シナリオ1:明智光秀 <浪人〜足利家国主プレイ>:3 (2001/7/2)

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2001/7/1(日)

岐阜城が落ちてしまえば大分楽になる。山間の小城ばかりの信長を追っていけばいい。

1571年5月、朝倉家滅亡。従兄弟の秀満は上杉に下ってしまったようだ……約束はどうしたのだ?
しょうがないので他の遺臣は勧誘する。

1571年10月、徳川家滅亡。武田勝頼もなかなかに強い。
あわよくば家康を配下に出来るよう親密度を上げている途中だったのだが、間に合わなかったようだ。
優秀な遺臣らを配下にすべく岡崎に向かう。徳川四天王に服部半蔵・本多正信など、抱えるべき人材は多い。


もう一人配下にしたい大名がいる。浅井長政である。
彼も北陸から上杉に圧迫されており滅亡寸前である。これを何とか先に親密度を上げ、配下にすることに成功する。
戦闘能力に優れた、優秀な人材である。

 


1572初、忍者が嫌な知らせをもたらしてくれる。



なんと……幕府を敬うこと一番と思っていた関東管領・軍神上杉謙信が征夷大将軍に対して謀反を起こすなど……
下克上ここに極まれりといった感である。
(しかし北条もまだ健在なのに。そんなに上洛イベントって重要なのかね(笑)。
 史実と異なり、足利幕府健在なのにこのイベントは勘弁して欲しい。)
しかし向こうがその気である以上、越後の龍相手といってもこの明智光秀、上様の為には引くわけには行かない!
足利義輝公こそが、衰え不安定になっている民草の政情に再び平安をもたらして下さる方なのだ!

1572年は石山に本願寺教如(本願寺が滅亡していれば)、堺に小西行長、姫路に別所長治、府内に大友義統
(大友家が滅亡していれば)が元服する。
特に教如は優秀な人材なので、可能であれば配下にしたいところだ。

また、この頃「新武将(あたらし・たけまさ)」を足利家直臣にする。
能力値オール80の優秀な武将で、早速寄騎に付けていただく。

 


そして1572年2月、織田家との最終決戦。

防御力75の観音寺城に籠もった信長軍18000騎(信長・勝家・半兵衛・一益・一鉄)に対し、
こちらは光秀・嘉隆・佐太夫・道雪・鹿介の計16000騎。大変な激戦が予想される。
佐太夫は大筒隊、道雪には騎馬隊をそれぞれ3000騎率いさせ、光秀はおなじみ「水攻め」と「焙烙」である。

信長軍の猛烈な攻撃に道雪の騎馬隊が撤退させられる。
しかし残防御度は26、何とかなるか?



防御度が10を切った時点で、残った秘策2つを両方「焙烙」に注ぎ込む!
兵力ではかなり負けていたが、何とか壊走する前に観音寺城を落とすことが出来たのである。



めでたく信長たんも光秀の配下となり、足利家に屈服。めでたしめでたし(笑)。(←いいのか?)


同盟している武田と領地が混在しているが、中部〜畿内をこれで抑えたことになる。
尊氏〜義満公の治世くらいには天領が回復したかな?




1572年3月頃から、武田が足利家をスキップして毛利を攻め始める(ブ!)。やるねぇ(^^;。
同時期宇都宮家が滅亡。遺臣を勧誘に向かう。

1572年5〜8月、武田・毛利戦の隙を突いて波多野領・山名領を足利幕府に屈服させるべく攻める。
上杉がまだ幕府健在で上洛を戸惑っている(らしい。関係が友好だし(笑))うちに支配力を広げておく。

1572年9月、土佐進出。毛利が伊予から勢力を伸ばさないうちに抑えておく。
一条家はともかく流石に一領具足の土佐長宗我部は剽悍で手強いが、「水攻め」「焙烙」で何とか追い込んでいく。


しかし相手がことごとく「水攻め」を看破し、岡豊城防御度14を残し秘策が尽きる。う〜む、やるのぉ……
まぁこの時点で8000対2000、真っ向勝負で勝猛に砲撃を加えさせながら勝家・道雪・忠勝に強襲をかけさせる。
流石に元親は粘り強かったが、何とか城防御度を0にする。
目論見通り長宗我部元親も配下となる。




1573年は、岡崎に徳川信康(徳川家が滅亡していれば)、清洲に平野長康、
岐阜に蜂須賀家政(小六が配下にいても自動的には配下にならないようです)、目加田に大谷吉継が元服します。
信康と吉継は配下にしたいところ。


1573年2月にミニイベント。

 

 



冬の寒い日に妻が手を暖めてくれて、そこから戦乱の日々、自分の死ぬ日を思う主人公とそれを慰める妻のイベントです。
日にちから逆算すると、恐らく結婚10年目の冬に起こるイベントだと思います。


