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詩集『飼育記』(関富士子著)より

飼育記・



御影



砂ぼこりのたつ往来で、石屋の馬が墓石の仕上がりを待っている。

ときどき通るやくざなバスが、往来の砂利をつぶてのように、石屋

の馬にはねとばす。その鼻先にすわりこんで、またぐらに石をすえ、

石屋は鑿を小刻みに打つ。

の二つめのはねの先を、馬は三白眼で眺める。てらてらの御影

石から、まるい陥没の深さの量だけ、細かな粉がわき出てくる。

のはらいをすませてから、ほおをふくらませて粉を吹く。石の

表面が水のくろいかたまりのようにふるえて曇るが、すぐ、

の縁取りのうしろに、石屋と馬の二つのひたいが浮かびあがる。

四つの目は影のように水没したまま。





瀉血



石屋の家内はよく肩がこる。重い石を背負わされたように固まっ

て、首はめりこみ身動きならない。ひどいときにはわずかに顔の半

分が動くだけだ。しかしその半分で、家内は怒ったり笑ったり泣い

たりして、家族を働かせる。

このあいだは子どもたちをたんぼにやり、足に吸いつくひるを集

めさせた。小山みたいな肩にのせると、ひるはみるみる太って、は

ちきれそうになると落ちる。これをくりかえすうちに、家内はよく

寝たりたような目をあけて、むくりと起きあがった。





管理



石屋の息子は営林局へ勤めてから、家にも帰らず森の番小屋に寝

泊まりしている。木々の下枝を払い、草を刈り、朽ち木を集め、幼

木の若芽を囲ってまわる。森じゅうの木に番号を打ち、鑑札を下げ

て、密猟者を見張っている。

木々は美しく真っすぐにせいぞろいして、葉脈を陽にかざす。よ

くなついた犬のように、枝先を肩にこすりつける。その幹をなでさ

すると、喜びのあまり香り高い樹液をしたたらす。石屋の息子は、

樹液にまみれた黄金色の髪を逆立て、胸を樹皮のようにごわごわに

して、木の根元に午睡している。


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詩集『飼育記』(関富士子著)より

赭  i



夕方になって、星眼の妻が一仕事終え、小屋の戸口に寄りかか

って向かいの岡を眺めると、中腹の小屋から赭が現れ、腕組みし

てこちらを見下ろした。星眼の妻が掌をかざして夕日を押しやり、

その姿を透かし見ると、自分を見つめてくろぐろとひらいた赭の

目に射すくめられ、めまいがして夫を呼びつつ戸口にしゃがみこ

んだ。星眼はすぐに聞きつけて妻を家の奥に運び、ふとんにくる

んでその上から両手足をいっぱいに広げ、しっかりと抱きしめた。

赭は、星眼が妻をかかえて小屋に入るのを見ると、怒りのため

に、顔に赤黒い横縞をはっきり現した。そして星眼の小屋に向か

って岡を駆け下りた。怒りのために、赭の通ったあとは薮の小枝が

次々と折れ、星眼の小屋の方角を指した。

赭が家に踏みこむと、星眼が妻をふとんの上からかかえて、横

になったまま赭を見上げてにらみつけた。赭は星眼を手ひどく殴

ったり蹴り上げたりして、気を失うほどに痛めつけたが、なおも

ふとんごと妻をかかえたまま離れないので、しかたなく岡を自分

の小屋へもどって行った。星眼の小屋の方角を指して折れた小枝

が、暗闇で赭の見ひらいた目を次々と突いた。





赭 ii



赭には妻がいるが、その妻が彼をひどく嫌い、すきさえあれば彼

から逃れようとするので、赭もこのごろは、一日中家にこもり妻を

見張って過ごしていた。それでもうっかり背を向けて飯を盛ったり

していると、様子をうかがっていた妻が、深なべの煮えた汁をめく

らめっぽうに放り出し、戸にぶちあたりながらも外へ駆け出そうと

する。それで赭は、腰に下げておいた錘付きの縄をするり取り出す

と、妻めがけて投げつける。縄がぶんと足首にからむとすぐさまぐ

いぐい引き寄せる。妻はそうやって何度も赭に引きもどされた。

妻が赭に抱かれるのをいやがるので、あるとき赭は、裏の薮から

