国民年金法と外国人問題

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[ 国民年金法と外国人問題 ] 公的年金の外国人差別 ] 年金法の国籍条項と立法裁量 ] 三文書掲載について ] 清水さんの原稿を掲載するにあたって ]

 

社会保険労務士  清水直樹 

 

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外国人への国民年金の適用の経緯

国籍差別撤廃の趨勢

  「国際化の時代」といわれながら日本という国は外国人に対して閉鎖的な国のように思われる。とはいえ、80年代からの地方自治体の動きを追認した形 とはいえ、96年11月に自治省が「一般事務職員の採用には日本国籍が必要」という従来の方針を見直して各自治体の裁量に任せるとの見解を示したのは一歩前進としてよいだろう。97年に入り神奈川県では採用にあたり国籍条項を原則的に廃止し部長級までの昇進を認める方針を明らかにした。(日本経済新聞 1997年1月8日付) 国籍による差別是正がわずかながら進んだといえよう。

難民条約で規定された「自国民待遇」

  しかし老後の社会保障の一環をなす国民年金法では、未だに外国人差別が残っている。確かに「難民の地位に関する条約」(以下「難民条約」と略 す。)の批准を迫られるという「外圧」によって1982年(昭和57年)1月1日以来、国民年金法上の国籍条項は撤廃され在日外国人も国民年金への加 入できるようになった。

 当初、厚生省は在日外国人の法的地位に関しては慎重にならざるを得ないとして国民年金への難民・外国人の加入に否定的な姿勢を 示した。難民条約第23条において公的扶助に関して、また第24条において労働法制及び社会保障に関して「自国民に与える待遇と同一の待遇を与える」 という規定がある。この規定から当然に在日外国人にも国民年金法の適用をしなければならないはずである。しかし当時、条約加入にあたって厚生省はこの 条項は、「留保」することを考えていたという。(「在日外国人・新版 田中宏著 岩波新書1995年参照)これは国民年金創設時に在日外国人の中で多数を占める在日韓国人・朝鮮人の国民年金への加入を認めなかったことをふまえたものであろう。当時の厚生大臣は後に総理となった橋本龍太郎氏であっ た。

  国際関係を考慮しての判断とはいえ、外国人への適用を認めたことは一歩前進といえよう。しかし「自国民待遇」という点ではまだ疑問を残している。現 行法では、国民年金制度が創設された1961年(昭和36年)4月1日以後の期間については合算対象期間(いわゆるカラ期間)とされ年金額には反映さ れない。これを日本国政府が当然に日本国民とみなす人への幾つかの特例措置と比較して検討してみたい。 

 

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 年金受給権確保のための特例措置

国民年金制度の創設時

 国民年金制度は1960年に創設され1961年(昭和36年)4月保険料を徴収し始めた。制度創設にあたって明治44年4月2日以後に生まれた人 (当時54歳以下)を強制加入者とし明治39年4月2日から明治44年4月1日までに生まれた人は任意加入とした。任意加入した人には特例加算のつく 「10年年金」(1996年度(平成8年度)価格477,100円)という低額ではあるが保険料納付額と比較して有利な年金が制度化された。

 しかし国 民年金制度創設当初は制度への理解の薄さから高齢者で任意加入するものが少なかった。その後年金制度への理解が深まり任意加入の意思表示をする人が増 えてきた。このような事情への対応と年金制度の成熟化を早めるため、1970年(昭和45年)に再び任意加入の門を開いた。これが「5年年金」(19 96年度(平成8年度)価格406,100円)といわれるものである。

更に1973年(昭和48年)に「5年年金」の時点でも加入しなかった人を対象 に再び任意加入の門を開いた。「再開5年年金」といわれているものである。このように政府が日本人と認めるもの者に対して低額とはいえ制度創設後2回 にわたって特例措置をとって年金受給権に配慮したことを確認しておきたい。

