フジトミ詩とヤスオ絵の怪しい関係 2 関 富士子
初出「銀河詩手帖」167号1997年を改稿
噴火直前の不満缶 藤富保男
毛髪もぬけ
もやもやの
申し立てが
もくもくと
文句の形に
もりあがり
餅のように膨らむ
もだえる孤独の鼻 (「銀河詩手帖」165号1996年)
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<孤独のポエジー>
かくも孤独を愛する詩人は、ときに孤独を求めるあまりもだえ苦しむらしい。
詩「噴火直前の不満缶」は、行頭がすべて「も」で始まり、行ごとの字数を揃えている。この形式は中国に長い歴史がある頭韻定型詩である。
などというともっともらしいが、フジトミ詩はそんな堅苦しいものではない。
読者は、短い詩に十一個も使われた「mo」という音によって、何ともいえない「不満」の「もやもや」が、四角い形式の「不満缶」の中に、また「孤独な鼻」の中に、煙草のきな臭い煙のように「もくもく」と「充満」するのを感じればよいのだ。
合奏 藤富保男
湖のさざ波のひびき
春の野から
湖にすべる風のささやき
一人だけ音を出していない人がいる
吹く真似だけをしている
その聞こえない音が
ぼくには
よくしみ込むのだ
水のなかの
水の呼吸に
(「蘭」41号1997年)
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こんな気の毒な詩人のポエジーのありかを教えてくれるのが、詩「合奏」である。
「湖のさざ波」「風のささやき」のようなよく揃った合奏。同じ表情、同じ指の動き。
でも、誰か「音を出していない」人、「吹く真似だけをしている」人がいる。彼はあまりの下手さに、先生に言われたのだろうか。あなたは吹かなくていいから真似だけしていなさい。いやいや、彼は皆と同じ音を出すのが嫌で、わざとそうしているのだ。
しかし、彼は心の中で歌っている。「聞こえない音」である。詩人にはその音楽が聞こえるのだ。
他の音とは全く違った不協和音が、詩という湖の水の波長に合い、彼の胸にしみ、ポエジーとなって響くのである。
かくれんぼ 藤富保男
盲目の信頼が木にとまっている
世界はひろがってしまって
吹きだまりに
しぼんだ風船
どこかで
かすかな笑い声二つ
(「銀河詩手帖」149号1996年)
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詩「かくれんぼ」にも、詩人の繊細な心が感じられて好もしい。
かくれんぼで鬼になった少女が、木に寄り添って目をつぶっている。彼女を取り囲むのは茫漠とした世界。吹きだまりの「しぼんだ風船」が孤独な心のようだ。遠くから、友達二人の楽しげな笑い声が聞こえる。
絵では、少女はいつのまにか木と一体になってしまった。彼女の「盲目の信頼」がそうさせたのか。木に変身した彼女はもう寂しくないだろうか。
詩人藤富保男の紹介
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