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vol.8


<雨の木の下で 8>



ジャックとローズ(1998.12.17) 須永紀子

 『タイタニック』のビデオを買った。家でゆっくり見たかったので。
 この映画にはいろいろな見方があるけれど、ジャックとローズの恋がやはりメインではないかと思う。画家志望のジャックと上流階級の娘ローズ。彼女は家のために好きでもない男との結婚をひかえている。その恋愛がすてきというのではなくて、この二人だけが全身で「今を生きて」いる。その体温まで伝わってくるような演技なのだ。スピードもある。

 富む者と貧しい者、退廃と絶望が船に乗っている。乗客のほとんどが死んだようにみえるなかで、ジャックとローズは生命力にあふれ、どんな困難にも立ち向かう若者として描かれる。ローズを演じるケイト・ウィンスレットは体格がよすぎて中年女みたいだけれど、沈没しかけた船のなかで奮闘するあたりになってやっとキャスティングに納得できた。二人ともすくすく育ったという身体つきをしていて、これもヒット の要因だろうと思う。

 そして何よりも、ジャックの変身ぶり。ポーカーで勝ってチケットを手に入れるあたりは、元気のいいにいちゃんという感じなのだけれど、ローズに出会ってからはみるみるうちにたくましい青年になっていく。

 イギリスの作家ジャネット・ウィンターソンの小説『ヴェネチア幻視行』のなかに「女の愛情が男を高みに押しあげる」という一節があるのを思い出した。ジャックはローズの熱い視線を受けて、一気に男として成長する(目覚めるといってもいい)のである。「trust me」ジャックは何度もローズに言う。女はこういうことばに弱い。女性を護る強い男、というと映画『ラスト・オブ・モヒカン』のダニエル・ディ ・ルイス。インディアンの彼は白人の娘(マデリーン・ストウ)を命がけで護る。男は死に女は残る。女は死んだ男を愛し続ける。いつの世も女は恋の思い出をたくさん抱いて朽ちてゆくのである。





詩人を選ぶ(1998.12.10) 関富士子

 『詩学』の来年2月号から投稿作品の選評をすることになった。須永紀子さんのあとをつなぐ形である。なぜわたしが?と初めは戸惑ったが、篠原さんのせっぱ詰まった電話の声にひきずられて受けてしまった。よほどやり手がいないのか。いやいや、『詩学』の選者は一応名誉ある仕事である。ギャラはもちろん出ない。合評のあと鮨が出る。(今年の選評の様子は、須永紀子さんの
「合評を終えて」を読んでください。)

 『詩学』というところは原稿料がないし、執筆者の顔ぶれも似通っているから同人誌だろうと言う人もいるが、伝統も実績も格式もある商業誌である。ここから巣立った詩人は星の数ほど。投稿欄「研究作品選評」は新人がデビューするにはいちばんの近道である。

 選者のメンバーは大橋政人・宮地智子・金井雄二の各氏。それに編集長の篠原憲二さんが加わる。金井さん以外は初めてお会いする方ばかり。3人はもちろん投稿欄から詩人になった『詩学』の生え抜きである。わたしだけ部外者という印象は免れない。

 ブランクの10年を間にあしかけ30年も詩を書いているが(古くてごめん)、自慢ではないが『詩学』から原稿依頼を受けたのは2回しかない。購読を始めたのは宮野一世さんが詩誌月評を担当した2年前からだが、釣り仲間をはじめ、毎月のように知り合いの詩人たちが何かしら書いている。なぜわたしには依頼がないのだろうといぶかしんだが、そんなものだろうと思っていた。自分の詩がまずいからとは夢にも思わないわたしである。

 それがいきなり選者をやれというから驚いた。投稿というのは選んでくれる詩人の詩にひかれてするものと思っていた。わたしはいつまでたっても無名で、詩集を3冊出しているが、『詩学』ではまったく取り上げられたことがない。歴史ある『詩学』の読者は新旧とりまぜ海千山千。関富士子って何者? どこの馬の骨? と言われるのが関の山である。
 なぜ引き受けてしまったかと悔やんだが仕方がない。覚悟を決めて投稿作品を幾度となく読み返しながら、自分の投稿時代がしきりに思い出された。

