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vol.10

<雨の木の下で 10>


痴漢を許さない(1999.4.15)  関 富士子

 いったいニンゲンって何?と思うことが多々ある。さまざまな犯罪を見聞きすると、人間は近代という時代にたどりつき、複雑極まりない社会組織をかたちづくるうちに、回復困難な重いビョウキにかかってしまったのではないかと思う。とくに男である。どうも根本的なところで変になっている。と言うと、うちの少年など男はみんなって言うなよ、と抗議するだろう。一見脳天気なようだが、彼だけ別とは思わない。彼も長年にわたる病理をいやでも背負わされたニンゲンの一人である。

 というのも話はうちの少女のことだ。その朝珍しく春らしいふわふわのスカートをはいて出かけたが、満員電車でさっそく痴漢にあった。まだ若いサラリーマンらしい男だそうだ。よくあることなので、なんとかかわしていたら離れていった。と思ったら、男は近くにいた高校生のほうを触っているらしい。その子がしくしく泣き出したので気づいた。これは黙っていてはいけないと思って、少女は勇気を奮い起こして男を指さして言った。

「あんたでしょ。あんたが触ったでしょ」男は「えっ?」とか言って肩をすくめてとぼけている。そして少女に「ここではなんだから電車を降りて話そう」と言うのだ。「なんであんたなんかと話すことあんのよ」と少女は怒り心頭に達して言った。男は途中で降りていったが、女子高校生はまだ泣いている。何かされたら黙ってないで言わないとだめだよ、と少女は諭したが、そういう少女だって、実は声を上げて抗議をしたのは初めてだった。

 夕飯どきにそんな話をしたのだが、ちょうど朝の新聞に、ある女子高校生が二人の痴漢の手をいっぺんに押さえて警察に突き出したという記事が載っていた。一人には何か月もつきまとわれていたらしい。その高校生はとても勇気がある。痴漢は日常的にいるのに、それをみずから捕まえるのは新聞種になるくらい珍しいことなのだ。

 うちの少女は電車で一時間かかる高校へ通ったが、初日から猛烈な痴漢攻撃が始まった。ぎゅうづめの車内であっちからもこっちからも手が出てくる。身動きもできず、あまりの驚きと恐怖で声も上げられない。あこがれの高校生活がこんなことでスタートするとは思いも寄らなかっただろう。

 これは男がしたこととは限らないが、定期券を買うために持たせた2万円をすられたこともあるし、リュックのわきがカッターでざっくり切られていたこともある。満員電車は無法地帯か。まるでけだものが徘徊するジャングルに単身飛び込むようなものではないか。

 いやいや、こんなたとえはジャングルの動物たちに失礼だ。動物たちはこんなことはしないのだった。法に守られているはずの現代社会で、相手が弱いのをいいことに、こっそりとしかも図々しく恥知らずなことをするのは、教養も知性もあるはずの人間たちである。彼らはみんな犯罪にかかわることなど思いもよらないような、いかにもまっとうそうなつるりとした顔で社会生活を送っているのだ。

 少女は母に向かって「すっごい嫌だ。気持ち悪い。サイテー。くやしい。絶対許せない」と訴えたのである。わたしもそれほどひどいとは知らなかったから、話を聞いて電車通学を許したのを後悔した。それにしても15歳の無垢な少女の股になんでうすぎたないその手を突っ込むか。なんという醜悪、卑劣! 中央線で毎朝女の子を物色しているおまえたちのことだ。恥知らず!

 どうなることかと心配したが、少女はめげなかった。通っている高校は制服がなかったから、Gパンや綿パンのズボンをはいていくことにした。リュックを後ろではなく前にしょって胸や股をガードした。爪を長めに切ってお尻をさわられたら強く引っかいた。彼女の武器はなんとその小さな爪だけだったのである。

 痴漢というのは性的欲望だけでそういうことをするのではない。ふだんは気が小さくておとなしい男が多いという。男社会に満たされないうっぷんを、女性や子どもなど自分より弱い者にあたってはらすのだ。

 勇気を出して、声を上げなさい。「やめてください」「さわらないでください」「警察を呼びますよ」「助けてください」と言うようにと教えた。はっきり不快であることを表明して、人々の前でその男に自分のしたことがどんなに恥ずべきことか思い知らせなければならないのだ。女も喜ぶと信じ込んでいる勘違いも中にはいる。

 しかし、恐いもの無しのおばさんになった今のわたしならまだしも、若い女性はなかなか声を出せないものである。高校生にとってみれば、何歳か年上だとずっと大人に見える。触られたということだけでひどい恥辱を受けているのに、そのことを見知らぬ人々に訴えなければならない。しかも周りは同じような男ばかりである。みんな知らんふりで誰が何を考えているのかわからない。たった一人で周りじゅうを敵に回して戦うような気持ちにさせられる。

 少女はこんな光景を見たことがあるという。駅のホームで気丈な若い女性が痴漢をした男に向かって強い口調で抗議をしているのを見た。すると男は激昂して女性をこのやろうと罵り、蹴りを入れてきたというのである。女性がホームに倒れてはじめて人が集まってきた。抗議をしているあいだはだれも見て見ぬふりでいたのである。少女も少し離れて様子を見るのが精いっぱいだった。

 女性は男に居直られて逆ギレされたあげく蹴り飛ばされたのだ。どんなに恐ろしかったことだろう。暴力を振るわれる前に何人かが加勢してくれていれば、そんなひどいことにはならなかったのではないか。そんな光景を見せつけられて、少女が恐怖心を持つのも無理はない。男には腕力ではどうしても勝てないのだ。

 うちの少年は自転車通学だから、電車内でそんなことが日常的に行われていることに驚いたようだ。なんでえ、それ犯罪じゃないの、警察に突き出せよ、おれがそういうのを見たら、ぜったいそいつをぶん殴ってやると叫んでいる。彼はボクシングのトレーニングをしているので、腕が鳴るのである。

 少女は十代の後半になって、いろいろな場面を自分の力で切り開こうとしている。こんな環境のおかげで嫌でも強くなった。しかし、暴力に屈せず自己主張できるようになるまで、これからもどんなにくやしい情けない思いをすることだろう。わたしもかつてはそんな少女たちのひとりだった。今はほとんど満員電車に乗る用事がないし、乗っても恐れをなして寄ってこないだろうが、もしそんな場にいあわせたとしたら、たくさんのけなげな少女たちのために、卑劣な痴漢男にどんな悪態だってついてやるぞ。おせっかいおばさんと思われようとも、彼女を一人ぼっちにはさせない。わたしは味方である、あなたの勇気を応援する、暴力は許さないということをその場ではっきりと表明するのだ。


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