シナリオ1:明智光秀 <浪人〜足利家国主プレイ>:2

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2001/6/29(金)

我等が上様は三好との決戦を急ぎすぎる。
松永と同じく我々足利家の宿敵ではあるが、松永と三好では体力が違いすぎる。
いきなり防御力100・守備兵15000の飯盛城を、訓練度不足の兵で攻めようというのは無茶な話だ。
訓練をしっかりと施し、敵城に調略も仕掛けねばならぬ。

1565年8月末南部家滅亡。大浦為信ら3人を足利家に勧誘する。
しかし、この勧誘に出たため9月の評定に遅れてしまう。むう。
いいのだ。長期的に見れば公方様のためになるのだから(T^T)。
でも流石に「馬」と「操船術秘伝書」を持っていても日本の端から5日では来れないのね。(7〜8日かかった)
覚えておこう。

1565年9月神保家滅亡。遺臣2名勧誘する。

1565年11月三好攻め開始。しかし流石に飯盛城の堅さに陥落はせず。公方本隊が崩れ撤退する。

同時期相良家滅亡。遺臣を足利家に勧誘する。丸目長恵と甲斐宗運は光秀配下とすることに成功する(^-^)。
これで直臣は正木時茂・山中鹿介・村上武吉・丸目長恵・甲斐宗運となる。
(軍師役は甲斐宗運かな?)
部将の身分ではもう他には召し抱えられない。9月の評定に遅れなければそろそろ家老だったのにな〜(><)。

1566年1月北畠家滅亡。しかしよく弱小大名が滅びる。当然遺臣を勧誘に行く。
正木時茂を公方様への直臣に推挙し、九鬼嘉隆を光秀配下とすることに成功する。
ちなみにこの年は目加田の町に仙石秀久が浪人として現れる。これも当然足利家家臣とする。



1566年9月、ようやっと家老に。足利幕府随一の配下となったわけである。(他に家老はいない)
愛妻はつたんも誉めてくれたぞ(^-^)。





ちなみに光秀の家老の装束はこんな感じである。渋いね。

それと同時の9月、2度目の飯盛城攻めでついに三好本拠を落とす。



さてここで覚えておくと嬉しいカードを一つご紹介。
「水攻め」「追撃」などもおいしいカードだが、上記の「焙烙」も是非欲しいカードだ。
要は焼夷弾を投げつける攻撃である。
これは「水軍Lv3」を持った状態でもう一度水軍師事を受け、好成績を収めれば手に入る。
足軽隊で「射撃」攻撃を選んだときだけ使うことが出来る。
通常の2倍の攻撃力というのもおいしいが、何と言っても一回の焙烙で城防御度が5〜6も減るのが使える。
「水攻め」と併用すればかなり城攻めが楽になるだろう。
城防御度が25を切れば、これの5連発でその合戦自体に勝利できる(!)
自家部将に水軍Lv3の武将がいれば、是非師事しよう。

長慶は高槻城へ逃げたけどね。でも堅い本拠を落としたから次からはもっと楽になるはず。

1567年6月山名家滅亡。現在実質上の支配力最大は毛利家だ。
今後ぶつかるのがちょっと恐い気がする。まぁとにかく山名の遺臣は勧誘しておく。

1567年9月三好長慶を伊丹城に追いつめ敗死させる。後を継いだのは政康。
七条兼中・安宅信康を光秀配下にし、残りの長慶直臣は足利家に勧誘する。

1567年12月ついに名門今川家が滅びる。武田と徳川に分け取りされた形だ。
遺臣を勧誘に向かう。


1568年初、驚くべきことを忍者が告げてくる。

 

……オイオイ誰だよその足利義昭っつーのは! 偽公方かよ(笑)。
まだ義輝たんが征夷大将軍だっつーの(^^;!

……ったく、そんな偽公方の命令で武田がこっちに向かってくるのかぁ? はた迷惑な。
ま、三方ヶ原イベントで信玄は死んじゃうんだけどね。

1568年2月蘆名家、3月小田家、4月三村家滅亡。どんどん滅びるなぁ。遺臣を勧誘に向かう。
加賀では一向一揆が沈静化されたので、その遺臣も勧誘する。下間仲孝・富田重政を光秀配下とする。

1568年8月赤松家滅亡。展開が早いような気がする(笑)。
ここに至って黒田官兵衛を光秀直臣にすることに成功する。超一流の男である。



1568年9月、岸和田城に三好政康を廃止させ、ついに三好家が滅ぶ。
山城・河内・阿波・讃岐と大和・摂津の一部がこれで足利家の直轄領となったわけである。
応仁の乱以来の最大版図だろう。このまま更に勢力拡大を目指して上様を支えるのみ!
西からは新興の毛利の足音がひたひたと聞こえてきているが……