1573年初からは砥石山城を橋頭堡として宇喜多攻め。
しかし宇喜多直家は奪われた砥石山城を取り返しに果敢に複数回攻撃を仕掛けてくる。流石は稀代の謀将。
だがこちらも簡単に落ちてやるわけにもいかないので、大筒隊4000人で「釣瓶撃ち」を直家隊に集中してやる(笑)。
こんな時でもないと守備側専用カードの「釣瓶撃ち」は使えないもんね。



大筒隊4000人で「釣瓶撃ち」を使うと、1回で3743人の直家隊が1949人まで減った。我ながら恐ろしい……

「釣瓶撃ち」の破壊力に酔っているのもつかの間、何と上杉軍が今浜城に迫っているとのこと。
うぬれ〜、てめぇ宇喜多と示し合わせやがったなぁ!? (ってこの場合、やっぱ直家が謀ったんだよね(笑))
急いで今浜に急行する。
切り札は光秀の4000騎の騎馬鉄砲隊。しかし、相手は軍神謙信。どこまでやれるか……

とにかく「車懸の陣」が強力なので、謙信以外の一部隊を破って、陣形を使わなくさせるのが常套。
……っておっと敵に秀満がいるぞ。お前〜(><)!!



恐るべき謙信隊には、忠勝隊の2000騎が一気に半分以下にされてしまう。
触れるのも恐いので、「三段撃ち」の5連発で出来るだけ減らすことにする。



ってなわけで何とか謙信を撃退。やっぱ4000騎での「三段撃ち」5連射はむちゃくちゃ強かった。
しかし上杉め、本気で幕府に刃向かうつもりだな!?


1572年6月、ようやく宇喜多討伐完了。なぜなら直家との親密度を上げていたからである。



何とか中国の謀将Get。
これで西国は毛利・島津以外は征伐したことになる。


この2国は後回しにし、戦国最強との噂も名高い北方の上杉軍との戦いに集中することにする。


北陸路はほぼ一本道である。ここを2ヶ月に一度(評定の関係)来る謙信軍を跳ね返しながらの北上となる。
COMの「1城主につき2ヶ月に一度しか動かない」というハンデを利用すれば、押される以上に押し返すことは可能だ。
じわじわと本拠も前線へと進めていく。

しかしあれほど野戦での強さを誇る上杉軍だが、防御に回るとたちどころに脆い。
なぜかと言うと、軒並み北陸路の城に兵糧が無いのである。
これは何故だろう……

もしこの辺りの内政ルーチンを適当に作っているのだとすれば、どんだお粗末……おっとっと、軟弱なシステムとしか言えまい。
とにもかくにも、我等が明智軍、上杉家の守城を玉子の殻を叩きつぶすように前進していきます。

だが、一重に楽勝というわけではない。
なぜなら春日山城に近づくにつれ、謙信軍の援軍が素早く到着するようになるからである(><)。
城攻めで消耗しているところに謙信軍の攻撃はかなり痛い。


それでも何とか「車懸の陣」を会得。



この特殊カードの入手方法は、分かっている限りでは3つ。

1:「車懸の陣」を使った相手を倒す。(今回はこれ)
2:「車懸の陣」を使った味方がいる軍に所属して勝利する。(島勝猛のときこれ)
3:「車懸の陣」を持っている武将(謙信・景勝・兼続)に「軍学Lv3」の状態で軍学師事をする。

ちなみに「車懸」に対抗できる「雁行」「鋒矢」などを選ぶと、何故かズルっこして
謙信は「車懸」を使ってくれませんので、ワザと不利な「偃月」あたりを1回選んで
「車懸」を出してくれるのを誘いましょう。(ひどいや謙信たん(><))

そんなこんな戦っていると、称号「軍神」まで獲得したりします。わーい謙信たんと同じだ(^^)。




そろそろ勲功が3000を越える直臣たちも出てきました。
しかし自分が国持ち家老(城主・国主)では直臣はどうやっても部将以上になることは出来ないようです。
(自分と同格の部下は持てないと言うことですね)
しかし忠臣プレイを貫くつもりの人には抜け穴があります。

それは勲功3000で家老に上げたい直臣は、「自分の主君(大名)に推挙してしまう」ことです。
そしてその上で「寄騎」に貰います。
そうすればその武将は自分ではなく大名の直臣ですので、位は家老まで上がって、自分の配下として使えるようになります。
兵を3000持てるのと4000持てるのは大分戦力が違いますので、ある意味オススメの手段です。
特に現在戦っている上杉軍のような強敵と戦うときは、大分楽になるでしょう。
ただ、寄騎を持てる数には当然限度(国主なら8人)があるので、コレといった武将を選んで寄騎家老にしましょう。

ただ、謀叛を起こすつもりの人は止めたほうが良いでしょう。
結局は寄騎なので、謀叛を起こした瞬間自分の元を立ち去ってしまうかも知れません。
(大名と謀叛人との相性によるらしい)
謀叛はしたことが無いのでどうなるのかは分かりませんが……


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