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vol.11
<雨の木の下で>巣立ち(関富士子) へ
  

<雨の木の下で 11>

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アゲハの来訪(1999.5.20)  関 富士子

 5月11日、ベランダで今年初めてのナミアゲハに再会した。今朝は豪華なドレスを重そうに揺らした貴婦人、黒アゲハも来訪した。今年はこの日が来るのが待ち遠しかった。

 おととしに我が家で越冬蛹になった15ひきは、去年の今時分には毎朝のように羽化したが、そのあと生まれた春の子どもたちは、長雨のためにほとんど羽化できなかった。30ぴき以上は育てたが、ベランダの塀に蛹をかけたものは水びだしになって腐った。夏は梅雨明けもしないで秋になり、11月に越冬蛹になったのは5ひき。それがどれもついにこの春羽化しなかった。

 うちの人間の子どもたちが小さいころ、果物を食べては種をプランターに埋めた。3本の小さなグレープフルーツの木が育った。花も実もなる様子がないが、毎年新しい葉を茂らせ、そこに必ずアゲハが訪れる。

 膨らんだお尻をきゅっと曲げて、先端を葉に押し当てる。これを幾度も念入りに繰り返す。見ると、1ミリほどの半透明のオレンジ色の球が、葉1枚に1つずつ付いている。一週間もすると、それが鳥の糞のような黒と白の幼虫になっている。元気に動いて食べてたちまち大事なグレープフルーツの枝を裸にしてしまう。

 このころになると大忙し。毎日食草の葉を調達しなければならない。幸い裏の保育園に蜜柑の木が3本あるので、そっと行って枝を折り取ってくる。農薬をきれいに洗って壜に挿し、幼虫をつまんて葉につかまらせる。橙でも柚子でも、柑橘系の葉ならば好き嫌いは言わないようだ。大きな葉っぱを小さな歯でサクサク食べ、いい匂いの糞をする。

 何度か脱皮をして明るい緑色の三齢幼虫になる。本物の目の上に大きな擬眼をつけている。触れると頭から二本のあかい臭角を出して、焦げたオレンジの匂いを散らす。むっちり太ってもう十分となると、這いまわって蛹になる場所を探す。いつも糸をかけるところを見損ねるが、いつのまにか脱皮して蛹になっている。ちょっとさわるとお尻をひくつかせるのがおもしろい。

 成虫のまま越冬した蝶が春いちばんに産卵し、それが一か月ほどで成虫になる。春蛹、夏蛹はつぎつぎに羽化する。秋遅くに生まれたものは蛹の姿で春を待つが、羽化して成虫で越冬するものもいる。

 今年もその柔らかい弾力に触れ、咀嚼の音を聴き、糞のにおいを存分にかげるのだと思うとわくわくする。  (紙版「rain tree」no.11 1999.5.25掲載)




  「シャックリハウスへようこそ」2 (1999.6.3) 

5月29日に西八王子のアルカディアで開かれた Poetry Reading の感想を、出演者の駿河昌樹さんと観客の小林弘明さんに書いていただきました。

感想  駿河 昌樹

   西八王子には、手打ちそば屋「山泉(やまいずみ)」がある。山奥のたたずまいある閑かな座敷でひとり、濃い目の陣馬つゆで、大盛りの山泉そばを食べた。デザートには、そばあんみつ。寒天と蜜がそばから作られている。一時間もいなかったはずだが、ひとり旅のくつろぎがあった。

 「カフェ・アルカディア」はそこより程なく、「茂れる林に風は幽禽の語を送り」(陸游「西村」)といった趣きの「山泉」から、一息に、現代のにっぽん詩の域に入る。とはいえ、渓谷の一隅に掘りひらいた岩室とも思える落ち着いた瀟洒な店内には、おのずと詩心の静謐を求めしむるものあり、店主の心意気、なるほどアルカディアの名に通じるものがある。

