このホームページを開いて後、参加している社会保険労務士が対象のメーリングリストで、ホームページを公開した旨を
宣伝させていただいた。するとまもなく、同じくそのメーリングリストに参加していらっしゃる清水直樹さんという埼玉の社労士さんから長文のメールをいただいた。
それが、今回掲載させていただいた「国民年金法と外国人問題」というタイトルの原稿である。
せっかくこうして本名で開業したことでもあるし、仕事を通して、在日同胞社会に貢献することができたら、というのは漠然と考えていたが、まずは社労士としての地歩を固めてから、などと、のんびりと構えていたわたしにとっては、大きな課題をつきつけられた思いだった。
この問題に対して日本人の社労士が発言するということ、そしてその発言を、在日の社労士の
ホームページに掲載するということは、決して意味のないことではないと考えている。
在日の無年金者の問題は、在日の人権を扱った本には必ずといっていいほど
触れられている。
また、そのような本も、もちろん十指にあまるほど出版されている。
ただ、社会的ムーブメントになるには、程遠い状況であるし、そもそも、このような問題があるということを知っている日本人はわずかだろう。
これは、在日社会にこの問題を運動化するほどの力量がなかったという
こともあるだろうし、年金がなくても、親を子が扶養するのは当然、
という考えが強かったということもあるとは思うが。
指紋押捺問題も、在日の民族団体からは、早くからその非が鳴らされていたが、運動として盛り上がったのは、1984年ごろであった。
従軍慰安婦問題も、70年代にはすでに数種の本が出ていたし、
わたしの学生時代(1981年から1985年)ごろには、在日の間では
はっきりと問題として意識されていたが、日本のマスコミをたびたび
にぎわすようになったのは、90年代に入ったくらいからでだろうか。
ひとつはっきりといえることは、在日だけでいくら集会を開き、
デモをしても、日本政府を動かすような力にはなりえないということである。
在日の問題は、単にかわいそうな人たちを助けようという話ではなく、
日本社会の抱えた病理が弱いところに吹き出ているにすぎない。
以前はとにかく新聞雑誌が取り上げなければ、なかなか問題の所在を
多くの人に知らせることはできなかった。しかし、個人が情報を発信できる
インターネットという場ができたことで、状況は大きく変わってきている。
現にわたしも、インターネットで多くの在日や、在日の問題に関心がある
日本人に出会ったし、メーリングリストに参加し、ホームページを開いたことで、
こうして清水さんに出会うこともできた。
ホームページに掲載された一文で、状況が変わるとは思っていないが、この問題を多くの人に知らしめるひとつの契機になれば幸いである。