沖縄在住者を対象とした特例

  次に国民年金制度創設時には日本国籍がなかったため国民年金に加入できなかった沖縄在住者について検討してみたい。(沖縄復帰以前に小笠原の復帰が あるが、沖縄関連についてのみ論じる。)

 沖縄における国民年金は、9年遅れて1970年(昭和45年)4月に発足した。この9年間の空白に伴う本土と の格差の是正のため、日本復帰時に沖縄在住者に対して旧国民年金法の元でも1939年(昭和14年)4月1日以前に生まれた者については生年月日に応 じて9年から1年の「みなし保険料免除期間」を設けられた。

 更に1986年(昭和61年)4月1日に現行の基礎年金制度が発足し、年金額の計算の基礎 が加入期間40年を基本とすることとなったため、前記の従来からの特別措置のみでは保険料の追納をしても満額の基礎年金を受けることができない者が存 在することになった。このため沖縄の特別措置が改正され、1950年(昭和25年)4月1日以前生れの者に対して年月日に応じて1年から9年の「みな し保険料免除期間」とされた。この「保険料免除期間」みなされた期間については1987年(昭和62年1月1日から1992年(平成4年3月31日) までの間に限定されているとはいえ1月につき2,400円の定額での追納が認められ、追納すれば「保険料納付済期間」となり本土在住者との均衡がはか られた。 

中国残留邦人を対象とした特例

 また1994年(平成6年)の国民年金法の制度改正では永住帰国した中国残留邦人等(明治44年4月2日以後生まれの者)の残留期間について国民年 金の被保険者期間との取り扱いについて特例を設けることにしている。内容は残留期間の内、1961年(昭和36年)4月以降帰国するまでの間を「保険 料免除期間」とし、1月につき6,000円の追納が可能であり、追納すれば「保険料納付済期間」となる。長期にわたる「保険料免除期間」への追納が可 能かは別として制度的には、前述の沖縄特例と同様の措置がとられ、他の日本国民との均衡がはかられた。(念のため付記するが、沖縄・中国在留邦人等へ の特例措置については、国民の年金権を幾らかでも充実させるものであり妥当なものと考えている。批判しているのでない。在日外国人の年金権を充実させ る上で検討したものである。)

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切り捨てられた外国人の受給権

「合算対象期間」さえ認められなかった3年間

  このように日本国籍を持つものに対しては保険料を納付していない場合でも「保険料免除期間」として取り扱っている。これに対して在日外国人に対して は同様に日本国内に居住し税金を負担していても年金の額には全く反映しない「合算対象期間」としてしか認めないのは均衡が保たれておらず「自国民待 遇」の原則からすれば不当なものだと考える。

 しかも「合算対象期間」に算入するように国民年金法改正をしたのは、1982年(昭和57年)1月からで はなく、4年以上遅れた1986年(昭和61年)4月からである。この4年強の間に年金の受給権を本来なら得られたであろう人には何の手だても打たれ ていない。それののみならず、この3年間の間に「強制被保険者」とされた在日外国人の内既に中高年に達しており、当時の任意加入の限度である65歳ま で保険料を納付しても老齢給付に結びつかない人の対しては、「任意脱退」の処理をしたケースもある。「合算対象期間」さえ入れようとしなかった当時の 制度によって恒久的に社会保険から閉め出してしまった。3年強の間有効な手だてを講じなかったのは、行政によるサボタージュではないだろうか。まして 「任意脱退」によって社会保険からの締め出しをしてしまったのは、行政による権利剥奪といえよう。

 日本国籍を有するものとの均衡を考えるならば、居住 開始から1981年(昭和56年)12月までの期間は当然のこととして「保険料免除期間」に組み入れるべきであるし、希望するものには沖縄特例や中国 残留邦人への特例措置のように保険料の追納も認めるべきではないだろうか。