 アルカディアでのポエトリー・リーディングは25回を迎えたそうだが、この25回目に集った読み手たち、聞き手たち、いずれもただならぬひとびとで、この夜、うたがいなくひとつの宇宙の開花が、甲州街道沿いのこの岩室にはあった。詩のリーディングなるもの、おのずと聞き手と読み手を混交させ、しだいに誰が読んでいるんだか聞いているんだか、そもそもなにを読んでいるんだか、なにか読んでいたんだか、と幽顕を行き来するうちに、乾坤分かれず、陰陽開けない原初に至り、お開きになる頃には、近代お得意のペルソナだの、意匠だの、個性だの、思想だの、感性だのといった大量生産の装飾品を、みなさん、打ち捨てて裸踊りして透明に帰るものと決まっている。土曜の夜の警察諸君の業務をいたずらに激化させまいとの配慮から、ヒトの皮だけはかぶって帰ったけれど、どうしてどうして、この夜、この世のアルカディアはキケンでしたゾ。

 数十年後、百年後のわが御同類たちのために、歴史的データーを記しておけば、アルカディアでの第25回ポエトリー・リーディング、正式タイトルは《シャックリ・ハウスへ ようこそ!》というもの。主催は、現代にっぽんの熱血赤ダルマ・天野茂典ブンガク和尚率いる花祭り舎、および、言葉踊る天女、レイネ・レイネこと青木栄瞳。出演は、荒川純子、相沢正一郎、中上哲夫、駿河昌樹、南川優子、長澤忍、筏丸けいこ、長尾高弘、青木栄瞳、天野茂典。くわえて、田中一夫ほかのミュージシャンが朗読に七変化の彩りを添えておりましたナ。そうそう、繊細でやさしい批評眼の高木純氏による進行も、谷にかかる小さな虹のようであった。

 この夜、ここに集った諸氏がいかなる活動をのちに展開したかは、百年後の諸君よ、あなたがたにはむろん、言うまでもないことであります。



アルカディアでぽーっとすること (1999.6.3)  小林弘明 「スウカイナ」ヘジャンプ

 外に出ると眩しいばかりの太陽に、奇妙な静寂を聞いてしまうことがある。夏を思 わせる陽気のせいか、年をとったせいなのか、一仕事終わってほっとしているのか、 まあいずれにしても深刻なことではなく、単にぽーっとしているのである。そんなこ ともあり、天野さんと青木さんによるアルカディアの朗読会には、よく行っているが 、近いこともあり、何も考えずぽーっとして行っている。

 というか少しはぽーっとし ているほうがいいと思う。これは何も考えなくてよいというわけではなく、実際先日 の朗読会でも中上さんは最近何も考えてなくて...ということを言っていたが、おそ らく漠然としたものを考えていて、袋小路に入ってしまうとか、何について考えてい たかわからなくなってしまうとか、何かを考えつつあるひとつの興味深い状態なので はと思ったり、わたしがぽーっとしているように、視覚の歪みもしくは麻痺状態が、 音にならないものを聞こうとしたり、記憶というそれ自身において欠けているもの状 態(記憶はまさに現在でありながら、記憶であるかぎり過ぎ去ったものである)現在 と過去に引き裂かれたつつ存在するようなものに、心を奪われつつあるときはこれま たぽーっとしてしまうようなのだ。

 朗読するときの声もそのような分裂を潜るような 気がするのである。そのような状態は、筏丸さんが言っていたように、感じるのも面 倒だなあというときの「感じる」は激しさで括られるベクトル的なものとするならば 、微熱的で力の分散した面的なものとしてその分裂は感じられるだろう。なぜならこ こでの記憶は意志的なものではなく、ふとしたきっかけで思い出すものであり、正確 には現在そのものであり、現在への面的な侵入なのである。絶叫型の朗読は、いわば 非意志的な記憶からの逃走であり、声に内在する分裂をその激しさで連続化する試み なのだと思う。断片化はひとつのみせかけである。一種のマニエリスムなのである。

