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vol.32
<詩を読む>
 

高橋睦郎の旅

関富士子
 京橋の画廊「東京ユマニテ」で行われた高橋睦郎さんの朗読会へ出かけた。(2006.10.18「詩の催しもりだくさん」ラウンドポエトリィの案内)
 彼が少しずつ年を取っていくのを見るのはちょっと悲しいけれど、ややほっとするようなところもある。小柄な体と童顔の優しい笑顔。白髪になっても少年のような風貌の詩人なのだ。3歳にして大人になるのを拒否して自ら成長を止めたオスカル少年(ギュンター・グラスの小説『ブリキの太鼓』)みたいではないか。
 そんなことを思っていたら、朗読を始めるとき、睦郎さんは椅子に座って本を開きながら「人間じゃないかもしれない・・・」と呟くように言った。その言葉が、前後の脈絡もなくぽとりと落っこちるように出たので、わたしは思わず、(え?)と聞き返すように彼を見つめた。直前までお客の一人と話していた会話の続きだったのかもしれない。しかしわたしはどきどきした。(やっぱり睦郎さんて、人間じゃなかったんですか?)
 彼はそのまま何の説明も挨拶もせず、すぐに詩を読み始めた。「冬の旅」だった。
(前略)
きのう われらは暗い森をとおった
影の影
いのちのけぶりも見えぬ森だ
鳥は死んだ
地の蛇たちも かたまって死んだ
杖で打つと 吐気の来そうなほど
うつろな音がするのだ
根かぶがうめいている
木の幽霊たちが立っている
地上に はらはらと
落ちているものがある
見ると
這う虫のようにかじかんだ
男根なのだ
見あげると
はりめぐらされた枝の血脈の
あちらにも こちらにも
縊れている神だ
(後略)
(『高橋睦郎詩集』現代詩文庫 思潮社より)


 この時代の高橋睦郎の、わが身をさいなむような詩を、若かったわたしも胸苦しく読んだのを思い出す。かくも絶望的な死の森を彷徨って、彼はいかにして現在に至ったのか。それは彼の20冊を超える詩集に明らかなのだが、わたしが彼の詩を本当にわかったと思ったのは、2000年に出版された『柵のむこう』だった。会ではこの詩集から、「ヌーラ・ニー・ゴーノルに献げる三つの詩」「イエイツを思い出す三つの詩」「柵のむこう」「井戸を捜す」「過程」「ジャガイモ」「アイルランドで私は」「二つの岸辺」「イヌ ヒトに会う」「木のテーブルで」「永遠のパン」などをたくさん読んでくれた。また雑誌「ユリイカ」からも新しい詩を数編朗読した。

アイルランドで私は

アイルランドで私は 毎晩
夜なかに起き出しては 旅の荷を整理した
ズボンを穿き セータを被り まだ暗い外に出た
頬にぶつかる空気も 靴底が踏む砂つちも
すべてが目覚めているのを 切実に感受した
そこでは樹は小枝の先まで血液の通う樹
鳥たちは一羽一羽 別の魂を持つ鳥たち
海がはじめて見るようにあたらしいから
この美しい世界がいつかは終わることが
疑いを容れる余地なく 確かに信じられた
生きていると感じる一瞬一瞬が痛いほど甘美だから
一瞬一瞬のいつ終わってもいいように
つねに自分のこの世の旅を整理していた
アイルランドで

(高橋睦郎『柵のむこう』不識書院刊より)

かつて、「いのちのけぶりも見えぬ森だ/鳥は死んだ」と世界に絶望した詩人が、この詩では、「そこでは樹は小枝の先まで血液の通う樹/鳥たちは一羽一羽 別の魂を持つ鳥たち」と世界を讃えているではないか。世界の終わりはだれの目にも明らかだとしても、「生きていると感じる一瞬一瞬が痛いほど甘美」と感じられるならば、彼は救われたのだと、わたしはこの詩集を読んで確信することができた。

 私的な話になるが、3年ほど前に高橋睦郎さんの逗子のお宅に招かれたことがある。わたしは『女−友−達』を出版したばかりだったが、立て続けに葉書が数通届いて、詩集を褒めてくれて、ぜひ家に遊びにいらっしゃいというのだった。わたしはすっかり驚いて、この拙く貧しい詩集のどこがそんなに気に入られたのだろうといぶかしんだ。
 海沿いのバス停で詩人高橋睦郎がわたしを待っているのが見えたときはうれしくて気を失いそうだった。近所の海の見えるレストランでお昼をごちそうになったばかりでなく、おうちまで連れて行ってくれて、紅茶や果物のお菓子をいただいた。
 天井の高い細長い窓や、白い花ばかりを植えたという庭の様子が蘇る。おしゃべりのあと、家中を案内してくださったのだ。家は改築中で、2階の書斎のドアにはまだドアノブがついていなかった。押して入ると、真ん中に堂々たる書き物机が置かれていた。ここから屋根に出られるよ、と言って、いたずらっ子のように窓づたいに屋根の上に導かれ、母屋の隣に大きな書庫があるのを見た。明かり取りの天窓から、階下にヨーロッパ風のきれいな空っぽのバスタブが見えた。庭の隅には使われていない古井戸があると話してくれた。

