rain tree homeもくじ執筆者別もくじ詩人たち最新号もくじ最新号back number vol.1- もくじBack NumberふろくWhat's New閑月忙日rain tree から世界へリンク関富士子の詩集・エッセイなど詩集など
「飼育記」 もくじへ
詩集『飼育記』(関富士子著)より

睦言・





  お姉さん。わたしはそれの間じゅう、栄養豊かな干草が焼かれる

火事場で、真昼の炎の燃えさかり広がり満ちつつ沈むのを見ていま

した。からだが長い間あおむけにひらかれ、この先行きを思案しつ

つ思い出したのは、少女のころ、駅員の高ぼうきをあれほどに好み、

盗み出す算段からホームに寝ころがった時の胸高に締めた帯の苦し

さでした。それにしても産後のかすかにくり返す収縮のしびれが、

たまらない快感で今も続くのです。このよろこびは終わりのない輪

つなぎの歌の歌い手、あの浮浪者の哲学のように、苦しみの果ての

笑いなのでしょうか。



妹よ。あなたが出産した晩、わたしの腹は明け方まで痛みました。

痛みが合図となる確かな血縁がわたしたちなら、あなたの胸がお乳

で張りつめる時、わたしのふくらはぎは肉がこそげ、あなたのお尻

の桃色の突起がはれる時、わたしのこめかみには青筋が立ちます。

あなたが子を産んだ時、わたしが腹を腐らせて死につつあるのも、

ものの道理というもの。そんなすべての疑問態のかたちに、赤ん坊

の手足を折り曲げるのはおやめなさい。



お姉さん。わたしの赤ん坊は産まれる時脳漿がはみ出して今やこの

ていたらくです。この空っぽの頭のまま、やがては警官にまとわり

つきその警棒を愛して、結婚出産の知らせをわたしたちに届けてく

れるのでしょうか。それともあなたの先行きのように、やがては病

院の玄関をしずしずと入り、やがては車椅子で長い廊下をひた走り、

やがては激突して胃病の老人もろともぐしゃぐしゃに骨を折り、や

がては死に際に遺言を語り終え、すっかり死んでしまうのでしょう

か。



妹よ。あなたの完璧な未来の物語のおかげで、わたしの胸の地図

の暗い海のようなアルプスは、思いがけず滑らかに息をつくことが

できました。とうに死んだわたしたちの両親から、あの街灯のはず

れのうす暗がりに、すぐにも明滅の合図がありましょう。わたしと

あなたの赤ん坊とは、まるで双児のように手を取りあい、よりそっ

て死へおもむくでしょうが、その前にわたしは、その割れた頭骸の

てっぺんから突き出た脳漿のこぶを愛撫して、このように尋ねるで

しょう。「どっちが頭なの?」 その時あなたの赤ん坊は、わたし

のやせた胸の中で、たまらずうめくほどのいやらしい睦言をささや

くはずです。




「物見の塔建築現場からの三つの報告」へ「飼育記(夕方)」へ「世去れ遺児」へ
>「飼育記」 もくじへ
rain tree homeもくじ執筆者別もくじ詩人たち最新号もくじ最新号back number vol.1- もくじBack NumberふろくWhat's New閑月忙日rain tree から世界へリンク関富士子の詩集・エッセイなど詩集など