 閑話休題。そんなわけで、荒川純子さんが東京タワーにぽーっとしているのと、長 澤忍さんがビジュアリストに、駿河さんがゴダールにぽーっとしていることがわかっ た。相沢さんと南川優子さんはすべてに対してぽーっとしているというモナドであり 、おそらく地球の反対側でふたたび遭遇することになりそうである。火星年代記のよ うに。

 また、天野さんの朗読会に行くと、詩に関心のある若い人が結構いて、詩について もっと知りたいという率直な気持ちを持っている人と話ができることも有益であり、 楽しいことである。今後の展開を楽しみにしています。




  「シャックリハウスへようこそ」 (1999.5.16) 関 富士子

  Booby Trapでおなじみ、駿河昌樹さんや長尾高弘さん、青木栄瞳さんの朗読会が開かれますのでお知らせします。
アルカディアでの活動は一年以上なかったが、天野さんはご健在でしょうか。お近くの方はちょっとのぞいてみてください。

シャックリハウスへようこそ

第25回ポエトリー・リーディング イン アルカディア
1999年5月29日(土)
OPEN  pm6:30
START  pm7:00
AT  アルカディア
TEL.0426-65-4905 JR中央線西八王子下車5分 旧甲州街道沿い
入場料 2000円
MC 高木純
POET 荒川純子 相沢正一郎 中上哲夫 駿河昌樹 南川優子 長澤忍 筏丸けいこ 長尾高弘 青木栄瞳 天野茂典
   MUSICIAN 田中一夫(サズ、カリンバ)他
主催 花祭り舎 天野茂典+青木栄瞳
TEL.0426-25-9728 〒192-0041 八王子市中野上町1-20-13天野茂典






「詩の時間」レポート(1999.5.2)  関 富士子



東京は自由が丘のもみの木画廊の詩の朗読会「詩の時間」に出かける。詩人たちの絵やモビールなどのアートに囲まれたこじんまりした会場に椅子が50ほど。清水鱗造さんの司会で、高橋馨・浜江順子・鈴木孝・青木栄瞳・鈴木東海子・荒川純子・坂輪綾子さんたちの詩の朗読を聞く。

朗読は、詩人の立ち姿、声の響き、音と化した言葉の訴求力を感受できればよしとしていたのだが、収穫は藤井貞和の朗読「詩集小(グァ)5月2日1999年)」である。

プリントが配られたのだが、A4判横の裏表に縦書きで2段に詩が小さくプリントされている。その2段がたがいに天地逆になっているのだ。しかも詩はいくつかのかたまりにばらばらになっていて、ある詩の続きが裏の下の段に逆さまに続いていたりする。これでは読みにくいではないか。みんな紙をひっくり返したり戻したりして読んでいる。

ところが、中央部分に手書きで2から14の数字が書いてあるのを見てぴんと来た。本を作るとき、一枚の紙に裏表4ページずつ印刷して四つ折りにする。これを一折という。この折りをいくつも綴じたものが本になるのだが、書籍の編集作業で、最終校正の段階では、この折りの形になったものに目を通す。この段階で印刷所が入れてくれるのが手書きの折番号とノンブルである。

配られたA4横判の紙を縦に二つに切りはなして、それぞれを四つに折りたたむ。袋になったところに切れ目を入れると、二折のちいさな本になるのである。ちゃんとタイトルの入った表紙と裏表紙に藤井さんの自己紹介が来る。数字はノンブルであった。こんな楽しいことをしてくれる藤井さんって大好き!!!