 田舎から東京に出てきたものの学園紛争のまっただなか、居場所もなくふらふら街を歩いていてふと目に付いたのが、当時復刊されたばかりの新しい『ユリイカ』だった。その斬新な装丁にたちまち引かれた。これぞ東京という感じ。投稿欄「解放区」の選者はなんと「他人の空」を書いた飯島耕一だ。中学のころから将来詩人になりたいと思っていた。受験の競争から脱け出したばかりだったから、詩ぐらいは人と競争したくなかった。投稿作品に点数をつけるような『詩学』には見向きもせず、詩を書いては『ユリイカ』に投稿した。

 19、20歳のころ、言葉は書くのもまにあわないほどあふれ出た。ただあこがれの詩人に詩を読んでもらいたかった。しばらくして飯島耕一は何度目かの強い鬱病にかかって入院し、選者を降りてしまった。 とてもがっかりしたが、編集の小野好恵さんが引き続きわたしの詩をとってくれた。

 2年ぐらいで「ユリイカの新鋭」に選ばれた。10人ほどのなかの一人だったが、『詩学』のように投稿欄からだけではなく、当時すでに活躍していた20代前半の若い詩人たちが中心だった。平出隆、池沢夏樹、福間健二、池井昌樹、橋本真理、倉田良成・・・、彼らに比べて、自分の詩があまりにお粗末なのですっかり打ちのめされた。当時書いたものは全部捨てた。自負心が劣等感をかろうじて上回っていたか。今はみんな偉くなっちゃって・・・、悔しいよ。

 小野さんや編集長だった辣腕の三浦雅士さんでさえ当時20歳代だったのである。もう投稿欄は卒業、引き続き送ってくれ、良ければ本欄に載せると言われた。粒来哲蔵や粕谷栄市や、その流れでアンリ・ミショーを読んで、散文詩を集中的に書き始めていたのだが、小野さんは散文詩には否定的だったように思う。いくら送っても本欄には載らなかった。

 ページを開くと平出隆の「花嫁」の連作が掲載されていて、そのレトリックに感嘆したっけ。今読むと吉岡実だなとすぐわかるのだけど。飯島耕一の『ゴヤのファーストネームは』が出版されたのは少し後か。ああ鬱病は良くなったのだな、とほっとした。小野さんは、卒業したら青土社で編集をやらないかと誘ってくれたが断ったのだっけ。自信がなかったし、詩を書くこととそれを編集することに関係があるとは思えなかった。自活しなければならなかったから、まっとうな教科書会社に就職した。それから『ユリイカ』とはまったく縁がない。おかげでいまだに学習参考書を編集している。

 四半世紀後の今年の10月、その飯島耕一氏に、西脇順三郎の会の流れのバーで初めて言葉を交わした。彼は目の鋭いエキセントリックな感じの人物で、あの年齢になってもそんな印象を与える人は珍しい。
 わたしはあいさつのあと投稿していたことを話した。彼はもちろんわたしのことは今も知らない。"rain tree"を送っているが、読んでくれている様子はなかった。笑いながら「ほう、選ばれたかあ?」と言うので、「はい、何回か選んでいただきました。でも、病気になられて・・・。傲慢な言い方かもしれませんけど、選者はわたしが選んだんです」と答えたら、彼は苦笑していた。

 飯島耕一はともかく、わたしが人の詩を選ぶなんて倣岸不遜、おこがましい行為と思っている。どの詩も書かれただけで存在価値があるのだ。投稿しようとする人は、選者である詩人を自分が選ぶぐらいのつもりでいてもいいのだ。選者の詩がつまらないものなら、投稿する気になどならないだろう。投稿じゃなくても、詩を有名詩人に送るときは、こちらが読んでもらいたいと思う詩人をしっかり選ぶのである。そのためには相手の詩を読まなければならない。詩の好き嫌いは案外に大事なこと。もしそこに自分と通じ合うものがあると思ったら、思い切って率直に差し出してみる。向こうも何か感じてくれるものだ。

 それにしても、投稿でデビューするのは実は詩人としてのほんのとばぐち。そのあともだれも読まない詩を書き続けることは容易ではなく、男は鬱になったりくたばったり。女は気がふれるし。家庭崩壊は序の口である。ふと見渡せばあたりには死屍累々。かくして残るのはのっぺりしたぬるま湯のような詩ばかりというのがわたしの実感。

