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白蚤大詩集「蚤の心臓」(関富士子著)より
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パトラの失踪に関する各考察





その1
なにもかも元のままだった四日前となにひとつ変わっていない
しかし異変に気づいたのは私だ
ベランダに出る大きなガラス戸の前
藻がこびりついて黄色い水槽の内側にゆらゆらと
泳いでいるのはクレオとパトラしかしその影が
一つしか見えない妙な不安におそわれて近づいたああ
三日も餌をやっていない怖かったのだパトラが水面に
美しい腹を浮かせて死んでいるような気がして
水面には何もなかったしかし泳いでいるのは一匹だけ
クレオだけがただ一匹
貝殻の下にも瓶のなかにも底の砂利まで掘ったが
パトラがいない
私の不実を責め死を望んで水槽からダイブしたか
苦しんでソファの下にもぐったか
私はありとあらゆるところを探した
青い水をたたえたトイレ電子レンジのターンテーブル出窓の外枠の危うい縁乾い
 た浴室ながしの薬罐の中
その身を横たえているはずのパトラを求めて
パトラはどこにもいなかった


その2
あの人がパトラを偏愛していることは知っていました
姉妹のクレオには目もくれず彼が追うのは
パトラの揺れるひればかりでもわたしには
わからなかった彼がパトラと呼ぶのがどちらの金魚か
だって二匹は瓜二つだったのです
餌を落とすと突き出される丸いくちびる角を曲がるときの
優雅な身のこなし金色の縁取りの目を見張りうろこを紅らめて
何もかもそっくりだったのそれなのに
パトラは愛されクレオはけっして愛されないこんな
ひどいことってあるでしょうか
でも二匹の金魚はとても愛しあっていたのです空腹なら
一方が一方のために身を投げ出すことさえ辞さずに
愛し愛されるってどんな気分かしら二匹は大食らいでミジンコ
もイトミミズもアカボーフラも三秒で食べてしまう
胴回りはすっかりくふくらんで巨大な遊覧船のように堂々と
自分と同じ大きさの食べ物をたいらげるってどんな気分かしら
まずそのとろけそうに繊細な尻尾から骨一本目玉一個も残さず
クレオはパトラを食べつくしたのですそうすれば
クレオはあの人に愛されるわ二匹は瓜二つだもの
でもほんとうに残ったのはクレオかしら二匹は瓜二つ
クレオをたいらげて水槽の中にいるのはパトラではないかしら
あの人にだって見分けがつきやしません
でもあの人はいなくなったパトラだけを愛しているの
こんなひどいことってあるでしょうか


その3
クレオかパトラか知らないけれど
金魚をやったのはあいつだあたしのクラスの
カ・ネコのしわざに決まっているカ・ネコは足音もさせずに
後ろにやってきていきなり目隠しをするから
ぞっとするやせっぽちのちびであたしの胸におでこが
くっつきそうなくせに手のひらばかり大きくて
指の関節が固くて太い
あたしの気をひこうとしてつきまとうからガンつけてやったら
たちまち気弱になってあわれっぽく見上げるから
蹴とばしてやったカ・ネコなら細い腰をくねらせて
あたしの部屋の窓の格子のすきまをすり抜けてベッドの下で
あたしを待っていたかもしれない退屈紛れに
パトラにちょっかい出して背中のあたりをひっかいているうち
大きな手のひらで全身をひっつかんだんだ
パトラはあたしの心臓みたいに長い間暴れた
そのうちひくひくおとなしくなって
カ・ネコの手のひらの中で可憐に息絶えた
あした学校でカ・ネコの手のひらをそっとかいでみよう
生臭いパトラのにおいであたしはカ・ネコに
参っちゃうかもしれない


その4
むく犬のポテトとチップも百歳のきんとぎんも
カラスのアリスとテレスもシャム双生児のマリアとシュラも
同じ蔓になった二つの瓜も投げかける光と影も
四十万キロかなたの月と四歩先の白銅貨も
似ているけれどどこかちがうそれが普通さぼくは知っている
クレオとパトラは姉妹の金魚だ稚魚のときにもらわれてきて
いつも二匹っきり丸い口もひれのひだひだも瓜二つ
二匹とも右のえらのわきのうろこにイカリソウをはやして
ひっこ抜いてやった傷あともいっしょだ
クレオとパトラは相似どころか合同だ
二匹はお互いの見分けがついただろうか
クレオは自分をクレオだとパトラは自分をパトラだと
いやむしろクレオの肉体はパトラの精神パトラのしぐさはクレオの意思
自分を鏡で見るように相手を見ていたにちがいない
こんなになにもかも同じなのに二匹別々にいる必要が
あるだろうか
昔半分に分かれたハートが一つになるように
一本の背骨で分けられた裏と表がくっつくように
クレオとパトラは合体したんだぼくは知っている
(初出 詩誌「gui」)



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