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vol.5


<詩を読む7>藤富保男詩集『文字の正しい迷い方』を読む



つむじまがり

              関 富士子



 『文字の正しい迷い方』は、漢字を行に折り込んだ折り漢字詩集ともいえる。冒頭の「各々方(おのおのがた)」では作者みずから、

  あなた方みなさん

  こちらの方へおいで下さい
と親切に案内してくれる。しかしこの迷路はどこへ案内されるかわからない。

  あら あの方々

  方々さまよって

  仕方なく

  檻の中に一方的に入って行くみたい
という具合である。

 「鬼」の中にすむ角のはえた「私」という人間(「ム」)、「風」の形定まらない抽象性(「クロードの風格」)、「片」のかわいそうな不恰好さ(「片思い」)、「音」の愉快な多義性(「人は音に囲まれて生きている」)など、漢字の意味や形、その音や訓を考察しながら、イメージをひろげて詩行に仕立てていく。

 ときには漢字の姿かたちに詩人は異議を唱える。
  犬の耳

  犬という字の点である


  左と右に点を打つべきなのだ
(「いぬ」)
と言うのだから、思わずわが家の犬の耳を引っ張りたくなる。しかしこの考えは、漢字の本来の成り立ちに戻れば実にまっとうである。漢字はもともと象形から生まれたのだから。
 「つむじ概説」はこんな詩人の自画像に近い。

  人をおそれず

  神をおそれず

  猿をおそれず

  パンツも

  名刺もおそれず


  ただただ

  まちがいなく

  つむじが正しく曲がっている
 ともかく読者は、詩の行の中に漢字が巧妙に折り込まれているのを、テクニックとして楽しみ、そこに独自の漢字論が展開されているのに驚くだろう。

 ところで、この折り漢字の作業は、書くほうにとってはどんな意味をもつのだろうか。  

  頭が濡れた蒲団のように重い

  詩の一行が出てこないから

  頭が重いのである
(「一行」)
書けないというのは詩人の日常である。書かなければよいのだが、詩人だからそうもいかない。

  仕方がないので

  机を離れて

  シガレットを一本すおう と思う
 すると、こうなる。

  通りすがる勤め人の一行が

  くさい動物を眺めるように

  一瞥を放つ
 こんな行も生まれる。

  見上げると

  蒲団会社 御一行様と表示してあった

  濡れたバスが

  綿ゴミを巻き上げて通って行く
 この詩の場合、詩の一行は折り込まれる文字に触発されて生まれる。行の生成はその文字に全面的に委ねられる。おのれを無にして、煙草でも吸って、その文字から喚起される行をただ待つのだ。

 そのとき、言葉遊びが本来もつ無名性が、作者の存在をさっぱりと消していくだろう。文字に呼ばれてどんな詩行が現れるかはだれにもわからない。この生成の過程を目のあたりにすることは、詩を書こうとする者にとってじつに興味深い。
 藤富保男の場合、立ち現れた行とその詩の全体の姿は、辛辣な笑いに満ちたまさしくこの詩人だけのものである。

 考えてみれば、詩を書く者は多かれ少なかれ同じ体験をするのではないか。たった一つ書きつけた言葉が、次の行を呼び、連へつらなり、詩の全体を形作ることがある。書き手はただ導かれるように、現れる言葉をひたすら書き留める。もちろん、こんな幸福はそうたびたびはない。しかし、そのたった一滴のインクのしたたりを求めて、今夜もペンを持つのである。

 詩を書くことは、まず第一に、感情も体験も思想も、さらに詩という既成概念をもなきものにして、我が身を言葉に委ねることなのかもしれない。藤富保男の方法は、この言葉の喚起力と詩の成立との関係を自覚し、明確なスタイルとして採用したものといえるだろう。

 ところで、今号の "rain tree" の present for you
「おんがえし」は、詩集の中の「ケガ」のこんな詩行がヒントになっている。

  

  か

  げとかげ

  と

  がけ


  かな文字で書いても

  けが

  をする思いだ
文字の正しい迷い方

”書かれた文字たち”は一語一字、読み方や字義に多様性をもっている。その上、字にはそれなりの姿がある。本詩集はこれらの文字たちに息を吹きかけ、その隙間に詩を植え込んである。(帯文より)