年金額の計算の基礎とならない「合算対象期間」

  ここで「合算対象期間」と「保険料免除期間」についてふれてみる、現行の国民年金法では原則として受給資格期間として25年以上が必要である。「保 険料納付済期間」、「保険料免除期間」、「合算対象期間(カラ期間)」を合計した年数で25年以上あれば、老齢基礎年金の受給資格を満たすことにな る。

 「保険料免除期間」は、原則的には障害者や低所得者等の保険料を納付することが困難な人に対して適用される制度であり、法定免除と申請免除の場合 がある。年金額の計算にあたって現行の基礎年金の給付への国庫負担割合が3分の1であることから、「保険料納付済期間」の3分の1の割合で計算され る。

 これに対して「合算対象期間」の期間は、受給権の資格期間を判断する場合には、計算に入れられるが、年金額の計算に関しては全く反映されない。ま た「保険料免除期間」と異なり追納することにより将来の年金額を充実させる道も閉ざされている。「保険料滞納期間」の場合は期間の計算にも入れられな いことと比べれば幾らかはましとはいえ年金額が著しく低くなることは否めない。税負担は自国民待遇で取り扱い、社会保険は自国民より劣悪な条件を放置 しておくという姿勢は正されるべきと考える。

積極的な宣伝もせず放置

  また日本国政府は、日本国籍者の場合には、古くは「10年年金」「5年年金」の時、新しくは「沖縄特例」等を積極的に宣伝しているが、在日外国人に 「合算対象期間」が適用されることはほとんど宣伝されない。厚生年金保険法では以前から国籍条項がなかったため、厚生年金保険に加入していた在日外国 人がいた。厚生年金の受給権に結びついた人は、まだましだが被保険者期間が短くて保険料の納付はしたが、年金の受給に結びつかない人もいる。その様な 人達も場合によっては「合算対象期間」の期間を追加して厚生年金保険の受給権を得ることができる場合も生じてくる。「合算対象期間」では日本国籍者と の均衡を逸するとはいえせめて積極的に知らせるのが政府の役割ではないだろうか。 

年金額の試算

 今年65歳になる1934年(昭和9年)5月2日生まれで1961年(昭和36年)4月1日以前から日本に居住していた国民年金の被保険者である在 日外国人が1982年(昭和57年)1月以来60歳になる1994年(平成6年)4月まで欠かさず保険料を納付してきたと想定して検討してみよう。  この場合、加入可能年数は33年(396月)であり、「保険料納付済期 間」は148月である。1999年(平成11年)価格で計算してみる。

  804,200円×148月÷396月≒300,600円である。これは年額である。加入したくても国籍条項に阻ま れて加入し得なかった248月を沖縄特例と同様に「みなし保険料免除期間」 とすれば約82カ月分が増額され約467,100円程度になる。明らかに日 本国籍を当然に取得するとされた沖縄在住者や中国在留邦人等への対応と比較 すると公平を欠いたものといえよう。注意して欲しいのはこのような外国人差 別を含んだ国民年金法の国籍条項を撤廃しながら、「合算対象期間」にしか組 み入れようとしない規定を設けたのが、最初の沖縄特例措置をとった後10年 以上経てから立法されたことである。「難民条約」第24条の「自国民待遇」 の原則に違反するのではないだろうか。

 

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日本政府の排外主義

  このような在日外国人への国際条約に抵触しそうな差別的取り扱いが生じて いる要因について検討してみよう。 

納税義務と国民年金

 1960年(昭和35年)10月の旧国民年金法の制定時には、当時日本国 籍を持つ高齢者には十分とは思えないが一定の配慮をしたが、外国人に関して は全く社会保険上の配慮をしなかったのである。とりわけ当時60万人を超え 在日外国人の多数を占める在日韓国人・朝鮮人の存在を全く無視したことは排 外主義的対応といえよう。これらの人々は1910年(明治43年)の「日韓 併合」以来、長期にわたって「大日本帝国臣民」であった人々が多く含まれて いる。また日本敗戦後も日本人と同様に納税義務を負ってきた人々である。国 民年金法制定時に当然配慮すべきであったと考える。

