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vol.2

<雨の木の下で 2>

作品 (1997年11月25日) 関 富士子

神戸の児童殺傷事件を起こした少年は、校門に置いた首を「作品」と呼んだらしい。「学校の正門前に首が生えているような不思議な映像」とも言っているという。
この「作品」は、わたしが「作品」と呼んでいる詩とどう違うのだろうか。

彼が、長い時間をかけて男の子の首を絞めている時の快楽について考える。犯行メモを読むと、女の子たちをつぎつぎと襲った時の感覚がある程度わかる。「興奮」しているけれども頭は冴えていて、あとで「ひどく疲れていた」状態。この感覚に覚えがあるのだ。何かを夢中になって書いている時の興奮と快楽、書き終えたあとの疲労感と達成感。

だれでも一生に一度ぐらいは殺意を抱くことがあるだろうが、実際に殺す人は少ない。理由はさまざまだが、わたし自身は、詩を書いたおかげで人を殺さずにすんだと思ったことがある。

詩はそんな卑しいものではないと人は言うだろうし、そのようにして出来上がった「作品」はろくなものではあるまい。しかし、詩にかぎらないが、「作品」がどんなに醜悪で稚く拙劣であっても、「言葉」によって「映像」を表現する行為を経たおかげで、人を苦しめて殺し、首を「作品」にしなくてすんだ、たくさんのA少年や少女がいるだろうと考えずにはいられない。

神戸のA少年も「変な詩」と言われるものを書いていたようだが、それはわたしは読んでいない。「言葉」は彼を救わなかったらしい。彼の場合はさらに切実に、「作品」を読む他者が必要だったかもしれない。



ヘッセの庭 (1997年11月1日) 関 富士子

 今日、10月29日、最後の青虫がさなぎになった。ざっと数えると、ベランダのあちこちに30個以上のさなぎが取り付いている。ぬけがらが目立つが、さなぎのまま来年の春を待つものが、サッシの窪みのあたりなどに15個もある。2つは横腹に蜂の注射の穴があいているから、羽化しないだろう。目につかないところでさなぎになるから、実際はもっとあるはずだ。卵から孵った青虫はむろんもっと多いのだが。
 マルタゴン・リリーは多分一週間後には最初の花を付けるだろう。そのユリの葉影から、私は強い日光で目がくらんでいたが、何か黒いものが音もなく、影のようにふわっと舞い上がるのを見た。それは小鳥ではなかった。蝶であった。しかもこの辺ではめったに見られなくなってしまったキベリタテハであった。この蝶には、私はもうおそらく三年か四年前からおめにかかっていなかった。
(ヘルマン・ヘッセ「庭仕事の愉しみ」岡田朝雄訳・草思社刊より)
子どもが2、3歳のころ、柿を食べていて残った種を見て、これはなあにと尋ねた。これを土に埋めるとね、あらふしぎ、芽が出てふくらんで、花が咲いて、実がなって、と歌ってやると、さっそく、狭いベランダのプランターの隅に種を埋めたのである。メロン、りんご、なし、ぶどう、スイカ・・・。芽が出たものもあったがすぐ枯れてしまった。残ったのが三本のグレープフルーツの木である。10数年たったが三十センチしか伸びない。それでも毎年春になるとアゲハがやって来て、迷うことなく卵を産んでいく。
 それは大きな、まだ羽化して間もない美しい蝶であった。蝶は私の眼のまわりを黒い影のように飛びまわり、いったん私から離れたかと思うとまた私の方にふわりと舞いもどって、匂いをかぐように私のまわりを旋回していたが、私の手にとまった。蝶はそこにとまったまま羽をたたんだ。羽の裏面はつやのない煤と灰の色をしていた。やがてふたたび羽をひらくや、ネーブルズイエローに縁取られ、すばらしい青い斑点が列をなしているビロードのような暗紫褐色の羽を見せた。明るい羽の縁どりとベンガラを使わないと表現できそうもない暗色とのあいだにあるその青い斑点の列は、気品があり、奥ゆかしい。(同上)
 キベリタテハは「黄縁立羽蝶」。脚注によるとドイツでは「悲しみのマント」「喪服」と名づけられているらしい。渋い「煤と灰の色」「暗紫褐色」からきているのだろうか。別のページでヘッセは、「私が日本人であったなら、祖先たちからこれらの色彩とその混合色それぞれについておびただしい数の正確な呼び名を受け継いだことであろう。」と嘆いている。しかし、「庭仕事の愉しみ」には、動植物や自然の色の繊細な変化がみごとに表現されていて感嘆するばかりだ。

 うちにやってくるチョウはナミアゲハらしい。黄色に黒の模様が美しい。孵った幼虫は柑橘類の葉しか食べない。毎年葉の調達には苦労をしていて、近所にある垣根や畑の柑橘類の地図までできていたのだが、今年は子どもたちが、すぐ裏の公園と保育園の境の植え込みに、蜜柑の木が4本もあるのを発見した。灯台下暗し。夕方犬の散歩のときに枝を取ってきてくれるので、とても助かった。

 ゆっくりと、静かな呼吸のリズムでこの美しいものは、そのビロードのような羽を閉じたり開いたりして、六本のきわめて細い脚で私の手の甲にしっかりつかまっていた。そしてしばらくたつと、私には手から離れたのがまったく感じられなかったのだが、パッと飛び立ち、広い、熱い、明るい大空に舞い上がっていった。(同上)
 ページのところどころに、麦藁帽子をかぶり、庭仕事をするヘッセの写真が折り込まれている。庭といっても石ころの多い急斜面の不毛な土地で、彼はここを根気よく耕し、トマトなどさまざまな野菜を収穫している。写真は1930年代、ヘッセが50歳代のものが多いが、すでに眼の病気や顔面の神経痛が始まっていたらしい。顔には深いしわが刻まれているが表情は明るく満ち足りている。

 過日、娘の中学時代の友人のフミちゃんが久しぶりに遊びに来た。ベランダの青虫たちを見て、「あ、うちのお母さんも飼ってる」と言った。類は友を呼ぶらしい。フミちゃんちはお風呂屋さんだが、庭に大きな夏みかんの木があるそうだ。うらやましい。

 多いときには38匹もの青虫が葉に取り付いていて、それを一匹ずつはがしては新しい葉に移してやるのが日課だったが、それも今日でおしまいだ。子どもたちがつまもうとすると、オレンジ色の臭角を突き出して抵抗するのだが、わたしがつまむとおとなしい。 お母さんになついている、といって子どもたちはおかしがる。 今年は食草がたっぷりあったせいか、例年になくたくさんの幼虫が羽化した。真夏には毎朝のように立派なアゲハが生まれた。わたしの指にとまって濡れた羽を乾かして飛び立っていった。



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「雨垂れ石を穿つ」(宮野一世)「緊縛のよろこび解縛のくるしみ」(関富士子ほか)へ
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