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いたちの鎌
大きな背負い籠が山道を登っていく。早足で南の斜 面に回ろうとしている。ちびだからおれよりずいぶん 身が軽い。女の子のくせに口笛なんか吹いて上機嫌だ。 腰の鎌が光に反射して、ときどきちかりとする。牧草 刈りがそんなに楽しいか。どうせ栃の木のくぼみで昼 寝に決まっている。あそこにうずくまると、風が急に やんで、辺りはしんとして、雲の切れはしがすごい速 さで飛んでいくのだけが見える。厚い枯れ草がいい気 持ちだ。少し冷えて目が覚めて、とび起きるとあわて てそこらの草を刈って、籠に詰めこんで帰るのだ。 栃の木の陰から覗くともう眠っている。きつい下履 きまで脱いで、細い裸の膝をくぼみの外に投げ出して いる。頭はきゅうくつに曲がっている。笑いそうなの を我慢して、おいと声を掛けようとしたとき、向こう の空中をすごい勢いで飛んでくるものがある。草の葉 を巻きこんで回転している。ぎらぎら光ってよく見え ない。たちまちくぼみの上に来て、細い鋭い、いたち の目のようなものが見えた瞬間、錐もみになってくぼ みの中へ落ちた。膝が震えて、光のような鎌が股を切 り裂いた。ぱっくり割れて赤い肉が現れた。ああ、死 んでしまうと思うが、血は少しも流れない。何も知ら ずにちょっと笑って、いつまでも眠っているだけだ。 いたちはもうどこにも見えない。
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ミイラ取り
失踪して二週間後に、ようやく住いを訪ねてみた。 そこは山林が残る郊外で、葉が落ちたすかすかの雑木 林を風が吹いている。休日には辺りの林を一日歩くの が趣味で、その日もふらりと出かけたまま帰らないと いう。会社の書類や手紙や手帳を見せられ、弟の妻の 混乱した指先が、むやみにそれらをめくったが、何か 事件のようなものを想像するにはありきたりだ。 古い机の脚もとにいくつかの菓子箱が積んである。 妙に軽くかさかさと音がして、中はたくさんのセミや その脱け殻だ。胸にオレンジの共鳴板をつけた大きな クマゼミもある。下の箱はシオカラがほとんどだがヤ ンマのたぐいもいく匹か。カナブンやカミキリ、テン トウムシ。どれも乾いて複眼も色あせ、傷んだり欠け たりしている。展翅するわけでもなく無造作に投げ入 れてあるのだ。 昔わたしと弟は、よく家の裏山に出かけたものだ。 たくさんの虫を獲っては死なせたが、すぐにどこから か涌くように生まれてきた。しかし秋には、枯れ葉に しがみついたままのミツバチや、腹をからっぽにした バッタを見るようになる。わたしたちはそれらをミイ ラと呼んだ。すぐに乾いて風に散らばるものたちだ。 わたしたちは生きて飛んでゆく虫に心を奪われて、そ んなものには目もくれなかったが、今、弟のおびただ しいコレクションは、すべてミイラである。
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