折って切れ目を入れて読むようにと言った後、さて、詩人はそれを小首をかしげながら朗読したのだが、「苔のうえのこども」は、各行の頭の文字を横に読むと、「こけのうえのさるのこどもあしたはおおゆき」となる。パパが「ルイちゃん」に語りかけているような優しい詩である。
(『「静かの海」石、その韻き』所収思潮社刊3200円1998年(「詩が声のように生きられる場所はどこにあるか。<言葉遊び>がかなでる思いはどのように韻いているか。<物語>の交叉する現代詩はどうすれば可能か。こんにちを生きる不自由な詩は何をすればよい。」帯文より)

また、「母韻から」は「あいうえお」だけで書かれた詩。目を閉じて聴いていると、なにかたよりなげなうめき声のように聞こえる。甘い子どもの喃語を聴くような、口のきけない人のためらいがちな訴えを聴くような。ところが、目を開いて文字を見ると、その音が言葉と意味を伴って立ち現れてくる。もちろん詩人は言葉のアクセントにも気をつかい、文節も区切りながら読んだのだが、なにしろ母音だけでできているからはっきりと意味を聞き取ることはできない。叫びともうめきともつかない人間の声が言葉になる初源のところ、言葉の初まりに立ち会う思いがした。朗読っていいなあ。こういう朗読が聴いてみたかったのです。



母韻から (部分)

……
遺影を、追い、
遺影、青い絵、
ああいう絵、
ああいう青い絵!
ええ、ええ、
いい絵、
「ああいう絵、ああいう青い絵!」
青い絵を、追い、
青い魚(うお)、
多い魚(うお)飢え、
餌を追い、
……
(「ミて」3号から 1998年)


引用の最後の行の「餌」は「え」と読むのでしょうね。
ちなみになんと倉田良成さんは高校で藤井さんの古典の授業を受けたそうだ。藤井さんは当時20代で新進の詩人。倉田さんは習作を見てもらっては厳しい批評を受け、心をなんどもずたずたにされたとか。ああうらやましい。

guiのメンバーでは飯田隆昭さん。バロウズの翻訳を読む前に自分の散文詩のようなものを読んだのだが、「さあ、皆さん、こんなわたしを嘲り笑ってください」というのが泣かせる。迷える愚かな老年をテーマにしつつあるようだ。

ところでお目当ては後の飲み会。藤井さんは強欲な鈴木東海子さんにさらわれていってしまって、みんながっかりしたが、BoobyTrapのメンバーと久し振りに会えた。倉田さんや駿河昌樹さんといっぱい話ができて大満足。清水さんも元気そうだった。布村浩一さんとは席が離れてしまって残念。

青木栄瞳さんは新詩集『野性のセロリ』が出たばかり。会場で気前よく配っていた。
(思潮社刊。2400円+税「バック・ミラーは、ほほほの・ほ。パパと息子の「シッポ」については、存じませんが」ようこそ栄瞳ランドへ。上梓のたびごとに話題をふりまいてきた詩人が、1999年というキャンバスをことばの絵の具で彩る。読めば読むほど深みにはまる、電撃の21世紀型最新詩集(帯文より)」だそうである。エキスパンドブック版野性のセロリが長尾高弘さんのlongtailで読めます。

2次会出席者は全部で30名近くいたのだが、テーブルが別れてしまって、近くで話ができたのはBTのメンバーのほかにguiの南川優子さん、詩語りの坂井のぶこさん、田川紀久雄さんなど。坂井さんは初対面だが、8冊目の詩集が出たばかりとか。飲み会の席上で突然声を張り上げて語り始めてみんなを仰天させた。奥村真さんとも楽しく飲んだのだが、途中ではぐれてしまった。無事にお帰りでしょうか。もっと詩を書け!!とおこがましいことを言いましたが、彼の詩的散文「寝言綺語」猩猩蝿愛読しています。

名古屋からいらした鈴木孝さんは慣れない席で静かに飲んでいらした。出たばかりの翻訳、フランスの詩人ドニーズ・ジャレの詩集『海の色彩』(夢人館刊 1800円 tel.fax.03-3274-2750 振替00110-7-576930)([P&T]企画でも扱っています。振替00820-6-50184(送料当方負担))買って読みますね。

JO5に詩を書いている井本節山さんとは初対面。rain tree を見てくださっているとのこと。これからもどうぞよろしく。rain tree の感想をPoeticalVoidに書いてくださる麻生秀顕さんとは、メールで会いましょうと約束していたのに会えなかった。残念。

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