井戸を捜す

人はみな自分の井戸を持つべきだ
それは 泥炭の丘また丘を旅していて
教えられた枯れ草の匂う知恵の言葉
導かれた井戸は 丘のふもとの窪み
立てかけられた木の蓋を取ると
ふるえている泥炭いろの浅い水かさ
私は 遠いわが裏庭の忘れられた古井戸
蓋をしたままの油の浮いた水を思った
帰ったら あの井戸をさらえなければ
それよりも 私自身の内側の井戸を
浚えるよりも前に まず捜さなければ
私は わが家の井戸蓋を埋める落葉より
さらに夥しい内側の怠惰の堆積を思った
甕に貯め置かれた泥炭の井戸の上澄みは
わだかまる曇り空の裂け目から覗く空のように
するどく冴えて 舌とのどに喜ばしかった

(高橋睦郎『柵のむこう』不識書院刊より)

 ここからちょっとだけ海が見えるんですよ、と言われて中2階の小窓を覗くと、四角く切り取ったように小さく穏やかな入り江が見えた。質素な和風の寝室には一枚の薄べりが敷かれていた。わたしたちは階下に降りて、夕方の薄暗いキッチンの円いテーブルに向かい合った。詩人が書いたばかりだという詩を朗読してくれた。聴衆はわたし一人だった。信じられないほど幸せだった。感想を聞きたいと言われたが、何も答えることができなかった。

木のテーブルで

十月の 水のように流れやまない朝
不確かな過去から 木のテーブルが届いた
二百年以上も昔の英国で作られたという
六人は優に囲める 頑丈な丸テーブル
私は折返し点を過ぎて 一人暮らしだが
残る人生の 長すぎる午後のような時間
このテーブルで パンを毟り零したり
詩の下書きを推敲したりして すごそう
時には若い客と二人 薄荷の茶を喫み
地球の終わりについて 語りあおう
(後略)
(高橋睦郎『柵のむこう』不識書院刊より)

 お宅を辞しながら、わたしは高橋睦郎という詩人のすべてに圧倒されていた。今日一日の出来事はそれこそ夢のようだった。きっと詩人の一時の気まぐれだ。そのうちわたしのことなどすっかり忘れてしまうだろう。緊張気味のわたしを歓待してくれた詩人に対して、わたしは十分に心を開ききれなかった。しかし、家に帰ってから興奮に動かされるままに詩を一編書いた。
「反射光」"rain tree"vol.28

 その後わたしは続けて2冊の詩集を出したが、彼からは『女−友−達』のときのような返事はなかった。でも新しい詩集が出されるたびに送られてきた。去年の夏に『語らざるものをして語らしめよ』が届いたとき、わたしは個人的なことで心が弱ってしまっていて、礼状を書くことができなかった。その詩集は、神の反黙示録、神話の裏の反神話とでもいうべきもので、その語りの堅固さ、詩人としての強烈な自負にわたしはおののくばかりだった。

(前略)
彼らがどうしても語らないなら
代りに 私たちが語ること
彼らに語るための口がないなら
代りの歯と舌になること
語らざるものをして語らしめよ
闇をして闇のまま立たしめよ
(『語らざるものをして語らしめよ』(思潮社刊)より「0」部分)

 詩人の仕事とは、究極には語らざるものの媒介となることなのだろう。ノロ、イタコ、口寄せ、霊媒、他者に乗り移ってその人の言葉を語ること。そのようにわたしも、自分の中の井戸を汲み上げ、他者の言葉を発見したいと痛切に思う。

 朗読会でひさしぶりに会えた詩人は、持参した『柵の向こう』にサインをしながら、「今もたくさん詩を書いているんでしょう。」と小声で尋ねてくれた。「ええ、そうでもないんですけれど。」と答えると、「そんなときもありますよ。」と慰めてくれた。
 マイクを使わない、声高でなく普通の声が緩やかに伝わるほどの小さな会場で、そのようにして朗読は始まったのだ。「人間じゃないかもしれない・・・」という言葉で。そのあとわたしはたっぷりと詩人のささやくような言葉を味わった。語らざるものの声に耳を傾け、井戸の底から言葉を掬い取る詩人の密やかな声だった。(2006.10.20)

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