもぞと動
いた 思わず見入っていた私に気づいたのか 膝の上の
ぼろ布に包まれた何かを 私に向かって捧げ挙げた ど
きっとしたが 気色が悪いので 知らぬ顔をして通り過
ぎた
  
家の前まで来ると 隣家に工務店の軽トラックが止まっ
ていて 明らかにカツラと分かる頭の工務店の男が「今
日は三隣亡だが 家を建てる訳じゃないから」
とこちらにも聞こえるように 隣家の主人に 声高に言
っていた 夕方 庭に出ると 隣家との境界線にブロッ
ク塀が もう出来上がっていた        
  
翌日 祠の前を通ると あのホームレスがいなくなって
いた しばらく立ち止まってあたりを見回したがいなか
った 諦めて家に帰ると 玄関の前にあのぼろ布の包み
が置いてあった
  
恐る恐るぼろ布を開くと 子猫ほどの大きさの 見たこ
ともない爬虫類が ちろちろと舌を出していた 全身白
く 眼が赤い 突然変異のアルビノ(白子)かもしれな
い 鱗が退化したのか皮膚は滑らかで ちょうど頭の上
に 三枚だけ鱗が残っていた 以前 友人が飼っていた
小さな蛇を 預かったことがあった 鳴かず静かで 悪
臭もなく アレルギーを引き起こすような毛もない 小
さなガラスケースひとつで飼え 直射日光も必要なかっ
た その友人は大震災のとき 木造アパートの下敷きに
なって死んで もういない  
  
頭の上の三枚の鱗が 帽子のように見えたので 「三鱗
帽」という名前をつけ ガラスケースに入れ 納屋で飼
うことにした 死んだ友人のことを 少し思い出したか
らだ またあのホームレスが戻ってきたら 返せばいい
  
十一月も終わりに近づくと 三鱗帽はほどんど食べなく
なり やがて冬眠に入った 古いカーテンをガラスケー
スに掛けて 何日かに一度 見に行くだけになった 
  
三月になった 少し暖かい日もあり 毎日納屋へ 三鱗
帽の様子を見に行く まだ動いているのを確認できない
が 昨日あっちを向いていたのに 今日はこっちを向い
ているということが増えてきた もうすぐ冬眠から覚め
る季節だ
  
真夜中 大きな揺れで目が覚めた 言いようのない恐怖
心が甦る 落ち着いてみれば たいしたことはなかった
ようだ 本棚から本の一冊も落ちてはいない テレビを
つけると臨時ニュースが流れた 震度5 建物の被害や
怪我人もないようだ 明日の始発電車が安全確認のため
遅れるかもしれない ということだ
  
朝になって庭に出てびっくりした 昨年出来たばかりの
あのブロック塀が崩れていた 鉄の支柱が入っておらず
ただブロックを積み上げただけの 手抜き工事だった 
隣家に文句を言いに行かねばならないが 三鱗帽のこと
が気になって 納屋へ直行した ガラスケースの中に 
三鱗帽はいなかった 不吉な予感がして 崩れたブロッ
ク塀のところへ いそいで戻る そして素手で そうあ
の日も素手で瓦礫を掘った 崩れたブロックを必死で 
どけていった
  
指先から血が滲んで そうして
ブロックの下から
三枚の鱗が見つかった
三枚の鱗は 私の手のひらで
微かに 光って 
光り 光って


( 「Contralto」12号 2006年3月1日 発行)
「三鱗帽」
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tubu<詩>粘菌生活(坂東里美)へ
<詩>メイドの土産(坂東里美)へ
     


粘菌生活



大峯奥駈道五番関で登山靴の紐が切れる。屈み込んだ脇
を修験者の影が駈け抜ける。女人結界門が道にたちはだ
かり、女は西の谷へ降りねばならない。乳白色の霧が下
がってくる。薄汚れた皺くちゃの油紙を重ねたような老
婆の行き倒れか、と見える倒木。その植物遺体に鮮やか
な黄色のレース編み。カビとも苔ともつかない網状の生
物が扇形に広がっていた。
  
山のバスはよく揺れる。車酔いに青くなりながらもうつ
らうつら眠る。倒れた老婆が立ち上がり、骨と皮だけに
なった手を差し出し、しわがれた声で「お前にあげるよ。
大事におし。」 がたんとブレーキがかかり、声のトー
ンが変わった。「終点です。近鉄電車に乗り換えです。」
    
家に帰り着き、ニットシャツを脱いで椅子の背もたれに
掛けた。肩に黄色い埃。洗濯は明日ということにして熟
睡。しかし翌朝は雨。そのまま仕事に出た。夜帰ると、
シャツの肩の黄色い埃はぶよぶよした大型のアメーバー
に成長しており、暗闇の中で黄色い光を放っていた。触
るとねばねばして指にくっつく。そのうちに端が分裂し
てレースのような編み目ができていった。そして全体の
場所がゆっくりずれる。動いている。生きている。そう
だ、熊楠の本で読んだことがある。動物とも植物ともつ
かない、生物の振り分けの定義からすでに、いや存在の
はじめから、はみ出している生物。「粘菌」に違いなか
った。
  
数日間、シャツの上の粘菌を眺め暮らした。夜中めざめ
るとほのかに光る。それは命そのものの光のように思え
たし、またむしろ死へ向かう光のようにも思えた。生物
である限り何かを食べねばならない。空気中のカビやバ
クテリアを食べているのだろうか。鮮やかな黄色のレー
ス編み生物は、ゆうに五〇センチ四方を越えてシャツ全
体を覆っていた。
  
雨の夜になった。粘菌を見ながら眠りの淵を往復する。
足の甲から順に黄色のレース編みに包まれていくような
気がした。粘る湿度が私の身体全体に広がっていく。接
合の時が来たのかも知れない。もとより私とて、人間社
会の中でどこにも分類されえない者だった。原形質が流
れているのか。川の音が聞こえてくる。
  
突然、突風の胸騒ぎ。私をすっぽり包んだ黄色いレース
編みの無数の結び目が、一気に無数の小さいキノコに変
身した。
  
十一月一日、真夜中のことだ。


(「Contralto」11号 2005.11.1発行)
「粘菌生活」
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tubu<詩>卒業式(坂東里美)へ
<詩>三鱗帽(坂東里美)へ
 
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