 さて、先日さっそくその『詩学』の第1回の合評があった。本郷通りを曲がった下り坂の路地裏、しもた屋の並ぶ一角の二階家。看板もない狭いガラス戸ごしにのぞいてみると、本が雑然と積み重なった狭苦しい事務所である。おずおずと声をかけると、そこがかの詩学社だった。篠原さんや速記の方、金井さんと大橋さんもすでに待っていてくれた。

 合評のできはどうだったか。緊張しつつ真剣に読み、語ること一時間あまり。一言で言うとおもしろかった。わたしだけが気づいていてほかの皆が読めなかったことがあった。博美くん、泣いてばかりいる真実ちゃんによろしく。わたしの深読みだったなんてことじゃないといいけど。投稿なんてとばかにしているあなたも、自信がなくて発表するのをためらっているあなたも、原稿を『詩学』に送ってください。わたしは本気で襟を正して読みます。


<雨の木の下で>合評を終えて/テントを出てから/ルドルフ(須永紀子)へ
<雨の木の下で>藤富保男のエッセイへ言葉の積木(関富士子・桐田真輔)へ
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合評を終えて(1998.11.26)   須永紀子

 二年にわたる『詩学』の合評の仕事が終わった。毎月投稿作品を40編(150編ほどのなかから編集長の篠原憲二さんが絞ってくれる)読み、点をつける。「点」については賛否両論あるようだけれど、とりあえずは作品を評価する上でいちばんわかりやすいものであって、わたしを含めた四人の選者は点数にかかわらず、取りあげるべきものは取りあげてきたと思う。井川博年さん、八木幹夫さん、大岡恵美子さんはベテランの詩人だから、ほとんど直感で言っているようなわたしの批評を、多くを説明しなくても素早く理解してくださり、またそれぞれの深い読みに教えられることも多く、たいへん勉強になった。

 さて、ではどんな基準で点を入れたのかと聞かれると、ひとことで説明するのはむずかしい。その日の体調や気分にも左右されるし、他の人の批評を聞いて「なるほど」と思うこともある。とりあえず、まっさらな状態で作品に向かい、まとまりのあるものよりも、そのひとが全力を尽くして書いているものに点を入れた。心から書きたくて、誰かに伝えたくて書いたとわかるような作品は、残念ながら多くはなかっ た。そして素直であること。感情が抑制できていること。書きっぱなしでないこと。わたし自身、詩に限らず草稿の段階では自分の嫌な部分がもろに出ていて、それを一読者として抵抗なく読むことができるようになるまで直していくのにかなり時間がかかってしまう。投稿者の多くは、詩をあまり読んでいないようなのが気になった。いい詩をたくさん読みなさいとぜひ言いたい。

 結果的には、安定した力を持っている人が新人として選ばれるわけだけれど、その他にも将来が楽しみな若い書き手も出てきた。彼らはまだ出来にむらがあるが、きらりと光るものを持っていて、そういう作品に出会えたのが、何よりもうれしい。新しい才能の登場に立ち会うこと。その輝きを見逃さないように、わたしの力も試されたのだと思っている。



 テントを出てから(1998.11.5)   須永紀子



 先日、唐十郎の芝居を観た。都合で行けなくなったからと布村浩一さんがチケットをくださったので、初めてテント小屋に出かけたのである。教えてもらったとおりに午後1時に雑司ヶ谷の鬼子母神に行って、チケットを番号札に換えた。これが席順になるのだそうだ。なんでこんな面倒なことをするのだろう。わからないなあ。芝居が始まるのは夜7時。その間何をするのがいちばんいいのかと考えて、「東京詩学の会」に参加した。飛び入りにもかかわらず、講師の林堂一さん始め、みなさん快く仲間に入れてくださった。詩の話だけをするというのは、ありそうでなかなかない、貴重な時間である。

