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vol.6

天 沼 橋


                 有働 薫



天沼橋の下を川は

流れていない

橋の両側には

岸辺ではなく

保険会社や教団のビルがそそりたつ

橋は田無方面に向かう青梅街道の一部で

中央線・総武線と交差する坂道の陸橋だ



神田川沿いに小学校に通った

当時の神田川は汚いドブ川だったが

そんなことはお構いなく

小学校のゆきかえり

橋の上から川を見つめた



川が流れていようといまいと

国営鉄道が走っていようといまいと

橋から身をのりだして

風に吹かれるひとは多いはず

いちども死にたいと思わずに

大人になるなど信じられない



天沼に引っ越してきたのは十九の頃

毎日陸橋をのぼって流れる

線路を見下ろした

石の手すりに腰をかけて

めがけてくる電車に向かいあっているのは

青春の冒険の一つだった



死にたい人はそれ以上に生きたいのだ

二階の窓から飛び降りたセーラー服のわたしは

布団をしっかり抱いていたし

一月の夜おそくかばんを抱えたわたしは玄関の戸を開けて

雪が降り出しているのを見て家出をやめた



四十年もの年月がすぎれば様変わりもするだろう

陸橋の縁石にネームプレートがはめこまれて

「天沼橋」と読めたときはこそばゆくうれしかったが

やがて手すりに鉄板が継ぎ足されて

線路はまったく見えなくなってしまったし

朝のラッシュ時に駅のホームで

人身事故のため電車がおくれると

アナウンスを聞くことがめっきり多くなった




    有働薫 既発表作品



花の好意



ナチス時代にドイツの田舎の少女がフランス人ジャーナリストの脱走に利用されるという筋書の映画があった


娘は裸で

(処女のまま)

草の中に置去りにされた



地上に田園がひろがるかぎり

やさしい花はひそやかに微笑みかける

不意の出会いがうれしいように

踏みしだかれてもかまわないとささやくかのように

(歌の文句どおりに)

        
「冬の集積」1987年 詩学社刊より






愛すなわち憧憬



猫の尻尾をつかんでひっぱると

しっぽがするっと抜けて

猫は前あしをあげて後ろあしで立ち上がった

(絵本のなかの長靴をはいた猫のように)

猫は人間の言葉でわたしに言った

これで愛しあえるね

わたしはうろたえた

考えてみるとかれのうちでわたしがいちばんすきなところは

すべすべした長いしっぽだったのだ

        
「ウラン体操」1994年 ふらんす堂刊より




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<詩>[桟敷にて」「一滴たりともこぼすことなく」(関富士子)へ
これなあに?1・2(関富士子・桐田真輔)へ
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