藤富保男詩集『文字の正しい迷い方』1996年思潮社刊/2400円


<詩を読む6>「花丸」のごほうび(森原智子「花丸」を読む)(関富士子)へ
<詩>「先生が」(関富士子)へ
present for you 「おんがえし」五音で遊ぶ(関富士子ほか)へ
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<詩を読む6>森原智子「花丸」を読む

 

「花丸」のごほうび

            関富士子

       



花丸

               森原智子

秩父線・行田駅の

前のめり

征露丸のタテカンの根で

何かを捨てている人の影

と 擦れちがう

沢山のものが捨てられている

あまり仰山なので

何もないようにさえみえる

この人形など みんなが見た

水のような髪を

ちぎったビニールのように はやして

ヒビの入ったガラス眼が 砕かれている

未生以前の火だねが ぼうと燃えている

着けているのは

白飛白の いかり肩で

忍川の粗い砂地に

へんに鋲止めされていて

影のように生きてみえる

鳥は飛ばない

   *

ツバメもこない

浅い屋根ばかり

身を埋めるところ壁ばかりだ

弟が車をころがしてゆくと

母の病室のガラス窓に

泥はねがとびかかった

あまり仰山なので

何もないようにさえみえる

ここでは雨も雪も

しっかりとは降らないのに

そのかわり病室のガラス窓に

はねかかる泥は つぎつぎに

陽ざしで

キュッと縮む 死ぬときのように

花丸で


           (森原智子『スローダンス』1996年思潮社刊より)



 都市とも田園ともつかない、東京近郊の殺風景な町である。駅前の看板は前のめりにかしいで、根方に「沢山のもの」が捨てられる。

 皆が見ていながら気づかないが、その中に一体の人形がある。「水のような髪」「ちぎったビニールのように はやして」という比喩が、あまり詩的でなく投げ出される。しかし作者は、人形の砕けたガラスの目の中に、「未生以前の火だね」を見る。「砂地に/へんに鋲止めされていて」の「へんに」が生々しくぎこちない。

 かくして人形は「影のように生きてみえる」。辺りに生き物の姿はない。「鳥は飛ばない」のだ。

 第二連で初めて、作者は弟の車で母の病院へ見舞いに来たらしいことがわかる。狭苦しい町の泥道である。母の病状も、弟や自分の思いも語られない。

 作者がここで見ているのは、母の病室の窓にかかる泥である。駅前に捨てられた物と同様、「あまり仰山なので/何もないようにさえみえる」の二行がくり返される。しかし、この泥は「キュッと縮む」。日差しの強いガラス窓に次々にはねかかりながら、一気に乾いてこびりつくのである。

 第一連での人形への視線がここにも注がれる。「とびかかる」「死ぬときのように」とは、まるで泥はねが生きているかのようではないか。かすかに人の死も暗示しているようで、読者はここぞと思う。

 ところが、窓についた泥の形は「花丸」、小学生が先生からもらうごほうびの花丸である。この素っ気なくもユーモラスな最終行に呆然とする。安易な結末を引き寄せようとする読者を裏切るのだ。

 人が語りがちなものをけっして語らず、人が見ようとしないものを子細に見る。生への感傷を排しながら、無機的なものに生命を感じ取る。

 詩の言葉は無造作に刈り込まれているようにみえるが、一方で、バランスが心配になるほど細かい描写がある。不足感と過剰感が並立しているのだ。しかし、そのバランスは作者によって厳密に計算されている。

 生が死の方へなだれこむせとぎわで、「花丸」をながめている作者の、確信に満ちたあやうさが、読者をたじろがせるのである。

スローダンス

森原智子は、いまはもう、既成の約束ごとだの、あらかじめ設定された語彙だのにこだわろうとはしない。そんなものにこだわっていては、彼女の書こうとする困難な詩――現存在そのものを表出しようとする詩は書けないからだ。彼女が自分に課しているハードルはもっと高い。理解や評価といった社交辞令を無視して、この詩人は静かに一つの決意を立てる。その決意を、私は次の四行に読む。(安藤元雄 帯文より)

水は小暗いところで湧き/なお暗い はるかな旅をして 何ものかへ 未練のように帰る/はまぐり ひと粒を置いて

森原智子詩集『スロー・ダンス』1996年思潮社刊/2678円



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