 東京で育ったのに、鬼子母神に行ったことがない。池袋から15分ほど歩くと、昔の渋谷みたいな町並みがあって、鬼子母神は立派な神社だった。境内に紅色のテントが張られている最中で、神社で前衛演劇というのは不思議な気がするけれど、考えてみると、神社に見せ物というのはつきものなのかもしれない。子どもの頃、明治神宮の秋祭りに行って、見せ物小屋に入ったことがある。ヘビの生肉を食べる女の人を見たのだった。なぜかヘビ模様のビキニを着ていて、ヘビの肉かどうか怪しいと子ども心に思ったけれど、一種異様な興奮がテント内に充満していたことは確かだった。

 夕食を済ませ、書店で時間をつぶしてから、再び鬼子母神に行った。そこで番号順に並ばされゴザに座る。慣れている人は体育座り(ひざを抱える)をしてミカンやパンを食べている。夜の運動会みたい。詰めて詰めてと係りの人がどなるので、身動きできない状態になって、すごい熱気のなかで『秘密の花園』が始まった。もちろんガーネットの有名な物語ではない。唐十郎のオリジナルである。

 演劇については何も知らないのだけれど、間というものが一切なくて、発生した感情(どんなに小さなかけらであっても)が、すべて台詞に置き換えられているように、役者がしゃべりまくる。血管が切れるんじゃないかと思うくらい、わめき続ける。

 わたしは大道具に感心していた。日暮里のアパートの、2階にある部屋という設定である。作りつけのタンスと小さな食器棚がある。古い魔法瓶と昔のアイドルのカレンダー。共同のものらしい「御不浄」がある。みすぼらしさが懐かしくてリアル。唐十郎にはさすがにすごい存在感があって、出てきただけで客席が湧く。ほかの若い役者は力んでいるようにみえて、痛々しいけれど、つばをとばして熱演する身体には圧倒的なものがあった。

 「手をにぎっただけで子供が産まれるようなその気にさせて、肉欲とプラトニックのはざまに突き落とし、男と女が、さかることよりも、卑ワイなことがこの世にはもっとあると錯覚させて、そして、新生活を迎えようとしたその時に、よくも、砂をかむ思いをさせてくれたわね」この台詞のインパクト。大衆演劇独特の、見栄を切るような口調。

 テントに入った瞬間から、日常とは別の空間に移り、これから始まる不思議な世界への期待でいっぱいになる。けれども思ったよりも毒はない。登場するのは、妄想のなかでそれなり足が地に着いた現実生活を営んでいる人々であるため、ごくふつうの状態で受け止めることができた。わたしの熱くなりかたが足りなかったのかもしれないけれど。

 芝居が終わって立ち上がると、しびれた足が徐々に元に戻り、池袋の街を歩いているうちに、身体が解き放たれていくのを感じた。幻術にかかったようにテントに入りゴザに座って、パワフルな、嘘と真の境目のないことばを一方的に浴びていた数時間。それが今は自分の身体を取り戻し、自由に移動している。
 芝居を観る楽しみは、こういうところにあるのかもしれないと思った。





ルドルフ(1998.10.29)   須永 紀子



 猫がいる。この五月に子猫を拾ったのだが、マンションではペット禁止になっているので、飼っているのではなく預かっているだけだと子どもたちに言い聞かせ、後ろめたさをごまかしている。親猫は近所の飼い猫にまちがいないので、育ててあげているわけである。

 家族やペットの話は他人が聞いたらおもしろくも何ともないものである。特に猫なんかは何の役にも立たないし、芸ができるわけでもない。うちの猫はけっこう美形だと思うけど、みんなそう思っているのだろうし。

 「ペットロス症候群」というのがあって、ペットが死ぬと嘆き悲しみ、葬儀だけでなく一周忌には読経をする。その悲しみが癒されるには一年ほどかかるのだという。わたしは特に猫好きというわけでもないのだが、気持ちはわかる。小さい頃よく犬猫を拾ってきて親に叱られ、保健所の人に連れていかれるのを泣きながら見ていた。それでアリにたかられて鳴いている子猫を放っておけなかったのだ。

 猫はぐんぐん大きくなった。雨露しのげて三食の心配もないので、もうすっかりでぶになり、穏和な顔をしている。それでも生ゴミを漁りビニール袋をくいちぎる。習性というのはおそろしい。