1568年11月、三好攻めの功により、高槻城城主に任命される。
う〜ん、ついに一国一城の主(^-^)。



城主となって最初の命令は「本願寺攻略」である。上様は本格的に畿内の完全制圧をもくろんでいるらしい。
しかし石山本願寺は難攻不落の要塞。一朝一夕に攻略できる拠点ではない。

んで高槻城に行ってみるとみると、忍者が待っていて曰く、


は、早! もう切り取り次第ですかい(^^;! まぁ信頼してくれるのは嬉しいんだけどね(笑)。
んだばキリキリ頑張りますかい。

1568年11月六角家と畠山家が滅亡。

1569年3月、なんと織田家が二条城に攻め込んできた。本願寺攻めどころではないのでは……
しかし主命は主命。速やかに本願寺を殲滅し、織田を叩きつぶさねばなるまい。
そんな離れ業できるのであろうか?
(やらねば殺られるだけ。)

防御戦の基本は、必ず自分以外にある程度合戦に強い武将を4人待機させておくことである。
(居城の「訓練」をさせるのはOK)
全員に主命を与えて出払わせてしまうと、いざ攻め込まれたとき最弱の備大将を使わざろう得なくなる。
それだけは避けたい。

すぐに合戦には出られない。
・軍資金の調達
・兵の募集、訓練
・部下の「足軽」「軍学」「弓術」の訓練
・光秀の修業(官兵衛を師に、陣形・「水攻め」の会得)
などを行わねばならないのだ。
織田家からの攻撃を凌ぎながら、上記の為すべきことをこなし、本願寺を攻略しなければならない。

1569年8月、遂に石山本願寺攻め。
明智光秀・九鬼嘉隆・大浦為信・山中鹿介・正木時茂の計15000騎。公方様にも援軍を依頼している。
相手は防御力100の巨城に籠もる17000騎だ。苦しい攻城戦である。
頼りは官兵衛に伝授してもらった「水攻め」と得意技の「焙烙」である。
単純に計算すれば(「看破」されなければ)光秀が10回戦闘に出れば落とすことが出来る。



流石に本願寺の本拠は強い(><)。為信隊が集中攻撃で撤退させられる。しかし「水攻め」はかなり強力だ。
4000の光秀隊で粘り、防御力が20を切ったら「焙烙」の連発で無理矢理城を落としてしまう。
これで如何に本願寺兵が強くとも関係無しに勝つことができる。

首領の顕如は切腹させてしまったが、下間頼廉など強力な指揮官が降伏する。
早速第一線で働いてもらうこととする。
本拠も石山本願寺に移し、雑賀城攻略に取りかかる。

1569年10月、雑賀城攻め。
守将は3人と少ないが、鈴木佐太夫・鈴木重秀・岡吉正と強者揃い。石山攻めに負けず劣らずの激戦が予想される。
光秀・為信・鹿介・頼廉・嘉隆の精鋭5人衆にて攻めかかる。

開始早々、光秀が吉正の「狙撃」で怪我を負わされる(><)。痛いの〜。
(病気の時と同じく、全ての能力値が半分・技能が1レベルダウン)
おまけに重秀には「釣瓶撃ち」で一気に兵を800人くらい削がれるし……化けもんか……(@o@)。

ひーひー言いながらも、おなじみ「水攻め」と「焙烙」で何とか城を落とす。
4000の兵が1100くらいまで落とされた。恐ろしや……

この鈴木三人衆が配下になってくれたのは嬉しい。
親父の佐太夫は勲功も高い上に高能力だし、息子の重秀に至っては化け物のような鬼神ぶりである。

 


2001/6/30(土)

本願寺と鈴木を倒し、ちょっとプレイヤーにも自信が出てきた。
次はいよいよ織田家との激突だろうか。
織田家は尾張・美濃・伊勢志摩・南近江を完全支配する国力・人材共に豊かな勢力である。



またしても激戦必至である。西には毛利が控えているし。



まずは西方の憂いを無くすために、独断で吉田郡山城の毛利元就を訪問し同盟を結ぶ。
実際のことを考えると変な話だが。(まぁ秀吉も毛利と結んでいるからいいのか。)
織田と徳川が結んでいる以上、これくらいのことは必須である。
こうなれば東に武田勝頼も控えている織田も結構苦しかろう。



石山に戻ると、こんな知らせが。血迷ったか興福寺勢力。たかが大和郡山城一城の小勢力が。
(このゲームは周りを全て同盟国が囲んじゃうと、COMはどうしようも無くなってこうなるんだけどね(^^;)。
一気に揉み潰して対織田戦の血祭りに上げてくれる。

その間にも信長本隊が上様の二条城を脅かす。神をも恐れぬ不届き者が!
光秀隊でインターセプトするが、信長・半兵衛・小六・利家・藤吉郎の豪華メンバーである。キツい(><)!



