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ぼくは戻ってきた。扉をたたき正面に立ってのぞき穴を、 |
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見つめた。鍵をあけて中に入るとカーテンは、 |
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いっぱいに開いて日光が部屋の隅々を照らしていた。庭の、 |
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ひいらぎの葉のとがった影だけが白い壁に揺れていた。ぼくは、 |
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机の上に自分あての手紙を見つけた。あいつの筆跡で、 |
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封がされ切手も貼られていた。 |
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お帰りなさいあなた、あなたが帰ったときこの部屋に、 |
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ひいらぎの影だけが揺れているのを見るでしょう。 |
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あなたは手紙を読んでから荒れた庭のこでまりの茂みに、 |
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新しい芽がたくさんついているのを眺めます。裏へ回り、 |
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北側のトウヒの下の土がくろぐろとしていつまでも、 |
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乾かないのに気づくでしょう。いぶかしんで地面を撫で、 |
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そこが掘り返されたのではないかと調べます。 |
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あなたは悔しさに震えながら家を飛び出して行くでしょう。 |
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そこはぼくが夜じゅうかかって掘ったところだ。あいつは、 |
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土を引っ掻いて手伝った。底から縁にスコップが、 |
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届かなくなったので掘るのをやめあいつの肩に足をかけて、 |
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外に出て丁寧に穴を埋めたのだ。しっかり踏み固め、 |
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はい上がれないようにした、二度とぼくを待たないように。 |
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それから鍵をかけて出て行った、二度と戻らないつもりで。 |
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それなのにあいつの手紙が机の上にある。こんなことが、 |
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もう百ぺんも繰り返された。なぜ知らないままに、 |
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しておいてはくれないのか。 |
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お帰りなさいあなた、あなたはこの手紙を読み終え目を上げて、 |
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ピラカンサスの実から鳥が飛び立つのを見るでしょう。でも、 |
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あなたはすぐに出て行ってしまう、激しい怒りにかられて。 |
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街をさまよいながら誰彼となく哀願するでしょう、 |
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ぼくと一緒にいてくれと。何人かはその奇妙な、 |
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恐怖の表情にひかれてあなたの手を取るかもしれません。 |
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その一人は手の指全部にリングをつけてあなたを、 |
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守るために武装した女です。たてがみのような髪を揺すって、 |
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身をかがめ筋張った手であなたの涙をぬぐい、 |
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口に食べ物を押し込んでくれるでしょう。あるいは、 |
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丸い頬の少年が憐れみぶかく添い寝をしてくれます。 |
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彼はとても小さくつつましやかであなたを脅かしません。 |
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ぼくはあいつの企みを尋ねた。いかにも同情するそぶりだが、 |
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やつらが回し者であることは確かだ。たとえ新しい家族という、 |
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信仰を説く者たちであっても。あいつと、 |
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関わりがあるかぎりぼくはやつらを愛することはできない。 |
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お帰りなさいあなた、あなたは疲れきって、 |
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ぎしぎしとソファに横になります。輝きと闇を繰り返す、 |
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苦しい夢の最後にくっきりとしたある情景を見るでしょう。 |
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この庭から始まってどこまでも続くゆるやかな海岸。 |
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波打ち際で晒された枝を拾いながら、私たちは歩いて行きます。 |
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この幸福を永遠のものと信じて。 |
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海岸に流れこむ小さな川にかれいが泳いでいてひらひらと、 |
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上下にからだを揺らします。編み目のような光が伸び縮む中を、 |
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すぐ前を泳いでゆく、あなたはそれを追いかけます。 |
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浅い水の中をいっそう平たくなって泳ぐかれい。 |
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あなたのよろこびの声があたりに満ちて。 |
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ぼくはその夢を幾度も見た。声も光も水の温かさも、 |
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よく知っている。ではあれは本当にあったことなのか。 |
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ぼくとあいつはほんとうにあのよろこびを、 |
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二人で味わったのか。今ぼくたちは、 |
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ただ一つのことしかしない。手紙を書くこととそれを読むこと。 |
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すべては仕組まれてこの手紙の中にあるのだ。 |
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お帰りなさいあなた、あなたはまたもや、 |
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帰ってくるでしょう、この手紙を読むために。 |
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すべてを解き明かすなにごとかが書かれていやしないかと。 |
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でもあなたはこの部屋の静けさに耐えきれずに、 |
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出て行ってしまう。街のあらゆる電話ボックスの、 |
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受話器を取ってでたらめの番号を回す。一度も鳴らないうちに、 |
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切ってしまうでしょう。でもそのうち切るより先に、 |
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受話器を取る者がいます。男ならあなたの、 |
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父、兄、弟のいずれかでしょう。だれにしても、 |
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彼はあなたに多少なりとも似ているはずです。疑い深いくせにすぐ人を信じて |
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しまう。左足からしか踏み出せない。ふらふらと道の真ん中を歩く。店のテー |
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ブルに座ってもだれも注文を取りに来ない。 |
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もしもしお父さん、あなたのことを何も思い出せない。 |
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あいつの言うことが本当なら、あなたはぼくより年下のはずだ。 |
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ぼくの弟だ、その前に兄や父だったことのある人だ。 |
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そして今はぼくがあなたの兄だ。あなたは電話でうまく話せない。匂いをかい |
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でから食べ物を口に入れる。よくいろんな物を拾う。小さな手製の縫いぐるみ |
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や、自転車の鍵や、縁のめくれ上がった連絡ノートや、真新しい名刺の束や。 |
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お帰りなさいあなた。あなたは手紙の中に一枚の写真が、 |
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同封されているのに気づくでしょう。一人の男が立っている。 |
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若いようにもひどく年を取っているようにも見えます。彼は、 |
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呆然としてこちらを見ている。その額に、 |
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ひいらぎの葉のぎざぎざの影が映っています。そして、 |
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その目の中にカメラを構えた私が映っている、よく見て。 |
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私はファインダーから彼を見ています。そのとき、 |
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その背後にたくさんの彼が続いて立っていたのですが、 |
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写真ではいちばん手前の彼しか見えません。あなたは、 |
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背後の彼を見ようとして思わず写真を裏返す。 |
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そのとき写真の真っ白な裏側に回ったあなたは、 |
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彼の列のいちばん最後につくことになるでしょう。 |
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そこからはすべてが見渡せます。死後に現世を見るように、 |
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生まれる前に未来の夢を見るように。 |
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ぼくは自分の列のいちばん最後につこう。そこからは、 |
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すべてが見わたせるかもしれない。 |
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あいつのでたらめのお陰で、起こったはずのことが疑わしく、 |
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まだ起こらないことが懐かしい。ぼくは写真の男の背後を、 |
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覗くように首をひねり、写真を裏返した。しかしそこからは、 |
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何も見えなかった。ただカメラのレンズがこちらに、 |
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向けられていた。その背後のガラス越しに、 |
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ひいらぎのとがった葉が揺れていただけだ。 |