 わたしと家族は猫に関する本を読み、マタタビや猫用ベッドを買い、トイレの砂を補充し、好物のチーズを切らさない。誰か(?)のために何かをするのはいいものだと思う。世界一幸福な猫だと思うけど、彼にはそんなこと一生わからないのだろう。

 夕方になると猫と魚とハムスターにエサをやり、家族の食事を作る。みんなお腹を空かせていて何でもよく食べる。彼らの命はわたしが握っているのだ。生きているもの、殊に小さなものはいとおしい。毎日そう思う。


<雨の木の下で>公園の生活(レジーヌ・ドゥタンベル作『閉ざされた庭』有働薫訳を読む)(関富士子)へ
<雨の木の下で>ジャックとローズ(須永紀子)詩人を選ぶ(関富士子)へ
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公園の生活(レジーヌ・ドゥタンベル作『閉ざされた庭』有働薫訳を読む)(1998.10.29)    
 関 富士子



 子どもたちが小さかった頃、ときどき自転車の前籠に犬を乗せて、荒川土手の秋が瀬公園に出かけた。武蔵野の自然林を残した広い公園で、サッカー場や野球場などもあり、一日中楽しめた。

 芝生に寝そべって木漏れ日を浴びていると、大きな帽子を被りそろいの作業服を着た初老の人たちが、落ち葉をかき集めている。小さなトラクターのような車に乗って、広い公園中を見回る人もいる。公園を管理する人たちだ。

 彼らをぼんやり眺めながら、ふと思っていた。年を取って今の仕事ができなくなって、からだがまだ丈夫だったら、公園の管理人をしたいな、植え込みの手入れをしたり、折れた木の枝を集めたり、ごみを拾ったり、芝生の草をむしったりしてお金がもらえたらいいな。

 樹木の多い大きな公園は、都会の中の森まがいとも言える。子どものころ森に住むことにあこがれていた。ロビンソンクルーソーや十五少年漂流記を繰り返し読んだ。火のおこしかたや野生の豚の殺し方。すぐにでも家を飛び出して、離れ小島の森の中で暮らせるように思えた。森はすなわち自由と同義語だった。

 大人になって自由を手に入れてからは、都会という荒れ果てた森をさまようような気分だったが、家庭をもってからは、毎年のように家族でキャンプに出かけていたし、森に住む疑似体験を子どもといっしょに楽しんだ。しかし、実際に森に住み着くわけにはいかない。今ではせめて、森のような公園の管理人になるくらいが、現実に折り合いのつきそうなあいまいな願望というところだろう。

 しかし、ほんとうに森に住むことなどありえないのだろうか。なにか突発時が起こって、お金も家も家族も失って、よぼよぼのからだ一つで街をさまようことになるかもしれないと、想像してみることがある。もしそんなことになったら、街の酒屋の裏で、空き瓶の底に残ったウイスキーをあさり、からだを温めてから、そばの段ボールを少しもらって、森のような公園へ行って大きな木の下に横になるのだ。子どものころの夢がかなうのである。

閉ざされた庭  さて、フランスの作家レジーヌ・ドゥタンベルの小説『閉ざされた庭』(有働薫訳)はそんなわたしのために有働薫さんが翻訳してくれたかと思うほどリアリティのあるホームレスの少年の物語である。

 公園で恋人の少女エルザがレイプされる。少年はエルザを救うことができなかった。
食べた物、できた筋肉のすべてが、きみが傷つけられるのを見ないために瞼をふせるため以外なんの役にも立たないことがわかったあの日」。
 そのときから、少年は公園にとどまり、何年にもわたってそのことの意味を考え続けることになる。少年が「きみ」とエルザに呼びかけながら語るモノローグである。

 エルザに捧げるつもりだった花束をかかえて、ホームレスとしての初めての朝を迎える場面が悲痛だ。花束のセロファンやアルミホイルで寒さを防ぎ、花を植え込みに根付かせるために公園にとどまるのである。

 戻ってくれと哀願する両親を拒否し、湿った地面にうずくまる彼の頭上を、たくさんの人々が通り過ぎる。公園の生活は苛酷だ。ときには「ウルフ」たちが略奪し放火しにやってくる。冬の凍り付くような夜、彼は立ったまま眠らなければならない。