まだ若いうこぎの枝を折ってきて、細くしなやかなところを自分の

ものに巻きつけた。それから妻の背後にしのび寄り足ばらいで転が

した。妻は不意をうたれて悔しげに赭を罵り暴れまくったが、赭が

ようやく押さえて妻の中に入ると、うこぎの刺が妻のからだにくい

入って、妻は悲鳴をあげながらも身動きがとれなかった。そこで赭

がおもむろに腰を使おうとすると、うこぎの刺が赭を一気につき破

り、赭は瞬時に萎えていた。





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詩集『飼育記』(関富士子著)より

硅  i



年ごろになってもいっこうに腰に肉がつかず、かえって肩から二

の腕にかけて、男のようにきりりと筋肉が巻きついてくるようなの

で、硅の母は、もう魚獲りなどやめておしまいと叱った。しかし硅

は答えずその朝も知らぬふりで出かけてしまった。

夕方家に戻ると、母は疑い深くにらんで、おまえはほんとにわた

しの娘かと硅のシャツを引き上げ、左の腋のしたをのぞくと、こど

ものころにできた腫れものの痕がなくなっていた。

その晩、硅の母は犬に餌をやっていないのを思い出し、冷飯に汁

をかけて縁の下に差し入れると、犬が暗がりからはい出てすりよっ

てきた。もしやと思い、前肢の左の付け根の毛をより分けて見ると、

ひとところだけ丸い腫れものの痕があったので、母は犬を抱きしめ

た。





硅 ii



硅が川で泳いでいると、空からパンパンとから花火の音が聞こえ

た。まばらな雑木林を抜けて空へ響くようなので見ると、空気銃を

かついだ赭が小道をやってきた。赭は網袋にぎっしりと雀をつめこ

んでいて、硅に見せびらかしてから、川原のはしばみの木の下に腰

を下ろして、羽根をむしりはじめた。かたわらの小石の上に、あか

はだかの雀をきりなく並べ、とけない雪のような羽毛を、いつまで

も川へ流した。

硅は川へもぐってそれをながめていたが、魚どもが腋のしたをつ

つきにくるのでたまらず、一匹つかまえて乳首を吸わせた。そのう

ろこをなでるうち、しんと冷えてきたので川原にあがり、あかはだ

かを熱い砂利に押しあてた。







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詩集『飼育記』(関富士子著)より

湿度





もう三週間も雨が降り続いている。増水した川っぷちにその小屋

は建っている。毎朝ドアが開くと、暗がりに金ぴかの鳥かごが見え

る。カナリアが気分よくさえずっている。

男が現れ、カナリアと同じうたをくちずさみながら、川っぷちで

なべを洗う。濁流はひしゃげた窓辺の一メートル先まで迫り、足元

の青草はすでに水にひたされている。

男は、のき下の洗濯機にぬれたシャツをほうりこみ、がたがたす

るのを腰で押さえる。

ときおり雨が紗のカーテンのように、これらの光景を真っ白にす

る。





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詩集『飼育記』(関富士子著)より

夕方



斜めに日のあたる窓の下のはめ板に寄りかかり、小さな丸椅子に

すわって、ばあさんは語った。

あたしはその子を自分の息子か孫のように思って、うちにおいて

やったの。身寄りのないかわいそうな子なのよ。おとなしくてきれ

いな声をしていたわ。

でもその子は毎晩あたしの寝台に入ってきて、あたしを抱こうと

するの。なんとかしてうまくやろうと思って苦心惨澹しているのが、

胸がつぶれそうにいじらしくて、もうけっこうとも言えなくて、そ

のうちにとても夢みたいなよろこびをもらったわ。

死ぬかと思ったけどそこまで望むのは罪なことね。この年になっ

ても死ぬのがこわくて、毎晩泣いていたあたしなのに。

その子はもういないけれど、あたしはこわくなくなりました。






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