陣形まで見事に崩されてしまう。ひ〜。
で、でも何とか信長を集中攻撃で下すことに成功する。鈴木佐太夫と下間頼廉の手柄である。
流石史実でも信長を苦しめた武将(^^)。

こういう時に役に立つのが「追撃」と「五月雨撃ち」。
「追撃」は「足軽Lv3」を持ったまま、更に足軽訓練で好成績を収めると、
「五月雨撃ち」は「弓術Lv3」を持ったまま、更に弓術訓練で好成績を収めると会得することが出来る。
共に高レベルの技だけあって、非常に野戦で役に立つ。

 

「追撃」はカードバトルに負けても、お返しで反撃できるから徐々に相手も削ることが出来るし、
「五月雨撃ち」は安い足軽隊で、反撃や天候を気にせず3連攻撃が出来る、非常に攻撃力の強いカードだ。
「五月雨撃ち」は弓ミニゲームのコツが掴めなければ入手が非常に苦しいとは思うが、
失敗しても徐々に弓術経験値は上がっていく。
その苦労に見合うだけの価値はあるので、武力を上げて是非手に入れて欲しい。


ここで息抜きにミニ萌えイベント。

 

価値5以上の南蛮物などを持って奥さんと話すと、その品物を取り落として奥さんにみつかるイベントがあります。
ここで「仕事のために買った」か「お前のために〜」を選べますが、前者なら残念そうに返してくれ、
後者ならとても感動して受け取ります。

大事な価値7の南蛮物などのときこれが起こると面倒なので、このイベントが1度しか起きないのを見越して、
ワザと価値5の品しか持っていないときにこれを起こしてしまいましょう。
まぁ価値7のときに起こったら「仕事のため〜」と突っぱねるのも手ではありますが、
寂しそうなはつたんの顔を見るのは辛いし……何か後々有利になることがあるかも知れませんしね(^^;。
まぁいつも留守がちで苦労もかけてるし。


1570年初、上様に拝謁するが、方針は「領土守備」らしい。
いかんいかんそんなことでは。上様は幕府の再建を願われているはず。
たかが畿内の多くを占めたくらいでは、尊氏公以来の威光は全国には響き渡りませんぞ。
ここは断固としてこの光秀、上様のために足利領(光秀領になるんだけどね……)を切り取り、
信長だの興福寺だの不遜の輩に、上様に成り代わって将軍家の威光を知らしめてやりましょうぞ!

1570年には姫路に母里太兵衛が出る。配下にしておこう。

1570年4月興福寺攻め。筒井家を滅ぼし、当主順慶・島勝猛を配下にする。



島勝猛はグラフィックもなかなか格好良く、能力も主人公を十分に張れる優秀な人材ですよ。
是非畿内統一の際には配下にしておきましょう。


1570年5月遂に織田家にこちらから攻めかかる。
信長が東海道を進んでくるのに対し、伊賀越えで安濃津城を攻撃することにする。
こちら側には強兵を配置していないからだ。

織田家の援軍が駆けつけるなど苦しい要素はあったが、各個撃破により(藤吉郎あたりが弱い)陣形を崩して、
信長本隊を撃破することにより損耗を抑える。


1570年6月、武田勝頼を訪問し同盟を結ぶ。織田を挟み撃ちにするのは常套手段である。



1570年の7月〜8月で伊勢志摩・尾張を一気に制圧し、墨俣まで進出して岐阜城を望む。
信長本拠だけあって、ここは簡単には落ちないだろう。



11月まで、配下武将の「忍術」を鍛え、破壊(城)で出来るだけ岐阜城の防御力を下げておく。
「忍術Lv3」を持っていて、侍大将以上の身分の者を用意するのに苦労した。

さぁ美濃を侵略するぞ、と思った矢先龍造寺家が滅びる。島津は強いのぉ。
早速勧誘に向かう。武力の高い奴(龍造寺四天王:江里口信常・成松信勝・木下昌直・百武賢兼)と
鍋島直茂を配下にでき嬉しい。
しかし円城寺信胤も龍造寺四天王と説明に書いてあるのは何故なんだろう……諸説あるということだろうか?
(能力は円城寺がダントツで低いけど)
※でも信常・信勝・賢兼・信胤を集めると、龍造寺隆信カードが手に入るな。
 木下昌直がエセ四天王なのか(^^;?

1571年、元服した津の向井正綱と今浜の長束正家を配下にする。

この1月、大友家までが滅亡する。ここに島津の九州統一が成ったわけだ。
しかし当然道雪・紹雲など大友の有能な家臣群はいただいていく(^^)。


1571年4月、防御度を75まで減らした岐阜城に攻めかかる。



守備兵は5000人強。これは信長本拠地といってもさほど苦労し無さそうだ。
こちらの小牧城を執拗に狙って繰り出した岐阜城の兵を2度ほど夜戦で撃退したので、守備兵が減っていたのだ。


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