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詩集『飼育記』(関富士子著)より

物見の塔建築現場からの三つの報告・





企画財団整理法人と看板がかかる建築現場の高い足場で、三人の男

は、鉄パイプの横木に両ひじをつきそのひじを互いに触れ合わせな

がらはるかなむこうを見る。地上ではドリルが響き建物のわきには

電車が走り三人をひどくおびやかす。その位置を確認して、

Aは海岸を見た

Bは闘うクモを見た

Cは病気のこどもを見た

・闘うクモや病気のこどものいる海岸

・病気のこどものいる海岸で闘うクモ

・海岸で闘うクモを見る病気のこども



Aの報告 海岸

あらゆる死骸が打ちあげられ波によって規則正しく並べられる

が生きているものはそれらすべてよりはるかに数多い。手塩岬

から尻羽崎まで見わたすかぎり生き物の取水口と出水口だ、大

声で潮を呼びいっせいに潮を吹くたくさんの満ちあふれる穴だ。


Bの報告 闘うクモ

クモのことなど言いたくはないが愛するもののことばかり語っ

てもいられない。それはみるもおぞましいあしながグモ憎しみ

を呼び醒ます脆弱な信心者だ。二匹互いに脚を組みあわせその

ものが目のようなからだをできるだけ近づけはげしく全身を揺

すっている交尾かもしれない。


Cの報告 病気のこども

三歳の知恵熱のまなざしでゆらぐ風景よ。あゆみつつあおむい

て空の絵本を読んでいくと、道みちの山羊の仔やかぼそい自転

車胡桃の木の青虫が風のようにすばやく物語を通り過ぎよう。

なんとそれでも独りぼっち熱の散歩に渇く喉とぬれる額でこど

も熱を飲む。


・病気のこどもと闘うクモのいる海岸

・海岸で病気のこどもと闘うクモ

・闘うクモのいる海岸の病気のこども

・こどものために闘うクモと病気の海岸

・海岸のために病気のクモと闘うこども

……ためになどと言いだしたのは誰か



Aの見た病気のこども

砂浜の老人らが浜千鳥のしわにすりこむ若布をみんな、かあい

い牡蠣の仔にくれてやったというのにああ砂肝がちぢむぜ。波

ほど鋭い岩礁の突端で立ちあがろうとバランスをとる大勢のこ

どもたちを、今まさに巨大な貝柱が羽交い絞めようとするのだ。

小さな肺の破裂音を待とう。


Bの見た海岸

執拗に抱きこもうとする弓形はどんな円環が大気の一瞬の裂け

めに跳ねとんだ末のことなのか。夜半の雷がせいうちの牙を撃

ちその半月を次々に岸辺に打ちたてるのに、陸をねかしつけ空

にむずがれながらなおも先の岬と端の崎をそりあわせ交尾しよ

うとする海岸。


Cの見た闘うクモ

ゆずりあい遅れようとする息子たちがやってくるまで熱病を逃

れられず、クモはやわいこぶしのふしぶしをなめおお突端です

ばやい風に吹きなぐられようとする。小石ひとつ持ちあげられ

ず思いもつかぬ形で岩にはりついて風花や水脈のにおいを探り

あてる。


未完成物見の塔から

闘うクモを見たのはAで

病気のこどもを見たのはBで

海岸を見たのはCだが

海岸と病気のこどもと闘うクモは

未完成物見の塔を見た

寄りかかるに足るなにものも未完成の現場では、迷いの企画高

みの法人互いのひじを支えなさい。石積み木組み塔埋みのきり

ない建築苦しんで、狭い足場であわただしく入れ替わる三人の

男から、報告を受け記録し錯誤の書類を綴るわれら地上の耳だ

がどうして、三方向のはるかなむこうから見えるのは完成近い

塔。





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