日韓基本条約での日本政府の対応

  その後も、このような外国人差別を是正する機会は1981年(昭和56 年)の「難民条約」批准を待たずしてもあった。日韓基本条約交渉の時であ る。  日韓基本条約締結交渉の過程で在日韓国人の法的地位に関して1964年 (昭和39年)の時点で生活保護や義務教育について日本人に準ずることにし た。これに対して韓国側は、社会保険関係に関して国民健康保険や国民年金へ の加入を要求した。

 このうち短期給付である国民健康保険を適用することは決 定されたが、長期給付であり社会保障の上で大きな意味を持つ国民年金に関し てはついに認められなかった。「不幸な期間があったことはまことに遺憾」 (1964年2月椎名外相声明)と思うならば、この日韓基本条約交渉の時に 解決するべきであった。しかし、全く考慮されず、韓国側の国民年金適用の要 求は、日本政府によって拒否されてしまった。「難民条約」批准にあたって第 24条を「留保」しようとした背景には、この日韓基本条約交渉が大きな影を 落としている。社会保険制度上で「不幸な期間」が現在に至るまで是正されて いない事態を生じさせてしまい、更にすべての外国人に「不幸な期間」を押し つける事態になった原点は、ここにあるといえよう。

金鉉鈞(キムヒョンジョ)さんの「年金裁判」

  また旧国民年金法の国籍条項に関して、1970年代の在日韓国人による 「年金裁判」も忘れてはなるまい。それは国民年金制度が実施されたとき、在 日韓国人の金鉉鈞(キムヒョンジョ)さんが、荒川区役所の国民年金勧奨員の すすめに従って国民年金に加入し、12年にわたって保険料を納付しながら、 受給権を得る65歳に達したときに裁定請求をしたときに、国籍条項を盾に 「受給資格なし」として年金支給を拒み「保険料過誤納付」として保険料の返 還で済ませようとした事件である。第1審の東京地裁では金さんの敗訴となっ たが、第2審の東京高裁の1983年(昭和58年)10月20日判決で金さ んの逆転勝訴となった。国側は控訴を断念して判決に服した。このような「誤 適用」は、全国で80件に上るという。(「国籍差別との闘い」凱風社198 4年、「在日外国人・新版」岩波新書1995年を参照)この判決確定時に は、国籍条項は撤廃されていたのであるが、依然として差別は残されていた。 このときにも差別是正の機会はあったといえよう。 

 一言付け加えるが、国民年金創設時に在日韓国人・朝鮮人への国民年金法の 「誤適用」をしてしまった自治体職員は、日本に居住して生活を営み納税の義 務も果たしているこれらの人々には、当然社会保険上の権利もあると思いこん でいたのであろう。健全でまともな感覚の持ち主だと考える。また自治体当局 も10年以上の期間にわたって、旧国民年金法では、被保険者になりえないこ とに気づかず保険料を受領し続けたのである。社会保険に関して外国人に、自 国民待遇を与えることが不自然でない例証になると考える。

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国民年金法を改正し、差別の是正を

  日本人に対しては、前述のように様々な配慮をしてきたのである。最近で は、前述したように1996年(平成8年)にも中国在留邦人等への「みなし 保険料免除期間」を設けているのである。遅れた対応になるが、これからでも 国民年金法を改正して、1961年(昭和36年)4月以降の日本在住期間を 日本人並に「みなし保険料免除期間」とすること及び保険料の追納を認めるこ と必要ではないだろうか。

  どのような政治的経緯があるにせよ「難民条約」を一応は留保せず批准した 事自体は一応評価しておこう。だが批准した「難民条約」から見て現在の在日 外国人への国民年金法上の取り扱いは十分とはいえない。非とも、このような 在日韓国人・朝鮮人を始めとする外国人への「自国民待遇」にもとる差別を是 正していただきたいものである。

 

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