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鵜を呑む
烏は、草むらのまだ新しい犬の糞から木の実をほじ くった。沢胡桃の木に陣取って、ふとった黒い毛虫を つまんだ。喉にちくちくするのを呑みこむたびに思い あぐねた。 −−鵜の声で鳴くのは易しい。しかし、その言葉は…。 鵜どもは川のよどみでせわしげに頭から水に潜って いる。逆さの尻の穴とくちばしのわきから、大量の泡 を立ち昇らせる。鮎を呑むたびに、鵜の口から深遠な る言葉が吐かれた。その喉ごしはどんなに冷たく香ば しいか。 満腹になると鵜どもは向こう岸の木に鈴なりで眠る。 烏は川辺に下りて、鵜の目を真似して水中をのぞき、 そっと頭を潜らせてみた。そのとき一羽の鵜が近づき、 長い首を伸ばしてささやいた。 −−呑みこめ、そして、けっして吐くな。 烏はその言葉を鵜呑みにして次々と呑みこんだ。意 味もなく、ウ音だけの泡を腹いっぱいに。その悪食は 止むことがなかった。
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尻餅
学校がえりの停留所にその男は立っていた。若い男 だったが、顔を覚えていない。わたしを呼び止めてバ スはいつ来るかと聞いた。背伸びして時刻表をながめ たが、虫の死がいのようなものがついているだけだっ た。男は背後のせまい待合所へわたしを手まねいた。 中は急に暗くて、わたしたちはベンチに座った。目の 前に大きな明るい四角の空間がひらけた。わたしは両 手に、学校で配られた紅白の餅をにぎっていた。すこ し思案して、紅のほうを男に差し出した。男は、餅を 見つめて、 −−まんこ。 とつぶやいた。餅をほうって駆けだそうとすると、わ たしのお尻の両たぶを、大きなてのひらががっちりと つかんだ。必死で手足を動かしたが、目の前の明るい 空間はいっこうに近づかなかった。 −−おかあちゃーん。 そのとき奇跡のようにお尻からてのひらがはがれ、 わたしは大きな四角の側に飛び出した。乱反射の光が わたしをつついて泣かせた。 男は今ではすっかり年老いた。わたしのお尻の両た ぶに、てのひらの跡をつけたまま、待合所の暗がりで、 いつまでも紅白の餅を手探っている。バスはついにや って来ない。
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