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vol.8



 藤 富 保 男 の エ ッ セ イ 



 no.3 宿題 谷川俊太郎詩集『定義』より「私の家への道順の推敲」をテキストに

非情な親切



「もしもし、あのね。俺だよ。羽田空港についてバスで蒲田駅まで来たんだけど」
「蒲田へ出たのか。それじゃあ、目蒲線にのれよ。切符は奥沢まで買うこと。奥田の奥と沢村の沢だぞ」
「それからは?」
「蒲田から、ええと……矢口渡、武蔵新田……ええと八つ目が奥沢。おりたら奥沢神社の方へ歩いていく。いいか」
「西かね、東かね」
「北だよ。ほんの50メートル。その神社が左側にあって、信号があるから右へ行く。そして100メートルぐらい行くと、左に酒屋がある。このごろ休んでばかりいるけれど、自動販売機がある。その酒屋を左に……」
「電話では分かるようで、分からんな」
「まあ、だまっていろ。よく聞け。その角に鈴木という大きな家がある。鈴木青空(せいくう)というぼくの幼友達の家さ。例の「狂詩曲・鈴木清」っていうぼくの朗読の詩の中でアオゾラと読んで登場させた人物さ。鈴木の奴怒りやがったけど……聞いているのか」
「そんな話どうでもいいよ。要するに右へ折れるのか、左なのか。もう一度……」
「バカ。左だ。その辺でウロウロして車にはねられた人間が三人いたんだゾ」
「分かった。けど、まだ歩くのか?」
「当たり前だ。左に折れたら真っ直ぐ歩け。住宅街を孤独に歩け。北へ向かって。電車の踏み切りを横断して……。そうだ、すぐ左にガソリン・スタンドがある。まだしばらく行くと、緑が丘コミュニティ・センターが右側に見える。そこで月1回、詩の勉強会をやってるんだ。エライ詩人ばかり10人ぐらいが集まって毎月ワイワイやっている。お前も今月来ないか。今、西脇順三郎だぞ。お前読んだか」
「おい、お前の家は結局どこなんだ?」
「そこから左足だけで253歩行くと、右側に宮殿のような家がある。分かんないときはフジトミさーんと叫びながら歩け。いいか」




 no.2 宿題「胼胝」

硬派か軟派か

藤富保男


 ラーメン屋さんには支那鍋を「振る」という専門語がある。暑い真夏でも強いガス火を前に、鍋を持って仕事をするのは激務である。手にはタコができている。暑い夏といえば、電線の工事人や庭師は外で仕事をしている。当然指の一ヶ所が固くなっている。電気器具や庭ばさみを持つ指の一ヶ所は同じ動作の反復とそこに加わる刺激でタコになっている。ここまでは職人の勲章のような話で問題は特にない。

 話はかわるが、仲間といっしょに若い時ぼくは野球をした。やり始めると草野球でも試合数はふえるし、練習に熱が入ってきた。そうなるとどうしても高い技術と戦術が要求されるのは当然。野球でできたマメの話ではない。まあ、ちょっと聞いていただきたい。素人の野球に神が現われたのだ。プロ野球の読売巨人軍の往年の名キャッチャーのK氏である。彼の熱意でおそくまでベースをかこんで守る姿勢から打ち方まで、手とり足とりのコーチを受けたことがある。

 彼は一をしゃべって一を実践させ、二へ行かず再び一を諭して一にもどるのである。一を聞いて十を知る、ということを要求していないことが分かった。一とは基本動作である。それこそ耳にタコができるほど何度も言われつづけた。目のこと、足の位置だ。これが上達と連勝の扉をひらく決め手になったから、耳のタコが発芽成長したのだ。

 ふとある時、彼の掌をのぞいてびっくりした。これがプロ野球のキャッチャーの手か。丸い岩石のボールが百キロをこすスピードでとんでくる。それを毎回受ける掌。全面がプレッシャーでタコ化しているのだ。

 ぼくはそっと後ろ向きになって、自分の掌を眺めてみた。バットを振ったマメが四つ、五つできているが、掌はまことに柔らかい。こんなマメ大福のような手では笑いものだ。それにしても女性の手を握るとなると、ぼくの手の方がむいているのでは?





 no.1 宿題「駅」

地下の駅

藤富 保男




 地面の下に駅があることをおかしがる人はいない。しかし仮りにぼくがパプア・ニューギニア人か、アマゾンの奥地の狩猟民族の一人だったら地下の電車、駅、そこで動く人たちを見てアリかモグラの化物と思うだろう。
 そう言っても1863年にロンドンに地下鉄が走って百年以上がたっている。あえて驚く方がおかしいかも知れない。ロンドンと言えば日本と同じく左側通行。他の国々はすべて逆。隣の韓国でも右側がきまりになっているが、大戦中日本が作った一本の地下鉄だけは、今もって左側進行となっている。

 それはそうと、駅のことであるが、日本橋は江戸橋とつながっていて、別に東日本橋があったり馬込と西馬込、新高円寺と東高円寺などまぎらわしい。

 大阪に上六というところがあり、カミロクでなくウエロクだそうだ。上本町(ウエホンマチ)六丁目を略した駅名である。こういうふうに省略する慣習は東京人にはない。本郷三丁目、四谷三丁目、新宿三丁目、志村三丁目という四つの三丁目の駅があるが、本三とか、四三、というバカな略語がなくてよかったと真面目に思う。

 東京で一番深い駅が新お茶の水。エスカレイタアの上で詩でも書けそうなぐらいたちつくさねばいけない。もしマグニチュード10ぐらいのヤツが襲ったら、あの地下の駅は出口なき墓場となるだろう。

 それはそうと、ぼくは地下鉄の中で思考するのが好きである。あの轟然とひびく円筒型の洞窟の穴を突っぱしる車の中で、時々メモを取る。時には随想の下書きはやってしまうのである。広大な自然の風景を前にしたり、花に囲まれて座ったりして詩などを書くのはどうしてもきらいである。

   地下鉄の駅で

  群衆のなかのこれらの顔顔顔の亡霊
  ぬれた黒の枝の花びら花びら花びら


 エズラ・パウンドの有名な短詩である。



「藤富保男のエッセイ」は週一回の連載です。お楽しみに。

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