フジトミ詩とヤスオ絵の怪しい関係 5 関 富士子
初出「銀河詩手帖」167号1997年を改稿
罪と罰 藤富保男
何のはずみか
夜中に目覚し時計がなり出した
すぐ叩いてベルをとめた
まではよかった
あけ方
砂か砂利か小さい石が
枕もとでとび散って
踊っている夢で
また目がさめた
石のかけらと思ったのは
時計の数字たちであった
長い針といえば
時間をこえてねじれてしまっている
多忙を
時間のせいにした罰であった (「Bo'r」5号1996年)
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<夢の厄祓い>
さて、「あなた」の影を振り払うようにして、詩「罪と罰」にいくことにする。
この詩を読むと、詩人もまた私たちと同様、日夜世の中の約束事に振り回され、時間に追われる現代人であることがわかる。
ここには「多忙を/時間のせいに」して、時計の数字たちに責め苛まれる人がいる。
数字で人の顔が描かれ、針が午前七時の「7」の字とともにひん曲がっている。
疲れの残った苦い目覚めの表情であるが、細いラインが軽くて楽しめる。
昨日の夢 藤富保男
体が丸くなって
こわれたラクダではなく
小さくなって
カタツムリではなく
遠慮がちになって
といって水鳥ではなく
それでは
とばかりにカメレオンになって
舌を出したが
わが身よにふる
ながめせしまに
またづつきがみたいので
もぐる (「蘭」39号1995年)
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詩「昨日の夢」のような夢もある。
ラクダでなく、カタツムリではなく、水鳥ではなく、と次々に変身していく。
小野小町の歌などをつぶやいて人生を慨嘆したあげく、また夢の世界。
そこに生まれるのは、いろいろな動物が合体した、怪しげな動物である。
この作品はお絵描き歌の趣向をとっている。
「 まるかいてちょん……あっというまにたこにゅうどう」のあれである。
詩を声に出して読みながら絵をなぞってみよう。
あっという間に奇怪なキマイラのできあがり。
海水浴 藤富保男
両手をひろげて
波の壁を押えようとしても
この水枕は大きすぎる
(「蘭」38号1994年)
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詩「海水浴」もまた、そんな人々の悪夢ではないか。巨大な「波の壁」に翻弄される人がいる。必死に泳いで、息もできないほど苦しんで、ふと目覚めると、へとへとになって「水枕」につかまっていた、という経験はないだろうか。一文、三行だけのシンプルな構成が、絵の三つの波と響き合っているのに気づくだろう。
朝 藤富保男
起きると
すべての戸をひらき
すぐ逆立ちをして
カラスを真似て
一声二声わめき
人生を呪うなり
(「Bo'r」1号1994年)
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こんな私たちの朝は、詩「朝」のように呪いに満ちている。
しかし、「逆立ちをして」「人生を呪う」ような厄祓いでは、カラスも驚くというものだ。
詩人藤富保男の紹介
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