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vol.8

(関富士子の詩)


森のスープ
            関 富士子
  
森から戻ったとき
わたしたちは泥だらけだった
シャツから菌糸や胞子が飛んだ
よじれた髪から木の実がこぼれた
からだを洗ったあと
キッチンの床で毛布にくるまり
冷たい足をたがいのおなかに押しあてた
小さな炎の上で金色の鍋が
ひそやかな音をたてている
森へ行っていたあいだずっと
だれもいないキッチンで
ゆっくり煮えていたスープ
蓋のすきまを抜けた湯気が
天井まで昇ってはほどけながら下りる
昼も夜も
たえまなく循環する蒸気
やわらかな疲れがからだじゅうを巡った
  
森で
カバノキの分布を調べていた
秋に北の丘陵から
片刃のナイフが風にのって
南の窪地まで飛んでくるので
春には沼の周りに若木がたくさん伸びた
流れが滞るので
泥のなかに半身をもぐらせて
夏のあいだに溜まった落ち葉の層をはがし
石灰質の地膚を覆って水路を補修した
完全に干上がった礫地をあきらめ
崖下の道をたどると
東の森まで砂礫は広がっていた
  
そこはカバノキはなくてカシノキばかり
シラカシの実は豚の好物だとあなたは言った
アカガシの実もブナの実も好きだ
残飯をくらわされ糞まみれのやつらは
森へ戻ってあたたかい泥に眠るべきなのだ
あなたは世界中の豚小屋の戸を開けたいみたい
カシの実は豚に食べられることなく
冬の湿地で腐っている
あるいは礫地で干からびる
採集袋がいっぱいなので
ズボンにも帽子にも入れた
シラカシ・アカガシ・カシワ・ブナ・ミズナラ・マテバシイ
昼も夜も
鍋の中で煮えている豚のために
  
キッチンで金色の鍋は
いいにおいの湯気をたてていた
毛布からそっと脱け出して
幸福な気持ちで蓋を取ると
森の思い出を抱いた豚が
大昔に砕かれた香り高い木の葉とともに
すっかり煮崩れて溶けていた
苦い灰汁の下の透きとおったスープを
ひとくち啜ってはあなたの口へ
ゆっくり漏らした
あなたは喉を鳴らして
わたしの口から
くりかえしスープを受けた
散らばった木の実が
わたしたちの背中を痛くしていた


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