 しかし、わたしをまずはじめに魅了するのは、公園という場所の細部をあますところなくえがく筆力である。
 公園に日が昇り、鉄柵や噴水や並木道に光があたっていく情景の美しさ。犬や猫やモグラや、たくさんの昆虫が、彼らの体をはいまわり、繁殖しては死んで腐る。そのなまなましい生命のにおい。

すべてのベンチは生きていて話をする。木のベンチには独特の息と強い体臭、穴あきスチール製のベンチからはけっして抜けない鉄分を含んだ薬用水の味、成型セメントのベンチには太陽が長い間深くしみ込んだとき、そこから放出される熱がある。そして石のベンチではその粒子、その厚み、そしてその音の伝わりの鈍さ。

 作者はどうしてこんなことを知っているのだろう。わたしを、とある公園のベンチで何年間も寝そべって過ごしたような気にさせる。この親密な場所でなら、きっと癒されるだろうと思える安らぎがあるのだ。

 訳者の有働薫さんはあとがきでこのように書いている。
作家の精密な描写は、事態の悲惨さを超えて、なにか、ある種の安堵感を、ひっそりと読者にもたらす。・・・・救いは作家の表現それ自体に潜んでいるように思われる。
 感覚を全開にしてあらゆる現象を時間をかけて感受すること、それを正確に描写する手法を身につけているということだろう。

レンガの神殿で一日過ごした日は、ぼくは自分が悲惨な石の男になっている恐ろしい夢を見る。こうした夢の中で、ぼくは鎧を着て、もう裸でもないし、生きてもいないのに、血を流しそうなのだ。

 浮浪者のパトリックと池の中でセックスをし、売春婦のサンドリーヌの傷だらけの乳房を愛撫する。彼らはホームレスとして生きる方法を彼に教える。二人は彼の新しい両親として、神話的といえるほどの魅力がある。

 長い苦しみのあとで、やがて、少年はかつてエルザと学校の階段教室で習ったアブ・シンベル神殿を作り始める。
 4年後、エルザが新しい恋人とともに公園にやってくる。この最後の場面は、こっけいなほどみじめでありながらすばらしく雄々しくて、胸を打つ。少年がついに大人になる瞬間の聖なる儀式に立ち会うのである。

 この作品で、公園という場所は、少年が自己を認識していく過程で造られていく箱庭のようなものだが、その庭を必要とする人はわたしだけではあるまい。そこは、人間を生かす機能を失ってしまった現代社会で、かろうじて見い出された、あるべき世界のミニチュアとして描かれているように思われる。社会の構造的な悪意を端的に露わにしながら、なおも人間性の回復を可能にする器として。

作者のレジーヌ・ドゥタンベルは1963年生まれの若い女性作家である。
 有働薫さんに、今度はフランスの女性の詩を読ませてくださいと頼んだのは、たしか彼女がジャン・ポール・モルポワの詩集「エモンド」を出版したときだった。あれから3年、詩ではなかったけれど、すてきな小説を読ませてくださった。有働さんありがとう。これからも、よい仕事をなさってください。

閉ざされた庭』レジーヌ・ドゥタンベル作(有働薫訳) \1800E
東京創元社刊 ご注文は書店か tel.03-3268-8231 振替00160-9-1565
(帯文より)ぼくが公園でホームレスとして暮らしているのは、四年前のあの日、レイプされる恋人を救えなかったから・・・
エルザよ、戻ってきてはいけない、けがれているから、公園は。
きみの言ったとおりだった。最初から、公園はぼくたちを苦しめ、ぼくたちを戦慄で覆うために造られているのだ。
ホームレスになったのは、なにも忘れてはいけないから。
少年に回復の時は来るのか?
ラングドック・アカデミー小説賞受賞作


有働薫さんの詩rain tree vol.6訳者紹介



<雨の木の下で>「whatnever」とは何か 藤富保男の朗読CD(関富士子)へ
<雨の木の下で>合評を終えて/テントを出てから/ルドルフ(須永紀子)へ言葉の積木(関富士子・桐田真輔)へ
rain tree homeもくじ執筆者別もくじ詩人たち最新号もくじ最新号back number vol.1- もくじBackNumberback number8 もくじvol.8ふろくWhat's New閑月忙日rain tree から世界へリンク関富士子の詩集・エッセイなど詩集など